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白鶴報恩奇譚

原作: ジョジョの奇妙な冒険 作者: ロコモコ
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漆羽

「ほら早くしないと、身体を冷やしますよ?」
「……随分と勝手だが……まぁ、折角だ」
「はい、是非!」

 確かに、少々強引な申し出には違いない。しかし普段、自分から「何かをしたい」と言う事の少ないこの若者が、積極的に動いたのは彼がこの家へ来た直後以来だ。簀子に身体を低くして待っていると、背後では桶に湯を汲み、手拭いを濡らして絞る音が聞こえる。温かい感触がそっと背に乗ると、程良い力加減で上から下へと降ろされる布の摩擦に男は心地良さを感じて目を閉じた。

「痛くないですか?」
「おう」

 返事を返せば、嬉しそうな声が後ろから戻ってくる。そんな会話を交わしながら、男は肩から掛けられる湯にも安心感を覚えた。
 本来ならば由々しき事態だ。己が誰かに背を許し、これ程までに信用を寄せるなど同居人とはいえ絶対に有り得ない。本当に誰かを娶った所で、果たして自分はここまで相手に心を許せるだろうか? 家に帰ると自分の帰宅を喜び、自分が何もしなくても部屋が片付き、規則正しく食事が並ぶ違和感に最初こそ戸惑ったが、今となっては自分の日常になり始めている。
 彼が何故、男のために此処まで尽くすのかは分からない。本人に聞いてみても「助けてくれた恩がある」と恥ずかしそうに俯くばかりで、しかし男が彼のためにした事と言えば、住む場所を与え、貰った生地で替えの着物を設えてやったぐらいだ。
 寧ろ、此方から日頃の労いをしてやりたい。ふと思い立った男は、浴槽の縁に丸めて置かれた手拭いを手に取った。

「……もういいぜ。お前も後ろ向け」
「えっ」
「礼の代わりじゃねぇが、俺も背中流してやる」
「へっ? あっ、その」

 しかし案の定、男の言葉を受けた若者は戸惑った様子で目を泳がせる。自分なんかが、と言い出す前に男が背を向けるよう再度指示すれば、若者は俯いて渋々方向を変えた。
 男とは思えない程に彼の素肌は白く滑らかに澄んでいるが、しかし間近に見てみれば、その白さよりも赤い傷が際立って目に付く。何度見ても痛々しく背を這う引っ掻き傷の様な痕に、男は若者に痛みが無いか問いながら、出来るだけ優しく布を肌に乗せて下へと滑らせた。
 その時、不意に男の中で一つの邪な疑問が脳裏を過ぎる。

「………………」

 ……この傷がもし、この若者が述べた答えとは『全く違う理由』で刻まれたものだとしたら?

「……承太郎?」

 直後に、そんな事ある筈がない、と男は思い直す。しかし、『ある筈がないと思いたい』と疑う自分が今ここに居る。
 疑い出すと止まらないのが人間の悪い性だ。しかし、次の瞬間には男の心に醜い何かが渦を巻き始めていた。

「承太郎、どうかされましたか?」

 何か様子が変わった事を感じ取ったのか、若者が心配そうに背後の男へ声を掛ける。
 彼が振り向けば動きに合わせて濡れた赤毛が揺れ、長めの髪が首筋から肩へと流れる。その夕暮れ色の瞳が男を映した瞬間、男の中で何かが弾けて壊れた。
 目の前の細い身体に腕を回し、抱き寄せた瞬間にその長い首筋へと噛み付く。突如として後ろに引かれた若者は体勢を崩して男の腕へ倒れ込むが、歯を立てられた皮膚に強く吸い付かれ、その痛みに眉根を寄せて低く呻いた。
 男が、音を立てて唇を離す。赤黒く変色した鬱血痕に舌を這わせ、若者の白い肌には似合わないと身勝手に思った。突然の状況に若者は呆然と目を見開いて固まっていたが、途端に男の腕の中で顔を蒼褪めさせ、怯えた様子で肩を抱き締め身体を震わせ始める。
 男が名を呼べば、若者は瞳一杯に涙を溜めて男を恐る恐る見上げた。

「……悪ぃ」

 何をしているんだ、俺は。
 我に返った男は突き放す勢いで若者を解放し、身を隠し逃げるように湯船の中へ滑り込んだ。独り残された若者は唖然と背を向ける男を見つめていたが、何を思ったのか、男の後を追って湯の中へと入ってくる。
 見ずとも気配を感じた男が「来るな」と言えば、彼は近くには寄らずに間隔を保って湯に身を沈めた。

「……気付いてたんですか?」

 若者の言葉に、男の眉間にきつく深い皺が寄る。

「……何がだよ」
「この傷の事……僕が、何をしていたのかも」
「ッ……テメェ、やっぱり……っ!」

 混み上げてきた怒りに男が振り向く。しかし、自身を抱えて俯くその怯えた姿にそれ以上は何も言えず、口を噤み言葉を詰まらせた。
 さめざめと涙を流す若者は、肩を震わせ一言「すみません」と呟いた。若者が謝罪しなければならない理由は何処にもなく、何か嘘を吐いた事に対しての言葉なのかどうかは男には分からなかったが、何かを問う事も出来ずに男は若者から目を背ける。
 正直を言えば、謝罪しなければならないのは男の方だ。彼には彼の人生があり、彼なりの生き方があるだろう。己の留守中に彼が『何をしようと』男には関係無く、身勝手な横恋慕にも似た想いを年増も行かぬ少年に押し付けて怯えさせてしまった。
 その上、無い罪を怒鳴り謝罪まで。それでも若者は頭を垂れたまま、消え入りそうな声に言葉を乗せて精一杯絞り出す。

「我慢、してたんですね。ずっと」
「……別に、最初から『そういうつもり』だった訳じゃねぇ」
「いいんです……いいんです。知られてしまった以上、もう此処には居られない」
「……あ?」

 どういう事か、と少し戸惑う視線を男が向けた。ゆっくりと上げられた若者の怯える顔は、切なくも美しく、頬を濡らしながらも微笑んでいる。

「でも、でも……僕は、承太郎が満足するなら本望だ」
「何……?」
「どうぞ、好きなように扱って下さい。此処を出てからでも、汚れるのが嫌なら今この場所でも」
「……おい、花京院」
「本当に楽しかったです。……今まで、ありがとうございました」
「おい」

 手を伸ばし、その蒼白い頬に触れる。飛び上がって身体を強張らせた若者の顎を上げて上を向かせると、男は揺れる瞳を見下ろす様に覗き込む。

「花京院……お前、間違い無く『好きに扱え』と言ったな?」
「…………」

 若者は何も答えない。しかし、その眼差しは決意を灯して真っ直ぐに男を見つめ返している。
 直後、そっと閉じられた瞼が男の心を逆撫でするように火を付けた。

「……分かった。それがテメェの答えなんだな」
「………………」
「恨み悔やみは言いっこ無しだぜ。言い出したのはテメェの方だ」

 男が白い首筋に擦り寄り、その甘い色香を感じながら唇を啄む。その頬は変わらず濡れ、美しい夕暮れ色の瞳は揺れながら静かに伏せられるが、その瞬間、微かに嗚咽を漏らした若者がぽつりと小さく言葉を零す。

「……悔いはありません。でも、ほんの一つだけ」
「……何だ」

 微笑む口元は怯えに震え、彼は諦めにも似た何かをひたすらに耐えている。

「僕は貴方が好きです。……側にいるだけで、幸せを感じる程に」

 男は放たれた若者の言葉に、心を揺さ振られるような強い衝動をその胸に感じた。

「……上等だ。だが、俺も出来る限り優しくすると誓う」
「………………」
「心配するな、花京院。俺もちゃんと、お前の想いに答えてやるから」

 静かな雨のように涙を流し、震えるその唇に優しく口付ける。深く重ねながら相手を求め、温かい若者の体温と甘い薫りに切れそうな理性を懸命に握り締めた男は、美しい白い肌へとその指を滑らせていった。





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