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終末の16日間と日記と旅

ジャンル: その他 作者: そばかす
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第24話

「ねえ、兄さん」
 少年がまるで手品のようにポケットからナイフを出した。慣れた手つき。
「もし、放火しなきゃこのナイフで腹を刺す、っていったらどうする?」
 なんでもない口調。それでいてわざわざ〝腹〟と断ってくるリアリティー。
 あのナイフを取りだした動きから見て、さらにいえば手当たりしだい放火して表情ひとつ変えない様子から察するに、この手の暴力に慣れている気配がある。もし――
「抵抗しても無駄だよ」
 少年は、わたしの思考を先回りするようにいう。
「抵抗したら殺す。……いいじゃん。どこの誰とも知らない家に放火するくらい。……なにかその家と因縁でもあるの? だったら他の家でもいいよ。適当に一件放火したら、許してあげるからさ」
 おれは目をしばたたいた。
 周囲のもうもうとした煙が一段と濃くなってきたのだ。始めはバーベキュー程度だったが、いまはちょっとしたキャンプファイヤーほどになってきた。
「あと、十数えて、それまでにできなかったら――――」
「わたしは、やらない」
「どうして?」
「宗教家だから。……そういえば、それを、〝続ける〟と誓ったからだ」
 はは、と少年は短く笑うと、ナイフをポケットにしまった。
「その様子だと、ろくに強盗の類もしてない。てか、まったくしてないんじゃない? 空き巣くらいはみんなもう普通にやってるよ?」
「それも、しない」
 はは、と少年は、ちょっと明るく笑う。
「兄さん、おかしいよ。きっとどこかおかしいよ。おれより、きっと頭おかしいよ」
 放火魔の少年は、はは、はは、はは、と小鳥がさえずるように、間隔をあけてかん高く笑いながら、どことも知れず去っていった。

   *

 夢を……見ていた気がする。
 渇いたのどのいがらっぽさから、もうもうと立ちこめる煙を連想し、以前見た放火現場を思いだしていたような……。
 そののどを――潤すなにかがある。
「……んっ!!」
 これほど驚いたことは、終末騒動後でさえ一度もない。人生でも最高レベルの驚き。
 一度に大量の情報が入りこんできたので、どう解釈していいのか迷った。
 わたしは、端的にいえば、口移しで、水を飲まされていた。
 乾いてかさかさになった唇に、リップクリームでも塗ったようなつるりとした唇を感じる。
 少女――女、どっちととっていいのか微妙に迷うような、発育のいい女子中学生か、発育のやや悪い女子高生といったところの学生服の少女が、わたしに口移しで水を飲ませている。
 久しぶりに飲むミネラルウォーターと思われる水は、めちゃくちゃに、うまかった。うますぎて、わたしは舌を突きだし、少女の舌とからめてしまう。
「ふっ!」
 少女はびっくりして、顔をあげ、ちょっと水をこぼしそうになる。わたしの顔にかかっても、わたしの自業自得だろうに、彼女は顔をあげたまま両手で口をふさぎ、吐きだすのをこらえた。そんな様子が倒れたままのわたしからも見えた。
「……起きて、たんですね」
 少女の声は、さすがにちょっととがめるような響きがあったが、それでも優しげ。
 この終末の世界で――いや、終末以前でも、ここまで優しく話す少女などいただろうか。
 黒い髪を、細い赤いリボンで二箇所結んでいる。その髪型がちょっと子供っぽい。さらにいえば優等生っぽい印象。
 わたしの勤務していた中学で、この手の髪型をしているのは、教師ウケのいい優等生か、地味で目立たない女生徒と限られていた。たいていの生徒はいまどき髪を微妙に染めている。中には中学生のくせにカラコンをわからないのようにつけてくる者までいた始末だ。
「さっき……ごほっごほっ」
 さっき起きたばかりだといいわけしようとしたが、乾いたのどが突如潤ったため、せきが出た。
 そのせきがなかなか治まらない。まだ水を飲みたいという欲求がこみあげてくる。
 そんなわたしを見て、彼女はそっとペットボトルをさしだしてくる。
 見ると、わたしの襟元や地面は濡れていた。
「あの……最初はペットボトルから直接流しこもうとしたんです。……けど……お兄さんが吐きだしたので。それで……しかたなく」
 ちょっとほおを赤らめて、スカートの中が見えないように気にしながらしゃがみこんだ少女がそう弁解した。
 わたしの年齢は少女から見れば微妙だろう。おじさん、と呼ばれても仕方ないかもしれない。大学を卒業してもう一年くらい経っている。
「お水、飲んだほうがいいと思いますよ?」
 少女にうながされて、わたしはペットボトルをにぎった。
 わたしの手はよほど冷えているらしく、その常温のペットボトルの水が温かく感じるほどだった。それとも、少女の手のぬくもりが、このペットボトルにも宿っているのだろうか。
 その飲みやすい温度の水を、わたしはぐいぐいとペットボトルの尻を傾けながら、一気に飲み干していく。
「ぷはぁっ」
 一息吐いてから、全部飲んでしまったことに気づく。
「……あ」
 申しわけなさそうに漏らすわたしに、彼女はほほえんだ。
「ああ。だいじょうぶですよ」
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