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白鶴報恩奇譚

原作: ジョジョの奇妙な冒険 作者: ロコモコ
目次

参羽

 鶴を放して二月が経った、雪吹き荒ぶ白銀の夕方。
 戸板を叩くような物音に、男は筆を止めて玄関に目を向けた。

「…………?」

 すっかり陽も陰り、外は既に暗くなっている。戸を揺らしたのは果たして風か生き物か、男は警戒を見せながらもゆっくりと座敷を降りて玄関へと歩み寄った。
 台所の雨戸からは死角になって、誰か居るのかその姿は確認できない。そのため男はすぐには答えず、戸板にそっと耳を寄せて外の気配を慎重に探る。すると間近に二度、とんとん、とはっきり戸を叩く音が聞こえた。

「……誰だ」

 男は静かに問い掛ける。その時、風の中から若い男の声が返ってきた。

「旅の者です。少し、休ませて戴けませんか?」

 声からして、まだ少年と呼べる年頃か。聞き覚えの無い声に『旅の者』と言われては、普段なら絶対に相手になどしないのだが……外は一寸先も見えない猛吹雪、このまま彼を無視すれば、間違い無くこの若者は凍死する事になるだろう。
 再度戸を叩く音に男は溜め息を一つ吐き、鍵代わりの棒を外して戸板の縁に指を掛けた。

「早く入れ」
「あ、ありがとうございますっ」

 横に引いて戸を開けた瞬間、強烈な冷たい風が一気に中へと吹き込んでくる。白雪と一緒に分厚い藁蓑を纏った人物が入ってくると、男は急いで戸を閉め切り、風で戸板が外れないよう棒を填め直して鍵を掛けた。
 招き入れた客を見れば、思ったよりも背の高い相手である事に気付く。雪の被った傘と蓑を下ろしたその客は、再度礼を言いながら男に振り返って柔らかく微笑み掛けた。
 その瞬間、男は動く事も忘れて彼に目を奪われる。

「……お前……男、か?」
「え?」
「あー……いや、何でもない」

 思わず、頭を掻いて言葉を濁す。まるでお伽噺に出てくる天女の様な容姿と透き通った水底のような声は今まで見た事も聞いた事も無く、その凛とした姿は何処ぞの姫君かと見間違う程に美しく、とても端麗な見目だった。
 少し長めの珍しい赤毛に、陽が沈んだ間際の様な瞳。男はその眼差しに思わず息を呑んだ。

「こんな日暮れに申し訳ありません。急に雪が強くなってしまって……」

 若者は蓑を地面に置いて毛皮を脱ぐ。しかしよく見れば彼が纏う着物は少し古びており、身体の細さから裕福な家柄という訳でもなさそうだ。先程、外にて『旅の者』と言っていたように思うが、この若者はこんな吹雪の中、何処へ向かうつもりだったのだろうか。
 改めて此方へ向き直った若者は、男に深々と頭を下げた。

「私めは『花京院』と申す者です。泊めて下さい、とは言いません。今立っているこの場所から動かないとお約束もします。どうか、風が収まるまで留まらせては戴けないでしょうか?」

 風が止み次第、ここから出立致しますので。
 そう淡々と述べる若者に男は唸る。今、風が止んだとしても、山の天候はすぐに移ろうものだ。たとえ日が高くても雪が舞えば地元の民すら道に迷うのに、闇夜を彷徨えば吹雪に巻かれてあっという間に命を落とす。
 もし行き先が近くの集落であろうとも、このまま外へ出して彼が死ねば、その責任は間違い無く自分にあるだろう。家が無いこの付近で、雪解けにその朽ちた身体を見つけるのもどうせ自分なのだ。
 やれやれ。男は少々、乱暴に頭を掻いた。

「……おい、お前」

 若者に声を掛けると、本当に戸板の前から動かないつもりでいたらしい若者が驚いた様子で男を見る。飯は食ったのか、との問い掛けに、若者は何も答えずに首を横に振った。

「唇の色が悪い。適当に履きモンはそこで脱いで、火の側に座ってろ」
「え……し、しかし……」
「どうせ今日は外へ出られねぇ。泊めてやるから、明日に備えて飯は食っとけ」
「……あ、えと……」

 男は玄関から座敷へ上がり、部屋の隅に置かれた大きな葛籠(つづら)の蓋を開けて毛皮を縫い合わせた毛布を若者へと投げ渡す。すぐに草履を履いて炊事場へと降りると、呆然と毛布を抱き締める若者に「早く上がれ」と手を振って促した。
 彼は慌てた様子で草履を脱ぐが、履き物を丁寧に揃えて座敷へ上がる若者の仕草に男は思わず感心する。家は貧しくとも、受けた教えは良いらしい。

「おい、お前」
「はい」
「歳は幾つだ?」
「あ……すみません、歳を数えた事がなくて」
「……なら予想で良い。何年生きてる?」
「た、多分……十七、八程かと」

 成る程、と男は相槌を打った。
 確かに妥当な線ではなかろうか。背は高いが、まだ幼さの残る顔立ちは相応の見目だと男は思う。炊事に手を動かしながらも横目で若者の様子を窺っていると、彼は渡した毛布を肩から羽織り、心地良さそうに目を細めている。
 仕事終わりにすぐ食べられるよう、下拵えをしてあった鍋の魚に切った野菜を乗せて二人分の小皿と箸を持つ。男が座敷に上がった時、正座していた若者が慌てて膝を立てた。

「て、手伝います」
「いいから座ってろ」

 立ち上がり掛けた若者は男に制され、再び汐らしく腰を下ろす。
 茶瓶を外して鍋を火に掛け、男は木錫で中を掻き混ぜる。すると若者は、何が珍しいのかぐつぐつと沸く鍋の中をじっと静かに見つめていた。

「……花京院、と言ったか」

 男が声を掛けると、若者はすぐに「はい」と答える。

「この辺では聞かねぇ名だが、『花京院』とは本名か? それとも別に、名前はあるのか」

 癖、と言ってしまえば、それまでの事かも知れない。他人に対して疑って掛かるのは男の『職業柄』仕方の無い事であり、知らない相手の素性を問うのは安心したいという本能にも似た感覚だった。己の血筋からも自分を狙う者は数知れず、男は少しの反応も見逃さないよう若者の仕草と態度を探る。
 もしかしたら身なりも態度も、道に迷ったという言葉も嘘である可能性が拭えない。しかし男の不安とは裏腹に、返ってきた返事は少しだけ暗い声音で語られた。

「……確かに、親から貰った名ではありません。ある廃寺の名称だった、と聞いています」

 何だか、穏やかではなさそうだ。男は少し怪訝に思いつつ質問を続ける。

「仕事は何をしている? 旅の者、と言ったが、こんな季節に何処へ向かう?」
「山を越えた瀬に遠縁の親戚がいる、と家の者に聞きました。この雪で困っているだろうから、奉公へ向かうようにと……」
「……山を越えた瀬、だと?」
「ええ」

 まさか、と男は耳を疑う。
 その地域までは、文字通り此処から山を越えて二日も掛かる道のりを歩かなければならない。幾ら毛皮や蓑を着込んでもこの雪では自殺行為に等しく、山へ入った時点で生きて峠に辿り着く事は出来ないだろう。
 そうと分かっていて彼を家から出したのであれば、それはもう立派に子殺しだ。この少年、もしかすると口減らしの対象にされたのかも知れない。

「……家族は多いのか」
「え、まぁ……決して、少ないとは言えませんが……」

 こんな雪の日に旅人など、怪しいと思った通りだ。男は溜め息の代わりに深く息を吸った。
 若者の養父母が何を考えて彼を家から『削った』のかは理解したくもないが、男の自分から見ても美しいと思う彼の見目を考えれば、運が良ければ誰かが拾ってくれるかも知れないという甘過ぎる考え故だろうか。
 不思議そうな表情を浮かべる若者に、男は右手を差し伸べた。

「……俺は承太郎だ。花京院、で良いんだな?」
「は、はい……承太郎様、ですね。今日は本当に、有り難うございます」
「おう」

 辿々しくも若者は右手を握り返し、男はその意外な程に温かな手を離す。しかし痩せ細った手や腕を見ると、少年の過ごしてきた生活が如何に苦しかったのかを垣間見た気がした。
 その夜は魚の出汁が利いた温かい鍋を二人で分け合い、囲炉裏を挟んで暖を取りながら、毛皮に包まって二人は夜を明かした。翌日に男が先に目を覚ますと、向かい側では若者が丸まって眠っている。
 外を覗くと相変わらず強い吹雪が辺りの視界を完全に白く閉ざし、男は深い溜め息を吐いた。

「……やれやれだぜ」

 今まで、吹雪が続くなど有り得なかったのだが……まるで、若者を此処へ招き入れるために風が巻いているようだ。
 突然の不思議な客を見て、男は漠然とそう思った。





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