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すずらん美容室

原作: その他 (原作:GIANT KILLING) 作者: QQ
目次

すずらん美容室3話

(5)



 そう結論付ければ、目の前の研究に打ち込める。正しくは、打ち込めるような気がしただけだ。

 ちなみに後藤が現在取り組んでいるのは、これまで収集してきた地域事業のパターン化である。

 連日発生し、知らぬ間に立ち消えとなっている地域事業を院生たちとともに調査し、現地に赴き、関係各所にヒアリングし、発生の背景、運営の実態、成功と失敗事例、発展と消失理由をそれぞれ系統立てしている。

 研究費の都合上、そろそろなんらかの成果を挙げなければならない。

 しかし一方で、いつまで経っても開かない『すずらん美容室』に思考も気持ちも流れてしまい、後藤は落ち着かないのであった。

 天気もまた、落ち着かないのである。

 6月。入梅である。

 『すずらん美容室』は相変わらず『臨時休業』で、後藤の記憶が正しければ、1ヶ月と少しばかり。もとい、後藤の記憶は常に正確なので、今日で1ヶ月と11日になる。

 後藤は店の曇りガラスに映し出される己の姿を見つめた。

 雨粒をまとう縮れたヒゲ、湿気で蒸れてボリュームを欠いた髪。



――すっかり、伸びてしまった。



 後藤は悲壮感にとらわれた。

 その様子を、店内の奥からこっそり眺めるのが、最近の達海の楽しみであった。



 

 『すずらん美容室』は『臨時休業』であることに間違いはない。

 しかし、それは後藤限定なのである。

 後藤が店前に到達しそうな時間に『臨時休業』の札を掲げ、店先から立ち去った後『営業中』の札へ差し替え、3色の電飾を回転させている。

 くどいようだが、後藤と達海は幼馴染みである。かつては『コウちゃん』『タッケ』と、今では『お前』と呼び合う。

 達海は後藤をよく知っている。

 出勤時間と帰宅時間を予測することなど達海にとってお茶の子さいさいだ。好みや癖からほくろや口内炎の在り処まで知っている。

 なにせ髪を切ったり切られたり、ヒゲを剃ったり剃られたりする仲である。

繰り返すが、この1ヶ月と11日、『すずらん美容室』は定休日を除き、通常営業中なのである。

 実際、捨て犬のような後藤を楽しんだ直後、部活帰りの女子高生ろくちゃんがやって来た。夕方になると商店街を抜けた官庁街通りで働くOLのあきのさん、閉店前には隣り街の塾講師K先生が来店し『すずらん美容室』はいつも通りにぎわった。

 しかし今日のにぎわいは特別だった。

 達海はかしましいのは嫌いではない。この店を母親が切り盛りしていた頃から「あらやだー!」は挨拶であったし、気にしていない。だが、限度がある。許容範囲がある。

 一見、飄々と暮らしているように見える達海だが、毎日がご機嫌なわけではない。まして今、幼馴染みとはこれまでにない状態なのだ。

 後藤の滑稽な姿を影で笑ってはいるが、心の中は近頃の空模様と同じでしっとり湿っている。だから、決して奇声を発したりしない、この美容室には珍しい“普通”の常連が立て続けに訪れた穏やかな1日を、達海は喜んだのであった。

 翌日の昼。『すずらん美容室』に一通の速達が届いた。

 送り主は後藤である。





  達海 猛 様



  拝啓  向暑の候、いかがお過ごしでしょうか。

  先達てより拝顔叶わず案じております。

  之を綴るは、自己と対峙し、我に起こりし感情生活の行方を捕らえ導き出し結びを、あなたに贈らんが為であります。

  苦悶いたしました。此方彼方へさまよい、丸で手離れた風船の如く寄る辺なき己が姿を発見いたしました。

  三十有余年、僕は誠に愚鈍であった。

  寄り道をしてもいいのではないかと思案してしまった。

  あなたはいつも行き止まりにいる。僕に寄り道など不可能だ。

  故に善処いたします。



  学会が近づいております。

  どうか、折り合い悪しき我が生命の所産、あなたの手で戒めていただきたい。

ご都合をお返事いただければ幸いに存じます。 敬具



  後藤恒生









「……さっぱりわかんねー」



 達海は溜め息を吐いた。

 後藤から送られた文面のほとんどを理解できない。



「なるほどね、こりゃ学生に人気ねーわけだ」



 達海は苦笑いした。

 しかし、不思議と晴々とした気分なのである。

 店の扉を開け、空を見上げれば、やはり晴れているのである。



「さて、準備すっかねーっと」



 梅雨は去った。

 夏である。





  追伸   前夜祭、河川敷屋台群の端にてあなたをお待ち申し上げます。





「いよいよ明日だなー」



 夏祭りである。

 書き手が飽きてきたので急展開である。





(6)





 もう一度説明しておくが後藤はターキー野郎である。

 自らが指定した待ち合わせ場所へ向っているが、その歩みは亀の如く鈍い。

 しっかり固めたはずの決意の砂が、ぼろぼろと崩れ始めているのである。



「……ああ」



 薄気味悪い独り言さえかき消されてしまうほど、今宵の商店街はにぎわいを見せている。

 それもそのはず。今日はすずらん通り商店会主催の夏祭りである。

 夜道を行き交う人々は皆にこやかで、声も弾んでいる。



「あ!」



 後藤は足元に衝撃を感じた。顔面を覆っていた両手を外して原因を確かめる。



「おじちゃん!ごめんなさい!」

「うわあ!スーパーでっけーおじちゃんだー」



 タレ目とツリ目の男の子が二人、大木を見上げるようにして後藤を仰いでいる。

 低学年らしき二人は、ともに科学マンのお面をかぶり、綿菓子をほおばっている。



「あ、ああ、ごめんな、怪我はないか?」

「うん!おじちゃん、ぶつかってごめんなさい」

「おじさんこそ、ごめんな」

「うん!」



 タレ目の男の子が笑うと、後藤もつられて笑顔になる。



「……ねーねー、おじちゃんって何歳なの?」



 後藤をじっと見つめていたツリ目の男の子が、後藤のジーンズの裾を引っ張って尋ねる。



「39歳だけど」

「マジかよ!」

「うそだー!」



 男の子たちは何がおかしいのか、おなかを抱えてゲラゲラ笑っている。

 後藤は戸惑ってしまった。



「おれ、150歳だと思った!」

「おれも!スーパー仙人だと思った!」



 ヒャハハハ、ウッヒャッヒャ。



「な!おじさんは、ちゃんと39歳だよ!君たちのお父さんと同じくらいだ」

「うそだー!うちのパパ、ヒゲモジャじゃないもーん」

「ぼくんちも!」



 ヒャハハハ、ウッヒャッヒャ。



 わなわな震えている後藤をよそに、男の子たちはやはりゲラゲラ笑いながら去っていった。



――ママ聞いて!ぼくたち雪男みちゃった!



――イエティ発見!イエーイ!



 後藤は足早に通りの端へと移動し、出店の影に身を潜めた。

 男の子たちの母親に視線を向けられたくなかったのである。



「……ああ」



 ため息をつき、何気なく地面に視線を落とすと、ジーンズにべったり綿菓子が付着していた。



「……ああ、俺はどうしたら……」



 華やぐすずらん商店街。

 陰気なのは、後藤ただ一人である。





 後藤が陰気な自分に酔っている頃、達海もまた酔っているのである。

 しかし、達海の場合はアルコールで酔っ払っているのである。

 つい今し方まで、達海は『居酒屋・松っちゃん』にいた。

 店主の松原は商店会のメンバーだ。会議の際には話し合いの席と大量の酒を提供している。

 商店会員は『俺のラーメン』の笠野を筆頭にみな大酒飲み、しかも松原の家庭は子沢山なせいもあり経済状況は思わしくない。

 松原は達海にとって大先輩だ。出身中高も同じである。だが松原は時たま気弱な一面を見せるため、達海につけこまれ、使い走りのようなポジションを担っている。



「あーおなかいっぱい」



 今宵も達海は松原の店で無銭飲食してきた。いつもなら「あとで払ってくださいよ!」と困り顔で言われるが、今日は「いいですって、いいですから!」とにこにこ顔で見送られた。

 なぜなら、繁盛しているからである。正しくは、達海のおかげで繁盛しているからである。



 すずらん商店街では今まさに『街ラン』が行われているところなのだ。

『街ラン』とは、達海が発案し、村越が中心となり今回初めて催されたいわゆる「街コン」で、すずらん商店街の“らん”と、夏特有の浮ついた気分のルンルンランランの“ラン”さらに“RUN”が掛かっている。「若人よ、愛に恋に突っ走りやがれ」と達海が上から目線で名づけた。



「あーいい夜だなー」



 アルコールだけではない。達海は達成感にも酔っているのである。



「おーい、たつみー」

「あ、笠さん、調子どお?」

「見ての通り。お前のおかげだよ」

「よかったね、にひひ」

「そのうち、食いに来いよ、ごちそうしてやる」

「うん!」



 笠野の店・俺のラーメンは長蛇の列ができている。臨時バイトで雇われたこけしやの黒田も店内をせわしなく動き回っている。



「たつみさーん」

「お、有里、調子どお?」

「やったよ達海さん!お寿司、即完売したよ!」

「そっか、よかったな」



 有里の父とおじの店・魚河岸永田では、鮨処・さかいとタッグを組んで土産用の限定寿司を格安で販売した。

 鮨処・さかいは名店ではあるが、店主が無愛想なため、あまり流行っていなかった。そこに目をつけたのはやはり達海である。

“街コン”の特典に“限定”で“格安寿司”。その珍しさが話題となった。まずネットニュースが取り上げ、続いて新聞やタウン誌、最終的には全国ネットの情報番組まで食いつき、広報費が浮いた。



「おう達海!」

「あ、おやっさん、寿司30分で完売だってね」

「ああ、堺も喜んでたよ。お前と村越のおかげだ」

「おやっさんの仕切りがよかったからじゃない?」

「当たり前だぜ、なあ兄貴!」

「バカ野郎!お前も礼を言わんか!」

「ケッ!まあ達海にしちゃーいいアイデアだな!後藤くんとは大違いだ!後藤くんは頭が堅い!そしてもじゃもじゃだ!」

「おじさん!後藤先生だってすごいんだよ!いつもはあんなだけど!」

「ゲヒヒヒヒ」



――さてさて



 達海は夜空を見上げる。満天の星空である。まもなく花火が打ち上げられ、空はより輝きを増す。



――どうするよ?



――いつもはあんな、いつもはもじゃもじゃの後藤くんってば……



「にひひー」



 にぎわう商店街。成功したらしい“街ラン”。これから打ち上げられる花火。久しぶりに顔を合わせる後藤。



「あーおもしれー」



 達海の足取りは軽やかなのである。
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