すずらん美容室4話
(7)
ようやくの河川敷屋台群である。
陰気な後藤と陽気な達海が待ち合わせたポイントは、とんでもなく混んでいる。
「……ああ」
――こんなに混雑してたら達海を見つけられない。
――どうしてここを待ち合わせ場所にしてしまったんだろう。
――俺はどうして。
――どうして俺は。
「……ああ」
後藤は陰気を膨らませた。
「おーい」
「おーいってばー」
一方の達海はと言えば、やはり陽気なままに後藤をあっさりと見つけ出すのである。
「おーい、そこのムックー」
「た、達海!」
「ムックお待たせー」
なにせ後藤は長身のもじゃもじゃ。目立つのだ。
「達海、今ムックって言ったか?」
「うん」
「ま、まさか俺のことか?」
「そーだよ」
「……ああ」
後藤のもとにたどり着いた達海は、周囲の空気がクスクスという音で揺れているのに気づいたが、きっと自分が酔っているせいだと簡単に片付けてしまった。
「そんなことよかさ、何の用?」
「……」
「とりあえず、あっちの方に行こうぜ」
「ああ」
後藤と達海はゴヤゴヤガヤガヤする河川敷を付かず離れずの距離を保って歩く。
「そろそろでしょ花火」
「ああ」
「もうちょい上の方から見ようよ」
「ああ」
「……あのさー」
「ああ」
「お前さっきからそればっかじゃん」
「?」
「『ああ』『ああ』って、何なのそれ『顔なし』の真似?」
「……」
「後藤、俺に言いたいことあるんでしょ?」
「……あ、……」
「……」
「……そ、そうだ」
「で、何?」
「……」
「……」
「……いや、その」
「……」
「……」
「……3文字」
「?」
「たったの3文字だろ?後藤が言いたいことってさ」
「……」
「違うの?」
「……」
「ちなみに」
「?」
「それってフランス語で何て言うの?」
「それ?」
「お前が言おうとしてるやつって」
「えーっと、Jevousaime」
「へえー。ドイツ語は?」
「Ichliebedich」
「イッヒ、イッヒ……んならイタリア語は?」
「うーん、Iot'amoかな……」
「ふーん、やっぱすげーのね後藤って、じゃあ日本語は?」
「す、……!」
「……」
「……す、す」
「……」
後藤は准教授である。キャリアステップも順調だ。希望と野望に満ちあふれる若者たちに、仰々しい講義を行うほどの知識と教養がある。そこにたどり着くまで死ぬほど勉学に勤しんだ。
それにも関わらず、後藤は学生たちにとって本当の意味での“先生”として認められていない。研究家なんてとナメられている。
後藤は商店街ではアドバイザーの役割を担っている。だが実際には後藤のアイデアはことごとく却下される。頭がかたい、理屈っぽいと疎まれる。現に今日、後藤は目の当たりにした。街コンという後藤が思いつかなかった方法でにぎわう『すずらん商店街を。
街コンが近年の地域事業に組み込まれていることは当然知っていた。だが、後藤は認めていなかったのである。色恋の飲み食いが地域おこしになりえるはずがないと。地域創生とは崇高であると。
つまり、後藤はバカにしていたものでバカを見たのである。
後藤はターキー野郎である。しかし好き好んでターキーになったのではない。後藤は後藤を取り巻く諸々の要因により、なるべくしてターキーになったのである。
早い話、後藤は自信を失っているのである。
「あ、あのな達海」
「うん」
「その、……」
「あーだめだ。もー見てらんねー」
「え?」
「その髪とヒゲ!俺が切ってやんよ」
そして後藤はムックである。
ムックはガチャピンがいなければ、ただのボサボサボーボーの雪男なのである。
(8)
ここはすずらん美容室。いつもはかしましいすずらん美容室だが、閉店後の今、店内には花火の音しかない。
達海もまた無言である。
それで後藤は緊張している。
「たつ、」
「しゃべんな、危ねーから」
後藤は達海に腕を引っ張られ、店に連れられてきた。
すぐさま着席を命じられて洗髪(このとき「毎日ブラッシングしろよ」といった小言が2、3あった)さらに要望も尋ねられないままハサミを入れられ(毎回のことである)再び洗髪、乾燥し、そのまま仰向けにされ、シェービングムースを塗りたくられ、剃刀を当てられている。
「横向いて」
「反対向いて」
「顎上げて」
「目閉じろ」
会話がこの程度なのである。
後藤と達海はこの店で笑ったり、愚痴ったり、時々言い争ったり、近況報告をし合ったり、後藤にいたっては達海に鎌をかけられたりしている。
しかし今日、達海は何も言わないのである。
そしていつになく作業スピードが速いのである。
だから後藤は緊張している。
不定期に聞こえてくる花火の音より、自分の鼓動の方が大きかったらどうしようなどと考えているのである。
「はいオッケー」
口元にあてがわれた蒸しタオル。その上にある達海の手の熱さを、後藤は意識してしまう。
「どお?さっぱりしたろ?」
「……ん」
「3分くらいそのままね。ほんで終わったらタオルあん中に入れておいて」
「ん」
「学会近いんでしょ?しばらく来なくていいように短めにしといたから」
「ん」
「あと、次来たときカラーリングしなきゃな」
「?」
「白髪あった」
達海は床に散らかった後藤のもじゃ毛を回収しながらあれこれ話し始めたので、後藤はタオルの内側に安堵のため息を吹き付けた。
「ほいじゃ俺、風呂入って着替えてお前んち行くね」
「……ん?」
「だって手汚れたし、汗かいちゃったし、花火お前んちから見えるし」
「……」
「お前も流した方がいいぜー。首んとこに切った髪の毛張り付いてる」
「……」
「……」
「……鍵」
「あ?」
「玄関の鍵、開けておく」
「……うん」
「そのまま俺の部屋にあがってくれ」
「うん。お前んち行くの久しぶりだね、にひひー」
およそ一ヵ月半ぶりに見る達海の笑顔に、とうとう後藤は腹を決めたのである。
ようやくの河川敷屋台群である。
陰気な後藤と陽気な達海が待ち合わせたポイントは、とんでもなく混んでいる。
「……ああ」
――こんなに混雑してたら達海を見つけられない。
――どうしてここを待ち合わせ場所にしてしまったんだろう。
――俺はどうして。
――どうして俺は。
「……ああ」
後藤は陰気を膨らませた。
「おーい」
「おーいってばー」
一方の達海はと言えば、やはり陽気なままに後藤をあっさりと見つけ出すのである。
「おーい、そこのムックー」
「た、達海!」
「ムックお待たせー」
なにせ後藤は長身のもじゃもじゃ。目立つのだ。
「達海、今ムックって言ったか?」
「うん」
「ま、まさか俺のことか?」
「そーだよ」
「……ああ」
後藤のもとにたどり着いた達海は、周囲の空気がクスクスという音で揺れているのに気づいたが、きっと自分が酔っているせいだと簡単に片付けてしまった。
「そんなことよかさ、何の用?」
「……」
「とりあえず、あっちの方に行こうぜ」
「ああ」
後藤と達海はゴヤゴヤガヤガヤする河川敷を付かず離れずの距離を保って歩く。
「そろそろでしょ花火」
「ああ」
「もうちょい上の方から見ようよ」
「ああ」
「……あのさー」
「ああ」
「お前さっきからそればっかじゃん」
「?」
「『ああ』『ああ』って、何なのそれ『顔なし』の真似?」
「……」
「後藤、俺に言いたいことあるんでしょ?」
「……あ、……」
「……」
「……そ、そうだ」
「で、何?」
「……」
「……」
「……いや、その」
「……」
「……」
「……3文字」
「?」
「たったの3文字だろ?後藤が言いたいことってさ」
「……」
「違うの?」
「……」
「ちなみに」
「?」
「それってフランス語で何て言うの?」
「それ?」
「お前が言おうとしてるやつって」
「えーっと、Jevousaime」
「へえー。ドイツ語は?」
「Ichliebedich」
「イッヒ、イッヒ……んならイタリア語は?」
「うーん、Iot'amoかな……」
「ふーん、やっぱすげーのね後藤って、じゃあ日本語は?」
「す、……!」
「……」
「……す、す」
「……」
後藤は准教授である。キャリアステップも順調だ。希望と野望に満ちあふれる若者たちに、仰々しい講義を行うほどの知識と教養がある。そこにたどり着くまで死ぬほど勉学に勤しんだ。
それにも関わらず、後藤は学生たちにとって本当の意味での“先生”として認められていない。研究家なんてとナメられている。
後藤は商店街ではアドバイザーの役割を担っている。だが実際には後藤のアイデアはことごとく却下される。頭がかたい、理屈っぽいと疎まれる。現に今日、後藤は目の当たりにした。街コンという後藤が思いつかなかった方法でにぎわう『すずらん商店街を。
街コンが近年の地域事業に組み込まれていることは当然知っていた。だが、後藤は認めていなかったのである。色恋の飲み食いが地域おこしになりえるはずがないと。地域創生とは崇高であると。
つまり、後藤はバカにしていたものでバカを見たのである。
後藤はターキー野郎である。しかし好き好んでターキーになったのではない。後藤は後藤を取り巻く諸々の要因により、なるべくしてターキーになったのである。
早い話、後藤は自信を失っているのである。
「あ、あのな達海」
「うん」
「その、……」
「あーだめだ。もー見てらんねー」
「え?」
「その髪とヒゲ!俺が切ってやんよ」
そして後藤はムックである。
ムックはガチャピンがいなければ、ただのボサボサボーボーの雪男なのである。
(8)
ここはすずらん美容室。いつもはかしましいすずらん美容室だが、閉店後の今、店内には花火の音しかない。
達海もまた無言である。
それで後藤は緊張している。
「たつ、」
「しゃべんな、危ねーから」
後藤は達海に腕を引っ張られ、店に連れられてきた。
すぐさま着席を命じられて洗髪(このとき「毎日ブラッシングしろよ」といった小言が2、3あった)さらに要望も尋ねられないままハサミを入れられ(毎回のことである)再び洗髪、乾燥し、そのまま仰向けにされ、シェービングムースを塗りたくられ、剃刀を当てられている。
「横向いて」
「反対向いて」
「顎上げて」
「目閉じろ」
会話がこの程度なのである。
後藤と達海はこの店で笑ったり、愚痴ったり、時々言い争ったり、近況報告をし合ったり、後藤にいたっては達海に鎌をかけられたりしている。
しかし今日、達海は何も言わないのである。
そしていつになく作業スピードが速いのである。
だから後藤は緊張している。
不定期に聞こえてくる花火の音より、自分の鼓動の方が大きかったらどうしようなどと考えているのである。
「はいオッケー」
口元にあてがわれた蒸しタオル。その上にある達海の手の熱さを、後藤は意識してしまう。
「どお?さっぱりしたろ?」
「……ん」
「3分くらいそのままね。ほんで終わったらタオルあん中に入れておいて」
「ん」
「学会近いんでしょ?しばらく来なくていいように短めにしといたから」
「ん」
「あと、次来たときカラーリングしなきゃな」
「?」
「白髪あった」
達海は床に散らかった後藤のもじゃ毛を回収しながらあれこれ話し始めたので、後藤はタオルの内側に安堵のため息を吹き付けた。
「ほいじゃ俺、風呂入って着替えてお前んち行くね」
「……ん?」
「だって手汚れたし、汗かいちゃったし、花火お前んちから見えるし」
「……」
「お前も流した方がいいぜー。首んとこに切った髪の毛張り付いてる」
「……」
「……」
「……鍵」
「あ?」
「玄関の鍵、開けておく」
「……うん」
「そのまま俺の部屋にあがってくれ」
「うん。お前んち行くの久しぶりだね、にひひー」
およそ一ヵ月半ぶりに見る達海の笑顔に、とうとう後藤は腹を決めたのである。
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