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白鶴報恩奇譚

原作: ジョジョの奇妙な冒険 作者: ロコモコ
目次

弐羽

 三日後、鶴は相変わらず戦っていた。
 男が鶴に触れようとした瞬間、鶴は自慢の嘴で男の手を狙う。職業柄、手を怪我する事を恐れているらしい男は迂闊に近付こうとはせず、徐々にその距離を詰めていく。隙を突いて長い嘴を掴もうとするが、鶴は紙一重で男の伸ばした手を躱した。
 しかし鶴と人間の持久力の差は歴然で、疲れて鈍くなった鶴は遂に嘴をその手に捕えられてしまう。男から逃れようと必死になって首を振るが、細い首は男の逞しい腕には適わず、その内完全に抵抗を諦めた。

「……毎度毎度、手こずらせやがって」

 身体を横に倒され、露わになった足に男が手を伸ばす。その指が右足に触れ、硬くなった巻布が皮膚から剥がされ始めた瞬間、右足を襲った痛みに鶴はくぐもった鳴き声を出した。
 男は手慣れた動きで汚れた布を取り払い、先に薬を塗って準備していた新しい布を右足に素早く巻き付ける。鶴に負担を掛けないよう早急に作業を終えた時、やっと男は鶴の嘴と首を離した。
 頭を振って身を落ち着かせる鶴に、若干息を乱した男が指を差して強く言い放つ。

「喜べ、鳥。包帯交換はこれで最後だぜ」

 やれやれ、と溜め息を吐く男に、鶴も心の中で胸を撫で下ろす。しかし、慣れ始めた男との生活もあと一晩で終わる事を考えると、鶴は何処か収まらない感情に胸を焦がしていた。
 このままでいいのだろうか、と思い悩む。しかし相手は人間、人は自分達を身勝手に殺し、羽根を毟り、皮を剥いで贅沢のために肉を食べる。……もしかしたら彼は違うのかも知れない、そう思いたい心も鶴の中には芽生えていたが、一方で、頭の片隅では人間を信用してはならないと警鐘を鳴らす自分もいる。
 素直に昼食を食べ終えた鶴がそんな事に頭を悩ませていた時、ふと、外に気配を感じて戸板の向こうに視線を向けた。
 何者だろう。足音からすれば人間だが、相手は男の仲間か、それとも敵か。
 その途端、不意に鶴を抱え上げた男は、鶴の嘴へ口輪を填めて鳴き声を出させないようにした。突然の事に鶴は慌てるが、「すまない」と小さく謝罪する男の声を聞いて動きを止める。

「頼むから、静かにしててくれな」

 その様子に、鶴は緊張感を持つ。男は鶴を隣の部屋へ隠して戸を閉めると、戸を叩く外の人間に返事を返した。
 部屋というには決して広くなく、倉庫のようになっている埃臭い空間に鶴は中の様子を見渡す。光が入らず薄暗い部屋の中には特に目立った物は何も無いが、しかし、その奥には立派な布織り機だけがどんと設置されていた。その古さ、埃の具合から男の物ではない。男が此処へ来る前に住んでいた人間が残していった物だろう。
 その時、隣の部屋で戸板が開く音が響く。

「……土地の買い戻しなら断った筈だぜ」

 そして直後に、男が訪ねてきた客に言った。すると、鶴にとって初めて聞く人間の声が家主である男に返す。
 やはり人間だったか。男の口調から鶴は相手が恩人の敵であると判断し、息を潜め、男の言った通り音を立てないよう一切の動きを止めて耳を澄ませる。

「いえ、ね。実は近所の猟師が、間違ってお宅の敷地内に獣用の罠を仕掛けてしまいまして……」

 その人間が放った言葉に鶴は息を呑む。きっと、自分が掛かってしまった罠の事だ。
 しかし、男は「知らねぇな」と不機嫌そうな声で答える。

「だが罠をウチの庭に仕掛けた事に関しては見逃せねぇな。誰の私有地か知ってて言ってんだろう?」
「わ、私めが仕掛けた訳ではありませんが……」
「だったら早く回収して帰れ。俺は、あんたが此処へ来る事も許可してねぇぜ」
「あの、でしたらせめて、この近くで狩猟をする許可をお出し下さいませんか? もちろん相応の『お礼』はさせて戴きますし、近隣の猟師達も貧しい身でございます故」

 鶴は、自分を罠に掛けた相手の人間に強い殺意を抱く。彼等の狙いは明らかに自分達であり、生きて帰せば、また罠を仕掛けに来るかも知れない。
 しかし怒る鶴とは逆に、男は小さく笑い声を漏らした。

「……あんた、俺が誰か知らねぇのか?」
「は……?」
「まぁいい。これだけは言っておくが、この近辺の猟師達には土地を買い取った際に相応の礼金を払ってある。その上で二ヶ月毎に一本『飯の種』を渡してるんだ、貧しい身だとは口が裂けても言えねぇ筈だぜ」

 家主は「やれやれ」と溜め息を吐く。次の瞬間、相手の男の顔が強張った。

「この家を訪ねて来る人間は、俺を『土地の所有者』としか見てねぇ密猟者だけなんだよ。俺はテメェを知らねぇ、テメェも俺の事を知らないのなら、テメェ等が狙うモンは一つだろ?」

 テメェ等のような無駄殺しの連中から、湖を護るのが俺の仕事なんだよ。
 彼が言い放ったその言葉を聞いた瞬間、鶴の心に殴られたような衝撃が走った。しつこい程に自分達の翼を狙う人間共が居る一方で、自分を救ったこの男のように、ここまで自分達を愛し守ろうとしてくれている人間も居る。
 鶴は嬉しかった。同時に、まるで胸が締め付けられるような、彼に対する感謝の想いで心が満たされた。最終的に男は招かれざる客を追い返す事に成功し、戸板の閉まる音が聞こえてすぐに部屋の扉が開けられる。

「急に悪かった。埃臭かっただろ」

 その眼は鶴を慈しみ、優しく抱え上げる腕は大事そうに鶴を包む。
 鶴がそっと男に首を擦り寄せると、彼は少々戸惑うが、嬉しそうに微笑んで赤い頭を撫で返してくれる。
 口輪を外し、鶴を囲炉裏の側に下ろすと男は低く囁いた。

「……人間の勝手に付き合わせて、本当にすまない。お前等は、必ず俺が護るからな」

 鶴は、人間を大変憎んでいた。しかし、初めてこの人間が好きだと思った。
 罠に掛かり、一度は死を覚悟した自分を救い出してくれた優しい男。足の治療や食料も分け与え、あろう事か同じ種族と言い争ってまで、自分達やあの美しい湖の事を思ってくれている。
 翌日の朝、鶴は右足の包帯を取り払われ、連れて来られた湖の畔で翼を覆っていた布を解かれた。鶴が自由になった翼を大きく広げた時、男はその美しさに思わず感嘆の声を漏らす。
 そういえば、翼を広げた姿を描きたい、と言っていたか。鶴は最後にもう一度だけ男に顔を寄せると、「早く行け」という彼の声に背を向けて大きく羽ばたいた。

「もう、捕まるなよ」

 その白さは、晴天の蒼によく映えて雲の様に浮かぶ。皆の元へと地を飛び立った鶴は、あの家へと戻っていく彼の姿を最後まで見送っていた。


*


 鶴は仲間に告げた。己はこの湖を離れると。
 仲間の鶴達は、誰も賢い鶴を咎めたりはしなかった。しかし今まで身を挺して仲間を護り、最後の安息と呼べる地まで皆を誘った賢い鶴が、この地を去る事を誰もが惜しみ悲しんだ。
 項垂れる皆に鶴は言った。たとえこの安息の地を離れても、必ず皆を護り続けると。
 仲間の中で、一番年老いた鶴が前に出た。老いた鶴は、前の首領を勤めていた名誉ある鶴だった。少し遅い足取りでゆっくりと歩み寄ると、次の満月の夜に畔へ上がり、ある松の木の下で眠るよう賢い鶴に言付けた。
 後は我々が見送ろう。群れの事は心配要らない。老鶴の言葉に賢い鶴は頷くと、群れを離れる準備を行い、次の首領となる若い鶴も仲間と共に見定めた。
 そして三日後の満月の夜、若い鶴も老いた鶴も皆が一斉に声を揃え、賢い鶴の為に天と水面へ祈りを捧げた。

此が賢き心を授けし、湖に住まう望月の神よ
彼の者の悩みし鬨を聞こし寄せと 畏み畏み申す
賜りし恩を報いる為 愛する郷を護る為
聞こし召しませ 聞こし召しませ

 嘴を震わせ、細い首を上下に振り、空に浮かぶ月と湖に映る月に何度も何度も鳴いては祈る。賢い鶴は大きな松に身を寄せると、強い決意を胸にそっと目を閉じ朝陽を待った。





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