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白鶴報恩奇譚

原作: ジョジョの奇妙な冒険 作者: ロコモコ
目次

壱羽

今は昔。
その鶴は、人間を憎んでいた。



『白翼報恩奇譚』



 一見すれば、冬の湖を舞う美しい鳥だった。
 群れを成し、番いを選び、子を産み育てる丹頂の鶴達。しかしその中の一羽に、大層頭の良い鶴が居た。
 先頭に立って皆を導き、自らの群れを守る一際白く美しい鶴。人にも劣らない賢さは何人も彼等に近寄る事を許さず、臆した人は「群れに手出ししようものなら生きては帰れない」とさえ噂する。いつしかその一羽の知恵は、『湖の神』とまで呼ばれる様になっていた。
 その鶴は、人を大変嫌っていた。もちろん、意味も無く嫌悪を抱くほど鶴は愚かではない。その美しい翼を己が贅沢へと変えるため、殺戮を生業とした者共は、鶴の親や兄弟を殺して亡骸を連れ去ったのだ。
 鶴は激しく人を憎んだ。憎み、恨み、決して仲間には近付けまいと堅く心に誓った。それと同時に、自分の頭脳は神からの贈り物だと鶴は思った。
 仲間に人の仕掛けた罠や、自分達を狙う銃器を分かりやすく教え、何に近付いてはいけないか、何から逃げなければいけないのかも全て伝えた。安全な餌場や巣所も探し当て、時には自ら人と戦い、賢い鶴は自分の群れを守り続けていた。
 空気も冷え始めたとある朝、近くで銃声が鳴り響く。一時の休みを取り止めて鶴は顔を上げ、辺りを見回すが群れに怪我をしたような仲間はいない。音の大きさからしてそう遠くない場所の筈だが、もしかしたら近くに狐かイタチが出たのかも知れないと鶴は推測した。
 人の狙いが此方に向く前に、場所を移動しなければ皆が危ない。鶴は群れに首で合図し、音を立てないように葦の林を湖の方へと突き進んだ。
 しかしその時、人の声が鶴の耳に届く。

「鶴だ!」

 鶴は心の中で悪態を吐いた。皆を湖へ案内するよう仲間の鶴に頼み、自分は葦に姿を隠しながら声のした方へと近付く。距離を取りつつ敵を探し、その姿を見つけると静かに後ろから接近していった。
 人が仲間に向けて長い鉄の筒を身構えた時、鶴は翼を広げて人の背中へ飛び掛かる。足爪でその憎き背を引っ掻き、自慢の嘴で銃を持つ手を狙う。驚いた相手は銃を捨てて逃げ出し、鶴はその後ろ姿に一つ、大きな声で吠え立てた。
 二度と来るな、と。
 鶴は踵を返し、再び葦に身を隠して皆の待つ湖へと足早に歩き出す。その時、突然金属の音が足元で響いて鶴は前のめりに倒れ転んでしまった。
 次の瞬間には右足に強烈な痛みと熱さを感じる。崩した体勢を立て直し、その足元を見ると大きなトラバサミが自らの足をガッチリと挟んで捕えていた。金属は細い足を折り、尚も食い込んで軋みながら皮膚を抉る。
 しまった。鶴は足を引き千切ってでも逃げようと翼を広げてバタつかせるが、押しても引いても痛いだけで、一向に足は抜けてくれない。このまま人に捕まってしまうのだろうか……そう思った鶴は、首を振って自らの嘴を右足に向けた。
 たとえ人に見つかる前に死んだとしても、親から貰った大事な羽根を毟られて、醜い骸を奴等に晒すぐらいなら。
 痛みを堪えて首を動かし、何度も何度も、鶴は自分の右足に嘴を突き立てた。皮膚を裂き血を散らし、己の右足を斬るために何度も何度も啄き続けた。
 しかし、体勢が悪いのか思うように力が入らない。己の体力は段々と底を覗かせ、罠から逃れる前に鶴は身体をくったりと土の上へと投げ出した。このままでは人に見つかってしまう……そう鶴が戦慄した時、葦の林を分け入る音を鶴は聞く。草を踏む音は段々此方へ近付き、遂にその姿を現してしまった。

「……こいつは……!」

 自分を見つけたのは、背の高い黒髪の男だった。まるで湖の底の様な瞳はしっかりと此方を捉え、しかし、驚いた様子で眉根を寄せている。
 その表情からして、罠を仕掛けたのは恐らくこの男ではない。だが、鶴は捕まってなるものかと残り僅かな力を振り絞って首を持ち上げた。
 しかし威嚇に吠えた声は何とも弱々しく、一度だけ翼を扇いだ鶴は、気力すらも尽きて遂に冷たい地面に倒れ込んでしまう。男は暫く様子を窺っていたが、動かない鶴を罠から離し、大きな翼を纏めて小脇に抱えると、葦の林を抜けてその場を去った。


*


 ぱち、と杉の葉が弾ける音で目を覚ました。土の感触は腹に感じず、板の様な物の上で暖かな空気が羽根を柔らかく揺らしている。
 自分は、死んだのだろうか。果たして、ここは冥土か?
 鶴がそっと瞼を開くと、目の前には灰の中で燃える火が揺れながら辺りを明るく灯している。遠くに人の気配を感じ、木を何かで叩くような音に鶴は少々重い頭を持ち上げた。
 炊事場に立ち、その腕を動かしているのは紛れも無く人の姿だ。何かを捌いている様にも見えるその手元には、大きな魚の頭が上を向いて置かれている。鶴が静かに立ち上がろうとした時、何故か均衡が取れずに右側へ思い切り身体を倒してしまった。
 座敷に響く音に気付いた相手が素早く此方へ振り返る。無様な姿を捉えたその眼に、鶴は確かな見覚えがあった。
 この男。自分が気を失う直前、最後に見たあの人間だ。

「気付いたか」

 包丁をまな板の上に置き、少し足早に男は座敷へ上がって歩み寄ってくる。鶴は咄嗟に距離を取ろうと身を捩るが、その瞬間、翼が上手く広がらずに閉じたまま動けない事に気付いた。
 自分の身体を見下ろして仰天する。柔らかい綿布で両の翼は固定され、右足に至っては翼以上に強く縛られ伸ばす事も出来ない。慌てふためく鶴の傍に腰を下ろし、「落ち着け」と羽根に触れた存在に鶴は急いで警戒を見せた。
 首を振って相手を近寄らせまいと抵抗するが、その男は己を恐れるどころか嘴を掴んで固定し、低く優しい声を掛けてくる。

「暴れると足に悪いぜ。大人しくしてな」

 完全に身体を押さえ込まれ、力の差を感じた鶴は余計な危険を回避するため抵抗を諦める。動かなくなった鶴の羽根を優しく撫でた男は、その瞳を細めて鶴に微笑んだ。

「すぐ飯が出来る。もう少しだけ待ってろ」

 そう告げて男は鶴からゆっくり離れると、再び炊事場へと座敷を離れる。向けられた事の無い種類の笑みに鶴は若干の違和感を抱きながら、先程と同じように炊事を続ける男の背を見つめていた。
 囲炉裏に燻る火の側で暖を取りながら、痛む足の様子を窺うと逃げる事は不可能であると悟る。しかしその時、鶴は何故か『それ以上の危険は無い』という漠然とした考えを浮かべていた。
 もちろん、相手が人間である限り絶対に油断は出来ない。しかし右足の感覚はまだ爪先まで残っているし、まるで友人にでも話し掛ける様な男の口調は、自分を食べようとしている人間のそれでもないように思う。
 見る限り、この家屋内にも人間はあの男一人だけだ。鶴が辺りを見渡すと、部屋の隅には大量の巻物と筆等の画材道具が積み重ねられ、一枚だけ広げられた紙をこっそり覗き込んでみれば、そこには懐かしい湖の風景が広がっていた。
 優雅に泳ぐその姿は、愛すべき我が仲間達だ。

「出来たぜ。待たせたな」

 底の深い木皿と小鍋を手に、男は座敷に上がって鍋を囲炉裏の火に掛ける。下処理を済まされ、切り身にされた魚が入った皿を目の前に置かれた鶴は、何とも美味そうな匂いに思わず喉を鳴らした。
 変な人間だ。この男は鶴である自分を罠から外し、助け出したとでも言うのだろうか。
 しかし、何故?
 鶴は頭の中でひたすらに首を傾げていた。捕獲対象である筈の自分を、人間が助ける理由が鶴には全く理解出来ない。一頻り考えたが何一つ答えは出ず、目の前の切り身も嘴で啄むに留めて、飲み込む事まではしなかった。
 男も囲炉裏に燻べた鮭鍋を椀に移して箸で掻き込む。しかし、どうも隣の鶴が魚を食べ渋っている様に思えた男は、「どうした」とその白い羽根を撫でる。

「内臓に負傷は無いと言っていたが……」

 男は鶴を医師に見せたらしく、足もその時に治療されたものかと賢い鶴は悟った。
 警戒して魚を食べない鶴を心配そうに見つめる男は、何処か具合が悪いのだろうかと有らぬ推測を立て始めている。

「おい、鳥。ちゃんと食わねぇと、その足も治らなくなるぜ」

 毒なんざ入ってねぇよ。
 男はそう続けると、切り身を一つ箸で掴んで自身の口へと放り込む。その姿を見た鶴は驚いたが、尚も促してくる男に負け、恐る恐る一切れを啄んで静かに飲み込んだ。
 本当は、今すぐ倒れそうなほど空腹だった。鶴は魚の甘い旨みに一切れ、また一切れと次から次へ切り身を丸飲みにしていく。やっと食事を始めた鶴に男は胸を撫で下ろし、自らの取り分も鶴に続いて綺麗に平らげた。
 満腹になった鶴の背を撫でるその手は大きい。しかし何の敵意も感じない穏やかな感触は、まるで子を思う親の様にも鶴は感じた。

「四日経てば、足も綺麗に治るらしい。良かったな、鳥」

 少々乱暴に鶴を呼ぶ男だが、その優しい表情に鶴は大変に戸惑った。
 この魚だって、本来なら彼の食料になる筈だったものだろう。自らの糧を削ってまで、異種族である自分を救おうとする男の考えが、鶴にはとても分からなかった。
 彼は人間だ。人間はもっと、身勝手で傲慢な、ただの殺戮者の筈なのに。
 食べ終わった食器を片付け、男は部屋の隅から細く削った炭と薄い和紙を持ち出してくる。磨かれた木板を下敷きに鶴の側で胡座を掻き、徐に炭を和紙の上に滑らせ始めた男に鶴は紙の上に見た湖を思い出した。
 あれはこの男が描いた絵だったか。自分達が人の世界で『縁起物』である事はいつぞやに聞いた事があったが、彼は自分達を捕らえるのではなく、絵に起こして生計を立てているのだろうと鶴は推測した。
 所詮は人間。しかし、男はあの湖を美しいと思ったからこそ絵に描き、仲間達の姿を敬うからこそ、自分の事も助けたのではないだろうか。そう考えると、鶴はほんの少しだけ男に興味を抱いた。
 出来た、と見せてくれた男の絵は、湖の水面に映る己と全く同じ姿が描かれている。

「本当は翼を広げた所を描いてやりたいんだが……暴れられると、折角の治療が無駄になっちまう。ちゃんと治れば、すぐに湖へ帰してやるからな」

 男とて、大人しく耳を傾ける鶴が人の言葉を理解するとは思っていまい。それは紛れもなく独り言であり、彼の自己満足でもあるだろう。しかしその心には確かに鶴を大切に想うが故の優しさがあり、男の優しさがあったからこそ、鶴は今、こうして生き伸びていた。
 自分が命を落としかけたのは、間違い無く彼等人間の所為である。しかし、そんな命を救ったのもまた、間違う事無く彼等人間であるのだ。
 人間の心一つで殺されたり生かされたりするのは、些か皮肉ではあるが。
 鶴は首を折り畳み、男の傍らで目を閉じる。何はともあれ心優しき命の恩人に拾われた事を、鶴は安堵しつつ眠りに着いた。



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