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relieve

原作: その他 (原作:IDOLiSH7) 作者: cmcm
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relieve2

「あ、ゆきりん」
 四葉環のつぶやきに万理は顔をあげた。
 千が他所の芸能事務所に我が物顔でやってきたのかと思い見回したが、姿はどこにもない。よくよく確認すれば、環の見ているテレビ画面に映っていた。はじめて見るCMだった。またひとつ契約を増やしたらしい。
(そりゃ、あいつもそんな暇じゃないよな)
 千はもう、自分と一緒に活動をしていたころの千ではない。いまでは、そのへんを簡単に歩けないほど有名なトップアイドルだ。
 そう思いながら、万理はプリンタから出てきた数枚の紙をまとめて、環に渡すために立ち上がった。
「環くん、お待たせ。これ壮五くんに渡してくれる? 壮五くんが読んで説明してくれると思うけど、環くんも出来たら目を通しておいてね」
「おー」
 小鳥遊事務所の事務員である万理は、MEZZO"のマネージャーを兼任している。環を寮に送り届ける途中で、渡したい書類があるからと一緒に事務所に寄ってもらったのだ。
「じゃあ行こうか」
 社用車のキーを取って環を振り返ると、長身の高校生はソファに座ったままじっと万理を見つめていた。
「なに……?」
「バンちゃん、相変わらずかっけーな、と思って。あの着物の写真もみんな褒めてたし」
 裏表がないぶん、環の言うことに嘘はない。そういうところはすこし千にも似ていて、そのまっすぐさに万理は苦笑する。
「ありがとう。環くんのほうがかっこいいよ」
「へへ、あんがと。って、そうじゃなくて、また歌えばいいのに、って」
 意外なところから、意外なものが飛び出してきた。千にも歌わないのかと聞かれた。けれど、曲をつくりたくて、歌いたくて、そういうのが楽しかった時期は万理の中で終わっている。
「歌うの、きらいになったわけじゃないんだろ?」
「まあ……」
 もちろんきらいじゃない。いまでもいろんな曲を聞くし、それ自体は楽しい。しかし、万理が曲をつくりだすことに生きがいを感じる側の人間だったら、少なくともあのとき、千の前から姿を消さなかった気がするのだ。千を引きずってでも九条鷹匡と引き離して、また新しくふたりで何かを始めようとしただろう。千だけに歌うことを押しつけたりはしなかった。
 だが結局、万理がいまこの立場にいるという、それがすべてだ。
「だったら歌えばいいじゃん」
 言い淀んだ万理に環が言葉を重ねてきたので、慌てて否定する。
「むりむり。第一、活動を始めたらMEZZO"のマネージャーを続けられなくなるけど、それ、困らない?」
「困る。やっぱだめ」
 即座に発言を撤回され、必要とされていることにほっとした。万理は笑って「そういうことだから」と、環の背中を押しながら事務所を出る。
 温度調節された事務所に比べて、九月とはいえ、外は蒸し暑い。高い湿度が身体を覆うが、それでも何時になっても陽が落ちないと思っていたほんの数日前よりも暗さが早くやってきている気がして、夏ももう終わりだなと、蝉の声を聞きながら万理は思った。

 万理が車を走らせてすぐに、助手席から声がかかる。
「あ、バンちゃん。みっきーから、ごはん食べてって、ってラビチャきた」
「え、俺?」
 環が万理に送ってもらう旨をメンバーの誰かに伝えたのだろうか。寮で食事をつくるのは年長組であることが多いはずだから、今日は三月の当番なのかもしれなかった。
 そんなふうに、のんきに思っていたのに。
「うん。ゆきりんもいるって」
「は!?」
 いるはずのない名前を聞かされて、多忙なはずのトップアイドルが何をしてるんだよと、環に聞こえないよう万理はこころの中で毒づいた。

「ほんとに来た」
 いつもは下ろしている長い髪をひとつにまとめた千は、万理を見てめずらしい生き物を見たような顔をした。
「ほんとに来た、じゃないよ。おまえ何してんの」
「夜ごはんをごちそうになってる。三月くんのお料理おいしいよね」
 ダイニングテーブルで、逢坂壮五と七瀬陸ととも食事をしていたらしい。どんな経緯でここに来たのかは知らないが、悪気のない様子が見て取れた。
「そうじゃなくて」
「え、……万、おいしくないの?」
 見当違いなことを言われ、否定したのはそっちじゃないと、一気に力が抜ける。
「いや、おいしいよ。そうじゃなくて、俺が言いたいのは」
「まあまあ。万理さんも座ってください。いま用意しますから」
 万理が千に苦言を呈そうとするのを三月が止める。はいどうぞと椅子を引かれて、流れで座ってしまった。思わずため息をついた万理に、陸と壮五が声をかけてくる。
「万理さんいらっしゃい」
「おつかれさまです」
 ふたりぶんのほんわかした好意に一気に癒された。ありがとうと笑顔で告げ、万理は壮五へ話しかける。
「さっき環くんに資料渡したから、あとで見ておいてくれるかな」
「わかりました」
「万、今日は終わり?」
 うなずく壮五と入れ替わるように千が声をかけてきた。
「いや、事務所に戻るよ」
 その答えに、千はつまらなそうな顔をする。
「なんだ」
「なにか用事でもあったか?」
「ないけど、ドライブでもしたかったなと思って」
「また今度な」
 万理にしてみれば軽く受け流したつもりでいたが、千は納得ができなかったようだ。今度っていつと食い下がってくる。このままでは、この先も延々に絡まれそうな予感がした。
「まったく」
 あきれつつも、予定のすり合わせをするために万理は手帳を開いた。
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