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鶴丸国永の恋文日記

原作: その他 (原作:刀剣乱舞) 作者: 杉田
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刀と人間

 道場の脇には、皆が肌を拭う為の井戸端がある。
 朝稽古を見守った後、俺は、手合せを終えた燭台切光忠の後を追っかけた。
「……え? この前会った、審神者かい?」
 水桶を汲み上げながら、光忠が振り向いた。うん、と俺は頷きながら、甲冑を外すのを手伝い、上着も持ってやった。有難う、と光忠はにっこり笑うと、白シャツ一枚の姿で、ざぶりと顔を桶に浸けた。
 光忠は、古参の太刀だ。
 長船衣装の黒スーツに身を固め、黄金の竜眼を戴く長身の美丈夫だが、性格は極めて温厚、人当たり良く話し易く、誰彼となく他人の世話を焼くから、本丸内での人望は厚い。主とも勿論、親しくしている。
 外していた眼帯を、素早く付け直すと、光忠は俺に向き直った。
「先日の演練相手だね。たしかに、以前も見かけた審神者だったよ」
「そうそう。対戦するのは、もう二度目か、三度目じゃなかったか?」
「ああ、珍しいよね。対戦相手はランダムな筈なんだけど」
 一日二回、他本丸との模擬試合、演錬なるシステムに挑戦する事が出来る。対戦相手は一度に五組、無作為に選ばれるのだが、
「たぶん、居揃う刀剣のレベルが、うちも向こうの本丸も、同じくらいなんだろうね」
「まあ、そうか」
 多少の調整は入るのだ。切磋琢磨の修練の為に、同レベルの本丸同士が、組ませられる傾向にある。
「でも」
と、光忠が不思議そうに、
「それがどうかした? 鶴さん」
「向こうの審神者なんだが、若い男じゃなかったか?」
「そうだね。うちの主と似たり寄ったりかな」
 前回の演錬時、リーダーとして出陣した光忠は、あっさりと頷いた。
「審神者同士で、軽く挨拶もしていたよ」
「それかな」
 俺は一人合点で、低く唸った。審神者という職に就いた者は、例外なく、俗世と縁を断ってしまう。
 ほとんど外出もしない。月一の定例会議も、電信のバーチャルを利用する。となると、他者との交流機会は、演錬会場に出向く時と、万屋に買い物に行く時ぐらいになる。
 近侍の務めとして、主の外出時は、八割がた俺が供をする。そこで他の審神者と交情が発生したなら、自分が気付かない筈が無い。
 となると、後は演錬でしか、恋の芽生える切欠はない筈だ。
「光坊」
 俺は少し躊躇ったが、思い切って訊いてみた。
「その審神者、どんな男だ?」
「どんなって、例えば?」
「男前だとか、醜男だとか」
「さあ……。余程のハンサムだったら、目についたかもしれないけれどね。生憎、ほとんど記憶にないよ」
 濡れた前髪をむぞうさに掻き上げて、爽やかな笑顔だ。水も滴ると言わんばかりの、本丸一の伊達男ぶりに、うっかり俺でさえ見惚れかけた。
そうだ、と俺は忽然と思った。
審神者もどうせ恋をするなら、いっそ刀剣男士に、心を寄せればいいのに。
 刀の付喪神は本質的に、自分の持ち主が好きだ。身の磨り減る最期まで、主人に愛さる事が望みで、移り気などは起さない。
 増して今は、受肉して、人の世の青年と変らぬ躰を持ち、共に生き、庇い、見守る事が出来る身の上だ。
 人間風情の男に、引けを取るとも思わない。
「それで、鶴さん。これは一体、どういう趣旨の話なんだい?」 
「まあ、端的に言えばだな。うちの審神者に、気のある男が居るかもしれない、って話さ」
「えっ」
 露骨に、光忠の顔色が変わった。審神者の恋愛は、まさに一大事だ。その愕きに俺も共感しつつ、しかし何とはなしに、波立つ様な心地が一瞬胸を過った。
「鶴さん。それ、冗談ではないんだよね?」
「いくら俺でも、こんな不穏な冗談は言わないさ」
「それじゃまさか、先日の対戦相手の審神者が……?」
「いや、まだ何も、確信のある話じゃあないんだがな」
 俺は、ゆっくりと話した。
「光坊も一応、心に留めておいてほしいと思ってな。君は料理やら何やらの話題で、主と私的に接触する事も多いから」
「分かった」
 光忠は気を取り直した様に、いつもの表情に戻った。
「口外法度だね。心得たよ」
「頼む」 
「それにしても、彼女に、そんな相手が」
 凛々しい光忠の眼許が、ふっと細まる。懐かしげな笑みを含んで、遠くを見つめる気配だった。
「まだ、少女だとばかり思っていた。いつの間に、年頃になっていたんだね」
「そうだな」
 俺も、小声で相槌を打った。千歳を生きる俺達からすると、八十歳の媼でも、時に娘に見えるので、あまり当てにはなる感慨ではないが。
 しかし昨年を過ぎた辺りから、確かに主は変った。のほほんと気取りのない性格で、それだけに、まだまだ子どものような認識でいたのだが、見た目は美しくなった。灯影の下では、肌が潤む様に輝いて、指先も透ける様に臈長けた。女性の変貌は不思議だ。
「やっぱり」
 光忠が、独り言の様に呟く。
「人間は、人間が恋しいものかな」
 俺は少し、どきりとした。そうだろうか?
「……解らんなあ」
 主に訊ねた事もなければ、想像したこともない。
 例えば、俺達、刀剣男士の人生は限られている。歴史遡行軍と戦い、自軍の本丸で起居する。それだけが人生で、それ以外の生き方は選べない。
 でも決して、不幸じゃない。刀の本分を全うする事は十分に幸福で、俺でさえ、今の暮らしを単調とは思わない。満足している。
 だが主は?
 審神者の人生にも、制限は多い。
自ら望んだ職とは言え、生まれ育った俗世と永遠に引き離され、接する相手は、付喪神ばかり。
戦が終わらない限り、この箱庭のような異空間――本丸からは、死ぬまで碌に出られない。
 人間が耐えるには、なかなか、せつない時も有るだろう。
それを思えば、同環境に居る他の審神者と、慕わしい気持を抱き合うのも無理はない……、というごく当たり前な理屈に、俺は迂闊にも、今初めて思い至った。
主の顔を思い浮べ、心の中で問いかけてみる。
君は、もしかして、幸福ではなかったのか?
人間でないと解らない――しかし神に囲まれ、誰にも打ち明けられない想いを抱えて、孤独だった?
「……」
俺は、困惑する様な表情だったのだろう。実際、主の返事は予想もつかず、誰より彼女の心を識っていたつもりが、急に自信を失いかけている。
「鶴さん」
 光忠が、ひょいと俺の顔を覗いた。目が合うと、優しく囁いた。
「近侍が、そんな寂しげな顔しちゃダメだよ。皆が不安になる」
 俺はつるりと頬を撫で、
「気を付ける」
 真顔で、重々しく頷いた。
 勿論、俺は寂しい。心配と不安が綯い交ぜになった、仄かな寂寥だ。
 俺達刀は、主が居てくれれば満足だが、人間である彼女は、その限りではない。そして、俺達は一つの人生しか選べないが、彼女は他の選択肢を、常に持っている。
 刀と人間の、決して埋まる事のないこの溝が、今更に寂しい。
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