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白鶴報恩奇譚

原作: ジョジョの奇妙な冒険 作者: ロコモコ
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禄羽

 翌日の昼。
 男が一時間掛けて道を戻ると、外では若者が薪割りに勤しんでいた。洗濯物が風に揺れ、ある程度の家事は済ませた後である事が伺える。昨日から続けているらしい薪割りも、備蓄出来る限界の量に増えた薪が納屋の横に積み上げられていた。

「お帰りなさい」

 風も冷え込む寒空の下、白い息を吐いた若者がたくし上げた袖で汗を拭う。笑顔を向けて自分の帰宅を喜ぶ相手に、咄嗟に男は顔を逸らし、小声で「戻った」と若者に答えた。

「……それより花京院、お前、寒くねぇのか」
「この位なら平気ですよ。寒さには強いんです」

 まだ雪の残る庭先で着物一枚をたすき掛けにし、細腕を振り上げる姿は体格に似合わず何とも逞しい。乾いた音を立てて半円柱の木が四分割にされた所で、若者は割った木を積み上げ、斧を片付けて脇の古布で手を拭う。

「承太郎も、暫く歩いて腹が減ったでしょう。お昼にしませんか?」
「……そうだな」

 若者に促されるまま家に入り、荷を下ろしながら草履を脱いで座敷へと上がる。美味そうな匂いが囲炉裏から立ち込める中、男は後に続いて入ってきた彼に大きな袋を渡して「晩飯に」と補足した。
 その重さに一瞬顔を歪めた若者は、その『甘い匂い』に目を大きく見開く。

「……まさか、米?」
「今晩は久し振りに飯が食えるぜ。お前も腹一杯食って良いからな」
「あ、ありがとうございます!」

 わざわざ、重い米袋を担いできた甲斐があった。
 嬉しそうに目を輝かせる若者に、男もつい顔を綻ばせる。その時、男は同時に持ち帰った品を思い出し、床の上へ風呂敷の包みを広げた。
 何だろう、と不思議そうに横から覗き込んでいた若者が、不意に息を呑む声を男は耳にする。

「お前は『これ』を俺の好きにしていい、と言ったな。だから俺の好きに扱わせてもらったぜ」

 包みから取り出し、広げて見せたのは一着の真新しい着物だった。その純白に輝く生地はまさに若者が男の為に織った布であり、丁寧に縫われ、仕立てられた着物は若者の背丈に合わせて設えられている。
 目の前に差し出されても、若者は両手で口を覆ったまま言葉も出ずに驚いている。気に入らなかったか? という男の問いに、若者は即座に首を横に振った。

「……まさか、僕の為に……?」
「お前の服はもう古い。前から着替えを用意してやりたいと思っていた所だったからな」
「で、でも、僕は承太郎の力になれれば、と思って、自分の為では……」
「……そういえば、得意先がこの生地を欲しいと言ってきてたぜ。まだ糸は余ってるか?」

 男の言葉に、若者はやっと着物を受け取る。己が織った柔らかい生地に顔を埋め、目を細めて小さく礼を呟いた若者は、仄かに赤くした目元を手の甲で軽く擦った。

「……本当に、ありがとう承太郎。今日、湯浴みの後で早速着てみます」
「おう。腰帯は俺のを適当に使え」
「はい、有り難く」

美しく、心から嬉しそうに微笑む少年の眼を見て、男も思わず嬉しく感じる。これ程までに、誰かのために行動した事を良かったと思うことがあっただろうか。
少し高揚した気分もそのままに、手短に身支度を整えた男は玄関を出る。笑顔で見送ってくれる少年に手を上げ、久々に湖へと足を運んだ。
変わらず美しい湖の畔に腰を掛け、男は見たままの風景を線に起こしつつ筆を紙に走らせる。輝く水面、揺れる水草、時折翼を広げては美しい姿を見せてくれる『彼等』も見逃す事無く全て紙に写し取り、描いたものは資料として数枚に分けて束ねた。
 あの大雪と吹雪で心配していたが、その分人間も近寄れなかったようで群れは皆元気そうだ。彼等の確認も取れた所で、陽も傾き掛けた頃にやっと男は湖の畔から腰を上げた。
 男が家へ戻ると納屋の煙突から煙が出ており、声を掛ければ釜戸の裏から若者が顔を覗かせる。もうすぐ沸くので、と微笑んだ若者は、着替えも既に準備している旨を男に伝えて立ち上がった。

「……何だったら、お前が先に入るか?」
「そ、そんな! 恐れ多いので、僕は後で……!」

 そこまで気を使う必要も無いと思うのだが、と男は苦笑するが、はにかみながら顔を赤くする若者に何故かそれ以上は何も言えず、取り敢えず「身体を冷やさないように」と言付けて家に入った。
 画材と写生した紙を片付け、用意してくれていた着替えを持って勝手口を出れば、丁度戻ってきた若者に「沸きましたよ」と伝えられる。男が納屋の後ろにある風呂場へと向かう途中、すっかり陽の沈んだ外は風が冷たく、数歩の距離でも身体を冷やした。
 服を脱ぎ、湯を被り、風呂釜の上に檜を張った湯船に浸かれば、男は暖かな心地良さに深く息を吐き出した。
 今頃、夕飯の準備でもしているのだろうか。昨日一晩は、独りで何をしていたのだろうか。
 無意識の内に若者の事を考えながら手拭いで身体を洗っていると、ふと、戸を叩く音の次に外から自分を呼ぶ声が聞こえる。

「湯加減、如何ですか?」
「花京院か。ああ、熱さも丁度良い」
「それは良かった」

 優しい、聞き慣れ始めた若者の声。自分以外の誰かと居る気恥ずかしさと安心感に男が微かに笑みを浮かべた瞬間、「失礼します」という声と共に風呂場の戸板が横に開かれた。
 突然の事に目を丸くして驚く男に構わず、冷気が入る前に閉められた戸の前には襦袢姿の若者が立っている。何の迷いもなく己の方へ接近してきた相手に、男は咄嗟に立ち上がって退がり、狭い風呂場の中で慌てて距離を取った。

「なっ、何だ何だ何だ、どうした」
「僕、考えたんです。一緒に入ってしまえば一緒に夕餉が食べられますし、昨日今日と遠出されて、承太郎も疲れたでしょう? だからお背中流して差し上げようかと」

 思わず、言葉を失う。若者の様子に他意は感じられないが、それ故に質が悪いと男は呆れた様子で額を押さえた。
 今の男にとっては正に有り難迷惑な話だ。彼の気遣いは大変に嬉しいが、このままでは自分に害があると判断した男は、懸命に視線を逸らしながら湿気で透け始めた襦袢を指して若者に訴える。

「……じゃあ、せめてソイツは脱いでこい。女の真似事をされるのは御免だぜ」
「変でしたか? 裸で入るのは流石にどうかと思って、つい……失礼しました」

 指摘を受けて若者は不思議そうに目を丸くしたが、しかし男の言う通りに紐帯を外し、背を向けて襦袢の布を肩から下ろした。
 瞬間、その肌を見た男は険しい表情で目を見張る。

「……おい、花京院」
「はい?」
「その傷はどうした?」

 ミミズ腫れ、と言うには生優しく、切り傷にしては出血が無い。引っ掻いたり刺したりしたような痛々しい赤い筋が肩甲骨に沿って、白い肌に幾つも刻まれ腫れ上がっている。まるで何かで叩かれたような、抓られたような……異様な痕に男が問うと、若者は少し困った様子で笑んでみせた。

「あ……えと、傷になってますか?」
「何?」
「実は僕、その……せ、背中を掻くのが苦手で」

 機織りに使う、糸を通す道具を孫の手代わりにしていた、と若者は言った。
 どうにも引っ掛かる声色で返された答えだが、堅い木で皮膚を擦った、と言われては納得できない事もない。触れる事も躊躇われるほど腫れた傷を若者はさして気にした様子も無く、襦袢を脱衣所に投げ戻して素早く入口の戸板を閉じる。
 男から手拭いを取り上げる形で受け取った若者は、簀子の上に座り直すよう男を促した。





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