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終末の16日間と日記と旅

ジャンル: その他 作者: そばかす
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第25話

 彼女は近くにあった黒い学生鞄を引きよせて、中を開けて見せてくれた。ペットボトルがまだ三本見えた。
「ジュースと烏龍茶とお茶とありますけど、まだなにか飲みますか?」
「いや。もうだいじょうぶだ」
 少女の黒い学生鞄は、意外と傷んでいた。この品行方正そうな娘が、鞄をそんなに乱暴に扱ったとはちょっと思えなかった。女子高生といってもずぼらな生徒は少なくない。汚い床の上でずっと鞄を引きずったり、蹴り飛ばすようにして移動したりする生徒もいるほどだ。
 けれど、この手のタイプが鞄を汚しているということは。
「……もしかして、きみ、いじめられたりしてる?」
「――――」
 少女の顔があきらかに強張る。なにか隠していると直感した。
 だが。
 少女は、大きく深呼吸すると、まるで――なにか大きな大会の試合直前のスポーツ選手のように、ほどよく緊張感のある顔で答えた。
「いいえ。いじめられてません」
 ここで、ほんとに? と念押しし、わたしが元教師であることを告げれば、なんらかの進展や変化があるかもしれない。
 ――が。いまのわたしは宗教家。あの放火魔の少年と問答したときのように、人を疑うのはわたしの宗教思想に反する。
「そうか。……ごめん。勘違いだ」
「いいえ。誰だって勘違いしますよ」
 品のいい笑顔がかえってくる。
 こんな感じのいい娘なら、確かにいじめられているということはないかもしれない。
 ――――いや。そもそもいじめがあったとして、どうだというのだ? 学校は休校だとか、そんなレベルの話ではない。仮に授業をおこなおうとしても、生徒も教師も集まらない。なにせ国会でさえ欠席だらけなのだ。各国政府の代表者の演説は、どう見ても生放送ではなく、事前に撮りだめしておいたものばかり。いわゆる核シェルターとやらに逃げこんでいるという噂はあちこち飛び交っているし、お金持ちの中には自宅の地下に巨大なシェルターを持っている者もいるという。
 だが、それがどうしたというのだ?
 もう地球が終わる。
 なにせ日本が跡形もなく消滅するレベルなのだ。
 その核シェルターとやらが日本の地下深くにつくられていたとしても、無事ではすまないだろう。
 海外でも似たようなものだ。地球が無事ですまない以上、誰もが死ぬ。
 中にはスペースコロニーなどという荒唐無稽なデマを流す人間もいた。アニメの見すぎだ。
 確かにロボットアニメの中では実現されているが、少なくとも巨大隕石に気づいた二年前からでは、間に合わない。さまざまな専門家たちもそういっている。わたしもそう思う。
 本格的なスペースコロニーをつくるとなれば、とんでもない量の資材が必要となり、あらたな技術開発もいる。また、それらを分散してつくるにしても、非常に広い工場が数多く必要となる。おそらく、あらゆる国家が力をあわせるしかない。
 となれば当然、もっとやっかいな問題が出てくる。それはある意味技術革新などよりもはるかに困難で、絶対に避けられない問題。
 各国政府の調整だ。
 職員会議を思い返してみればいい。教師という、生徒をまとめる立場にいる立派な大人たちが集まって、収拾がつかないなどということは、ままあった。
 まして、命がけ。
 国家の命運を背負って。
 そんな状態で、異民族である、異なる宗教、価値観、生活習慣をもつ人々と、話しあってまとめるというのなら、間違いなく、二年はそのためだけに消費されることだろう。
 この辺は、一般人のほとんどが感じていることで、頭のいい人も悪い人も、直感的に、スペースコロニー計画など二年で実行は不可能だと思っていた。
 確かに政府は隠していた。滅亡の一ヶ月前というギリギリまで。二年前に気づいたというのに発表していなかった。
 けど、きちんと各国政府は謝罪したのだ。
 ネットの中には陰謀論が好きな者もいて、その謝罪時の発表こそがフェイクだという者もいた。
 つまり、二年前に気づいた、というのが嘘。実際はそれよりずっと前に気づいていたというのだ。そして長年黙っていて、一ヶ月前になって発表し、気づいたのは二年前です、申し訳ございませんでした、と謝罪したのだ、と。
 馬鹿馬鹿しい話だ。
 だが。
 多くの人々が疑心暗鬼に陥る気持ちもわかる。
 いまの世界は混沌としているのだから。

   *

 スカートのほこりを払い、ぐっと伸びをした少女は、健康的ですらりとして、まるで一枚の写真のようだった。
 なんとなく甲子園のポスターに似合いそうだと感じる。
「お兄さんはどちらに行かれる予定だったんですか?」
 彼女がたずねてくる。
「どちら?」
「はい。……そのお顔や服装から見て、かなりの強行軍をしてきたようですよね?」
 わたしは自分の顔をぬぐう。黒い煤が手にべっとりとついた。
 あの放火現場以来、顔を洗っていなかったことを思いだした。
 それに、水も食料もろくにもたずに、歩き続け、あげくに倒れていた。……なるほど。確かにこれでは、われを忘れて、どこか目的地へ向かおうとしていたように思われても仕方ない。
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