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relieve

原作: その他 (原作:IDOLiSH7) 作者: cmcm
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relieve3

「千」
 万理は、助手席で寝てしまった千へ声をかける。
 疲れているのはわかっていた。残業をしているとはいえ、週休二日の万理よりも確実に千の休みはすくないはずだ。スケジュールの関係で、場合によっては二十日間休みなし、なんてことだってあるかもしれない。
 それなのに千は今日、貴重な休みの一日を万理と一緒に過ごすことにあてた。インドアで、外に出るのもほんとうは好まないはずなのに、万理のすきなところへ行こうと告げ、自らハンドルを握ったのだ。
 千は五年経っても相変わらずで、自分の意思を曲げないくせに、ときどき妙に素直で憎めない。そして五年間のうちに角が取れて丸くなった。無意識のうちに面倒ごとを起こし、万理の後ろで難を逃れていた千ではもうないのだと感慨深い気持ちになる。
 千を変えたのは間違いなく百だ。自分には出来なかったことを彼はした。
 万理は目を細め、五年前とほぼ変わらない寝顔を見つめる。その腕にはぬいぐるみの入った袋が抱えられていた。後部座席に置けばいいという万理の言葉を聞かず、抱きしめたままだ。

「万、あれほしい」
 サングラスにマスクをして、髪の毛をキャップの中に入れた千が水族館で指さしたのは、魚のぬいぐるみだった。
「これ? おまえ魚食べないのにこれなの?」
「万はぬいぐるみを食べるのか? 変わってるね」
 誰が食べるか、と千を小突いてから、万理は会計を済ます。何故千がぬいぐるみを欲しがったのかはわからないが、そのくらいのことはしてやってもいいと思ったのだ。袋に入ったそれを渡すと、ありがとうと嬉しそうに千は笑った。
 特に水族館に来たかったわけではない。どこでもよかった。ただ、千の立場上身元が判明しにくそうな、あまり明るくないところがいいと思っただけなのだ。
 長身の男二人が並んで歩いていたら大抵の場合目を引く。今回も例外ではないが、運よく声をかけられることもなく、千もそれなりにが楽しめているように見えた。流れる空気は穏やかだ。
 見て回っている途中で、近くにいたカップルが手をつないでいるのを千が見て、何を思ったのか真面目な顔で「手、つなぐ?」と言ってきたから、ばかかと笑ってしまった。

 帰りは万理が運転をした。まったく乗り気でなかったはずなのに、それなりに楽しいと思っている自分もいて、千と時間を共有していることにすこしだけ懐かしい気持ちになる。どうでもいい対話をしながら、万理はオレンジ色に染まった空を眺めた。環と事務所に寄った日よりも、きっと今日のほうがすこしだけ陽が落ちるのが早い。こうしてこの先もすこしずつ過ぎる時間を感じていくのだろう。
 いつの間にか言葉が途切れていることに気づいて横目に助手席を見れば、千は寝息をたてていた。昔からきれいな顔をした男だったが、夕陽がそれを助長させている。
 疲れているのだろうとそのまま寝かせておいたものの、千のマンションの駐車場に着いてしまえばそうもいかない。
「千」
 万理は軽く千の肩をゆすった。
 だが、一度寝たらなかなか起きないのは変わっていないようで、苦笑して万理はシートベルトを外した。
「起きろ。着いたぞ」
 すこし強めに身体を動かすと、「ん……」と意識の戻る気配がして、万理にぼんやりとした眼差しが向く。
「万……? ……生きてる?」
「は?」
 思わず抜けた声が出た。寝起きの第一声にしてはずいぶんと不吉な文言だ。
「生きてるに決まってるだろ。夢でも見たのか?」
「うん、……そう、ね」
 はあ、と気だるげに息をついて、千は万理の腕をつかむ。
 この様子だと、ほんとうに万理の生死にかかわるような夢を見たのかもしれない。いつもと勝手の違う千に、万理は慎重になる。
「だいじょうぶか?」
 顔を覗き込むと、千はどこか悲しそうに笑った。それから目を閉じ、ちいさく言葉をこぼす。
「おまえが崖から落ちた」
「……勝手に殺すな」
「死んだなんて言ってない」
「生きてるのか?」
「死んだけど」
 不吉を確定させると、千はつかんだままの万理の腕を引き寄せ、そこに顔を寄せた。寝起きで夢と現実が入り混じっているのだろう、存在があることを確かめているかのようでもあった。
「まだ、たまに、あるんだ。前ほどじゃないけど、おまえが死ぬ夢」
「……」
 それは想像の範疇になかったことだ。けれど、失踪が死を連想させることもあるだろう。五年前に万理が千の前から姿を消したことがトラウマとなっている可能性は大いにあった。
「でも、いいんだ」
 ごめん、と謝ろうとした万理の先を取って千が告げる。
「いいって、何が」
 千の口ぶりでは、これまでに相当数万理が死ぬ夢を見ているのだろう。とても折り合いをつけられる話ではない気がする。
「万が、いるから」
「それ、どういう意味?」
 言葉がはしょられすぎていてわかりにくい。千のそれに慣れているはずの万理でさえ、ときどき意味を汲み取ることができなかった。
「夢に、いるから。それで、もう、いいかなって」
 しかし慣れているからこそ、わかってしまうこともある。ぽつりぽつりと区切るように落とされたそれに、すこしだけ血の気が引いた。
 その言わんとすること。万理は千のこころの闇を見た気がした。
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