第22話
古ぼけた学習机。その引き出しに入っている一通の白い封筒。
両親と祖父母と学校の先生と同級生たちへの感謝。「ありがとうございます」と綴った言葉。短い手紙。先立つ不孝を許して下さいというような内容。
それは、間違いなく――ぼくが書いた遺書だ。
感謝。ありがとう。ありがとうございます。
感謝しながら死ぬぼくの手紙。
同時に、ぼくの体から、
――いいようのない、怒りや苦しみや後悔や、このまま大声を上げてのたうち回りたいような衝動が込み上げてきた。
ぼくの全身から黒い影が立ち上るのがわかる。
それは〝黒い怪物〟の元になるもの。
それがゆっくりと形を作りだしていく。
ああー…………。
ぼくは三途の川を渡る今頃になって、やっと気づいた。
感謝など書きたくなかった。
ありがとうございます、などと書きたくなかった。
当然だ。ぼくが自殺するほど苦しんでいても、まったく気づかず、顧みずにいた両親であり、祖父母であり、教師であり、級友たちなのだ。
そんな彼らに、本来感謝などありえない。
ましてその自殺の原因を作った存在たちになど。
けど。
ぼくは「ありがとうございます」と自殺する間際にも書いた。
そうだ。
ぼくは…………。
気づいてしまった。
ありがとうと繰り返すのは、ありがとうといって欲しいからで。
そして「ありがとうございます」とみんなに感謝して、詫びて死んだのは、
こんな最後の最後ドン詰まりになっても、自分をそこまで追い込んだ連中も含めて、誰も彼もにただ悪く思われたくなかったからなのだ。
ただ死ぬときにさえも悪く思われたくない。よく思われたい。そういう見栄を張って、最期を迎えたのだ。
なんというばか。
なんという間抜けだろう。
だからこんなふうに死ぬのだ。死さえも穢すような死に方をするのだ。
両ひざをつき、顔を片腕になった手で覆い、背中を丸める。
片目でも、両ひざから立ち上る黒い霧が見える。黒い影が見える。
周囲を見れば、ぼくだけでなく、ギャングもストリートもクロスもシンヤも、誰も彼もが、黒い影を吐きだしていた。どうやら「自殺」というキーワードでぼくらは記憶の一部を取り戻したらしかった。まだ名前さえ思い出せないくせに、その自殺をする理由と、そこにいたるまでの直前の過程を。
だとするならば、ああー……なんてことだ。
ぼくらは勘違いしてた。
〝黒い怪物〟を産みだしているのは、ひとりじゃなかった。
全員だったのだ。
確かにあの車掌は嘘はいってなかった。
『〝黒い怪物〟を産みだしている張本人を殺せば』
そのとおりなのかもしれない。
だがあのいい方だとまるでひとりきりのように聞こえた。
けれど実際はぼくら全員があの〝黒い怪物〟を産み出していたか、産み出す力があったんだ。
そして確かに〝黒い怪物〟さえいなければ、『他の乗客は無事『現世』に帰ることができる』だろう。それはルール説明としては正しい。けど〝他の乗客〟がひとりだったり複数だったりする可能性があるように、ゼロ人である可能性だって同じようにあったのだ。
そしてぼくらの場合はゼロ人。
黒い怪物を産み出す存在は六人全員。
ぼくらは気づくと、六体の〝黒い怪物〟に囲まれていた。
「はは……。なによこれ……いったい全体、あたしの人生ってなんなわけ! もうわけわかんないっ!」
ピュアは泣いていた。
こんなときに感じ入るのはなんだが、彼女の涙は本当に純粋に見えた。ピュアという名の通り。
彼女の憤りは、まさにぼくの感じているそれと合致している。
「散々ひどいめにあって、自殺したのよ? なのに、なんで死んだあとまでこんな苦しみを味わうわけ? わけわかんない! わけわかんないっ! もうっ、ぜんっぜんわけわかんない!!」
「……まったく。ひどい人生じゃったのう」
ストリートは……彼はもうすべてを諦め、悟りきったように正座して、怪物に襲われるのを待ち、
「……これで本当に終わりにしてくれよ、なあ、怪物ども」
「ちっ、くしょう!」
ギャングは熱い涙を流しながら、思いきり床を叩いた。
「ぼく、ぼく、ぼく……」
意味のない台詞を繰り返し、茫然と眼鏡の奥の目を見開いて周囲を取り囲んでいる〝黒い怪物〟の檻を見回すシンヤ。
「うちは……うちは……」
クロスの目も虚ろだった。これまでのハイテンションが嘘のように、茫然としている。死の過程にショックを受けたのか、それとも自殺した原因そのものにショックを受けたのかはよくわからない。
「うち、ほんまにあのバンドのこと好きで。バンドマンもめちゃ信頼しててん……なのに、なんであんなローディーと。……嘘や、これもあれも、全部夢や。はは……そや、夢なんや……」
ぼくは薄々感じ取っていたため、自分が〝黒い怪物〟を産んでいたことも、自分が惨めな死に様だったことも、なにひとつ後悔も懺悔も悔いも悔しさも悲しさも憤りもなかった。――いや。嘘だ。
憤りくらいはある。
いや。ここに来て、初めて感じたというべきか。
両親と祖父母と学校の先生と同級生たちへの感謝。「ありがとうございます」と綴った言葉。短い手紙。先立つ不孝を許して下さいというような内容。
それは、間違いなく――ぼくが書いた遺書だ。
感謝。ありがとう。ありがとうございます。
感謝しながら死ぬぼくの手紙。
同時に、ぼくの体から、
――いいようのない、怒りや苦しみや後悔や、このまま大声を上げてのたうち回りたいような衝動が込み上げてきた。
ぼくの全身から黒い影が立ち上るのがわかる。
それは〝黒い怪物〟の元になるもの。
それがゆっくりと形を作りだしていく。
ああー…………。
ぼくは三途の川を渡る今頃になって、やっと気づいた。
感謝など書きたくなかった。
ありがとうございます、などと書きたくなかった。
当然だ。ぼくが自殺するほど苦しんでいても、まったく気づかず、顧みずにいた両親であり、祖父母であり、教師であり、級友たちなのだ。
そんな彼らに、本来感謝などありえない。
ましてその自殺の原因を作った存在たちになど。
けど。
ぼくは「ありがとうございます」と自殺する間際にも書いた。
そうだ。
ぼくは…………。
気づいてしまった。
ありがとうと繰り返すのは、ありがとうといって欲しいからで。
そして「ありがとうございます」とみんなに感謝して、詫びて死んだのは、
こんな最後の最後ドン詰まりになっても、自分をそこまで追い込んだ連中も含めて、誰も彼もにただ悪く思われたくなかったからなのだ。
ただ死ぬときにさえも悪く思われたくない。よく思われたい。そういう見栄を張って、最期を迎えたのだ。
なんというばか。
なんという間抜けだろう。
だからこんなふうに死ぬのだ。死さえも穢すような死に方をするのだ。
両ひざをつき、顔を片腕になった手で覆い、背中を丸める。
片目でも、両ひざから立ち上る黒い霧が見える。黒い影が見える。
周囲を見れば、ぼくだけでなく、ギャングもストリートもクロスもシンヤも、誰も彼もが、黒い影を吐きだしていた。どうやら「自殺」というキーワードでぼくらは記憶の一部を取り戻したらしかった。まだ名前さえ思い出せないくせに、その自殺をする理由と、そこにいたるまでの直前の過程を。
だとするならば、ああー……なんてことだ。
ぼくらは勘違いしてた。
〝黒い怪物〟を産みだしているのは、ひとりじゃなかった。
全員だったのだ。
確かにあの車掌は嘘はいってなかった。
『〝黒い怪物〟を産みだしている張本人を殺せば』
そのとおりなのかもしれない。
だがあのいい方だとまるでひとりきりのように聞こえた。
けれど実際はぼくら全員があの〝黒い怪物〟を産み出していたか、産み出す力があったんだ。
そして確かに〝黒い怪物〟さえいなければ、『他の乗客は無事『現世』に帰ることができる』だろう。それはルール説明としては正しい。けど〝他の乗客〟がひとりだったり複数だったりする可能性があるように、ゼロ人である可能性だって同じようにあったのだ。
そしてぼくらの場合はゼロ人。
黒い怪物を産み出す存在は六人全員。
ぼくらは気づくと、六体の〝黒い怪物〟に囲まれていた。
「はは……。なによこれ……いったい全体、あたしの人生ってなんなわけ! もうわけわかんないっ!」
ピュアは泣いていた。
こんなときに感じ入るのはなんだが、彼女の涙は本当に純粋に見えた。ピュアという名の通り。
彼女の憤りは、まさにぼくの感じているそれと合致している。
「散々ひどいめにあって、自殺したのよ? なのに、なんで死んだあとまでこんな苦しみを味わうわけ? わけわかんない! わけわかんないっ! もうっ、ぜんっぜんわけわかんない!!」
「……まったく。ひどい人生じゃったのう」
ストリートは……彼はもうすべてを諦め、悟りきったように正座して、怪物に襲われるのを待ち、
「……これで本当に終わりにしてくれよ、なあ、怪物ども」
「ちっ、くしょう!」
ギャングは熱い涙を流しながら、思いきり床を叩いた。
「ぼく、ぼく、ぼく……」
意味のない台詞を繰り返し、茫然と眼鏡の奥の目を見開いて周囲を取り囲んでいる〝黒い怪物〟の檻を見回すシンヤ。
「うちは……うちは……」
クロスの目も虚ろだった。これまでのハイテンションが嘘のように、茫然としている。死の過程にショックを受けたのか、それとも自殺した原因そのものにショックを受けたのかはよくわからない。
「うち、ほんまにあのバンドのこと好きで。バンドマンもめちゃ信頼しててん……なのに、なんであんなローディーと。……嘘や、これもあれも、全部夢や。はは……そや、夢なんや……」
ぼくは薄々感じ取っていたため、自分が〝黒い怪物〟を産んでいたことも、自分が惨めな死に様だったことも、なにひとつ後悔も懺悔も悔いも悔しさも悲しさも憤りもなかった。――いや。嘘だ。
憤りくらいはある。
いや。ここに来て、初めて感じたというべきか。
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