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白鶴報恩奇譚

原作: ジョジョの奇妙な冒険 作者: ロコモコ
目次

肆羽

 男は若者に言った。吹雪が止んだら、一緒に街へ降りよう、と。

「この季節に、あの山を越えるのは死にに行くのと同じだ。街に降りれば俺の知り合いも居るから、仕事が欲しいなら俺が口を利かせてやるぜ」
「ですが、そんなご迷惑は……」
「お前の家族には、俺が『挨拶』も兼ねて伝えておく。心配するな」

 貧しい家に育った者なら、願ってもない申し出の筈。しかし、若者は暗い顔をして俯いたまま何も言わなかった。
 ただ一向に風は止まず、雪を巻き上げては世界を覆い尽くしている。歩き慣れた庭先ですらも遭難しそうな程に真っ白な外は、この家に住み慣れている男ですら、迂闊に出ていけないような状況だった。
 そんな中、若者は男以上に大変よく動いていた。元々働き者だったのか、する事が無いだけなのか……冷水を物ともせずに洗濯をし、離れの納屋へ薄着で出ていって薪や野菜を持ってきたり、昼食の炊事も掃除も、男が筆を持っている間に全て終わらせてしまっていた。

「勝手な事だと分かっていますが……せめてここに居させて戴いている間だけでも、何かお役に立てればと思いまして」

 彼が作る昼食は均衡の取れた彩りで、男は久しぶりに鍋以外の料理を口にした。味付けは正に絶品と呼べるもので、家事は全て家の者に教えてもらった、と若者ははにかみながら男に答えた。

「……ですが、『美味しい』と言って戴けたのは初めてです」

 感謝の言葉を述べながら微笑む若者に、男は思わず目を逸らす。
 彼がもし女だったなら、これ以上に無い良妻賢母になっただろう。働き者で家事も得意、美人で器用で優しい心も持っている。白い肌に良く映える赤毛の髪は、ある種の人間は気味悪がるかも知れないが、男はそれすらも美しいと感じた。
 何故、これ程までに良く出来た若者を、彼を拾った家の者は追い出したのだろうか。男はそこが疑問でならなかった。

「お前ほどの有能な男を、家の者は何故『奉公』に出したんだろうな」
「え……?」
「街へ出れば、お前なら幾らでも働き先を見つけられる。それとも来た道を引き返して、家へ帰る選択肢もあるにはあるがな」

 若者は俯き、手元に視線を落として黙り込む。憂いを見せるその瞳は、帰る所など無い、と言いたげに思えた。それはあくまで男の推測でしかないが、若者は自分の事になると途端に口を閉ざしてしまう。故に男もまた、一時の客人にそれ以上は問わなかった。

「まぁ、雪が止むのを楽しみにしてな」
「……はい」

 彼なら立派に生きていけるだろう。男はそう確信していたが、その若者は影の差した表情で下を向いてしまう。まるでそんな彼の心を映した様に、翌日も、翌々日も、風は外を吹き荒んで雪を巻き上げていた。
 溜め息を吐く男の後ろで、今日も若者は何処か安心した様子で他人の家を掃除している。彼がこの家に居る事に対しては何の不自由も無いのだが……というより、寧ろ若者が居てくれるお陰で大いに助かってしまっている現状が、男を少しずつ焦らせ始めていた。
 普段なら今頃に尽き始める筈の食料も彼の管理によって随分と余裕があるし、薪割りやその他の力仕事も全て彼がこなしてしまうため、男は自分の仕事にほぼ一日集中して取り掛かる事が出来た。次に街へ行った時に換金する分はとうに仕上がり、写生のネタも尽きてしまった今は、若者と一緒に隣の『倉庫』を片付けるまでに至っていた。
 この家にやってきてから一度も触った事の無い道具を手に取り、使える物と使えない物とに振り分けて玄関の前に出していく。
 何故、自分が赤の他人とこんな事を。男がそう思った時、部屋の奥から自分を呼ぶ若者の声が響いた。

「承太郎様、この織り機はどうされますか?」

 若者が示すそれは、前の家主が置いていった古い布織り機だった。絵師である男が扱える訳もなく放置していた物だが、「まだ使えそうだ」という若者に男は首を振って「必要無い」と答える。

「俺は全く分からんし使えねぇ。その内、薪にでもするぜ」
「そうですか……あの」

 何か言いかけた若者に男が振り向くと、彼は少しだけ口篭もって、恐る恐る男を見上げた。

「……もし良かったら、使わせて戴けませんか? 雪が止むまでで構わないので」
「これを、お前がか?」

 はい、と頷く若者は、この数日間見せた事の無いほど切望した目を男に向ける。糸も道具も揃っているから暇潰しになる、と説明を受けてしまえば、雪の吹き荒れる外を知る男は頷く他無い。

「……まぁ、好きにすればいい」

 仕事が終わっている以上は、機織りの音は気にならない。男が許可を出すと、若者は嬉しそうに笑みを浮かべた。
 数日経ってやっと気付いた事だが、男は若者の笑顔がどうしても苦手に思った。その眼が細められるだけで、何でも許してしまいそうな程には意識してしまっている。男が焦る理由は、そんな邪な感情にも確かに存在していた。
 彼はそれ程に美しいのだ。それはまるで、あの湖を優雅に泳ぐ白翼を広げた鶴の様に。
 夕飯後、恥ずかしいから見ないで欲しいという若者の言葉通りに、男は大人しく囲炉裏の前で写生した資料を見返す。心地の良い規則的な音は、男がいつの間にか眠ってしまった後もずっと、家の中に響き渡っていた。


*


「おはようございます。ご飯、出来てますよ」

 優しい声と共に揺り起こされ、男は未だ働かない頭をゆっくりと持ち上げた。囲炉裏には味噌汁が鍋の中で湯気を上げ、側には三種類の菜が乗った皿も構えられている。
 陽はまだ登ったばかりの様で、外は相変わらず風の音が激しく吹き荒れているが、若者は慣れた手付きで湯飲みに白湯を酌むと男に差し出した。

「囲炉裏の近くで眠って、喉が乾いたでしょう」
「……お前、あれから寝てねぇのか?」
「いいえ、ちゃんと休ませて戴きましたよ。さぁ承太郎さん、起きて下さい」

 膝を着き、椀に味噌汁をよそう姿は既に男の姿ではない。受け取った湯飲みの中を空にした男は身体を起こし、首を鳴らして背筋を伸ばす。すっかり慣れてしまった朝の光景に、男はぼんやりとした目で軽く頭を掻いた。
 楽しげな笑顔を見せる若者に、男は静かな声で彼の名を呼ぶ。

「……花京院」
「はい、承太郎様」

 すぐに返ってくる返事。男は言葉を続けた。

「……お前、他人の家で働く事がそんなに楽しいか?」

 純粋な疑問だった。若者は、男が『何者であるのか』まるで知らない。なのに媚びを売る訳でもなく、強要した訳でもないのにせっせと身体を動かして男の為だけに全てを完璧にこなしている。
 働くのが好きなだけかと思えば、二言目には「役に立てるのなら」。そう微笑んだ若者の笑顔に、男は大変戸惑っていた。
 これでは、まるで。

「少しでも、貴方のお役に立てているのなら……僕はとても楽しいし、嬉しいです」
「……だがな、花京院。俺は別に構わねぇが、お前も男なら……」
「そうだ、お見せしたい物があるんです」

 男の言葉を遮って、若者は徐に立ち上がると昨日掃除した部屋へと入っていった。数秒も経たない内に若者が部屋から出てくると、その手には一枚の布が乗せられている。
 彼に渡された七尺程の布は、麻よりも強く、絹よりも滑らかな純白の着物生地だ。外を舞う雪の様なその輝きに、男は思わず言葉を失う。

「……お前が、織ったのか?」
「昨日一晩では、この長さが限界でしたが……糸はありましたし、これを一着分まで仕上げて街へ持っていけば、きっと誰かが買ってくれる筈です」
「……だろうな」
「貴方が僕に『自分で稼げ』と仰有るなら、こうしてお金に替わる物を用意できます。今までと変わらず家の事もしますし、絶対、ご迷惑はお掛けしません」

 若者は男から一歩下がり、手を床に着いて頭を打ち付けそうな程に深く頭を下げる。少しも顔を上げる事無く、彼は「此処に居させて下さい」と唖然とする男に向かって精一杯に懇願した。
 自分が親に捨てられた事には気付いている、と彼は言った。拾い子である事を差別され、髪の色を異端と罵られ、辛い暮らしから逃れられるなら、と、有る筈もない奉公先への旅へ出た事も若者は語った。
 帰る宛など無い。そう呟いた若者に、男は小さく舌を打つ。

「……もし俺が『嫌だ』と言ったら、お前はどうする?」
「貴方がそう仰有るならば、僕は潔く此処を出ていきます」
「だが、行く宛は無いんだろう。自分で稼いで、生きていけるか?」
「貴方の元以外で働くつもりはありません」
「……お前な」
「承太郎様、貴方は命の恩人です。貴方に拾われたこの命、貴方の為に使いたい」

 真っ直ぐな瞳を向ける若者に、男は深い溜め息を吐いた。今、男は脅迫されているのだ。此処に置いてもらわなければ、己は死ぬ覚悟だと。
 やれやれ。額を押さえ、髪を掻き上げると男は再度息を吐く。

「……承太郎、だ」
「え?」
「“様”は要らねぇ。承太郎、でいい」
「あ……あ、ありがとうございますっ」

 今にも泣き出しそうな、本当に嬉しそうに潤む瞳。何度も感謝を述べる若者を男が制し、少し遅れた朝食を二人で並んで平らげた。
 若者は午前中に家の用事を全て済ませ、昼食を食べ終わると昨夜と同じように隣の部屋へ引き篭もる。何度か男は若者を呼んだが、その都度、返ってくる言葉は一つだけだった。

「すぐ行きますので、少し待っていて下さい。絶対に開けないで」
「何なんだよ、まさか裸で作業してんじゃねぇんだろ?」
「……そうではないですが、恥ずかしいんですよ。お願いします」

 開けるな、と言われては、開けたくなるのが人間の性分というものだ。
 しかし、男は何となく若者の言葉に従い、決して此方からこの扉を開ける事はしなかった。




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