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いちばん大切な日

原作: その他 (原作:ダイヤのA) 作者: gajile.
目次

救い


「ただいまー!」

 大きな声がマンション室内に響き渡る。

 沢村と御幸が暮らしているのは、都内にある、30階建ての高層マンション、2001号室。2LDKで、沢村と御幸の寝室は別にこしらえてあった。互いにハードな野球生活。少しでも日常生活に負担をかけないように、同居を始めたときに決めたことだ。

 沢村は玄関で靴を脱ぎ、廊下から自分たちの部屋を通り抜けて、正面にある、リビングへの扉を開けた。良い匂いが、辺りに広がっている。

「すっげー良い匂い!腹減ったー!」

「おう、おかえり」

 沢村の相変わらずの元気な声に、御幸はフライパンを持ち上げながら笑顔で出迎える。

 テーブルの上は食器が並べられ、チーズをたっぷり乗せたラザニア、シーザーサラダ、ウインナーにバケットがそれぞれ大皿に並んでいる。あとは大きなステーキを焼くだけ。

「さすがっすねー!」

 マフラーを首から取りながら、キッチンをのぞき込もうとする彼。

「さっさと手洗ってこい。シャワーは?」

「浴びてきたー!」

 御幸の牽制に、慌てて洗面所に走る彼を尻目に、御幸はフライパンにステーキを乗せて焼き、家に常備されているワインを、上から慣れた手つきで注いだ。立ち上る火に、口笛を鳴らす。

 料理は家庭の事情もあって、昔からしてきているが、記念日に作る料理は、彼のために作る料理は、心の底から、楽しむことができた。

「さーて、いい感じ」

 焼きあがったステーキを二人前、皿に盛ってテーブルへ運ぶと、ちょうど沢村もリビングに駆け込んできた。

「おっまたせしやしたー!あ、これいつものワインね」

「おう、サンキュ、さ、始めるか!」

「あー、腹減ったー!」




 いつもと変わらない同居生活。だが、今日は料理内容が違うだけで、こんなにも輝いて見える。

「まぶしいなぁ」

 ステーキを頬張る沢村がちかちかして、御幸の心は幸せに満ち溢れていた。

「え?何て?」

「何でもねーよ、デザートも買ってるからな、たんと食え」

「まじっすか!さっすがキャップ!」

「はっはっ!キャップ言うな」

 昔のあだ名に、懐かしいと思う。

 御幸はワインをこくりと喉に通し、目の前の彼を見つめた。

「いつからだろうなぁ」

「何がっすか?」

 ぽそりと呟く御幸に、沢村は得意の呆けた顔を見せた。

「俺がお前に惚れてんの」

 突然の言葉に、目の前の彼は目を丸々と開き、直後思い切り赤面した。

「なっ!なななんに突然言ってんすか!」

「どもりすぎだバカ」

 もうあれから、10年…否、12年が経っている。

 そう、あれはまだ、「キャップ」とか「バカ」と言い合ってた、あの日々だ。

 まだ最初は彼のことは、可愛い後輩としか思っていなくて、でも、いつの間にか、彼という存在に、惹かれていたのだ……






 御幸がまだ高校2年の頃。青銅高校が秋季東京大会で優勝を果たし、甲子園への切符を手にした翌日の夜中のことだった。

「あれ?キャップ、こんなとこで何してんすか?」

 自販機の前のベンチに腰かけていた御幸が、右から聞こえた声に目をやると、沢村がすぐそばで立ちすくんでいた。

「沢村こそ、こんな時間になにやってんだ」

 今は夜中の2時を指している。

「いや、ジュース飲みすぎたせいかトイレ行きたくなって。そしたら段々と目が冴えてきちゃったんすよ」

「お前は、じいさんか」

 軽く突っ込み、自販機で買ったミルクティーを動かせる左手で口元まで持ち運び、一口、喉に通す。

 御幸の右脇腹は大会中に肉離れを起こし全治3週間、その詳細が今日の練習で部員たちに言い渡され、倉持がキャプテン代理に就任した。

「で?先輩は何してんすか?」

「んー、まぁ、目が覚めてな」

 本当は、右脇腹が疼いて、痛みで起きてしまった。そんな弱音、後輩である彼に見せるわけにはいかない。
だが、沢村はそんな弱った心をこじあけようとしてきた。

「何気なく目が覚めるってことは!すごく気になってることがあるってことっすよ!さぁ!悩みがあるなら吐いてみろ!どうせ右脇腹が痛いとか、そんなんでしょう!さぁさぁ!」

 沢村がを見ると、横で仁王立ちスタイルをとっている。どうしてこいつはこんなに堂々とキャプテンに物事を言えるのだろう。

「お前……本当、肝座ってるというか、度胸あるっつーか……」

「んん!?」

 首を捻り、顔をのぞき込もうとする彼に、御幸は、すいと視線を左の方にずらした。

「別になんもねーよ。お前もさっさと寝ないとダメだろ」

 呆れ声で伝えると、目の前の彼は急に黙りこくり、一瞬の沈黙がその場を包んだ。

「……なに黙ってんだよ、きもちわりーな」

 御幸は彼に視線を戻すと、なんとも見たことのない、表情をしていた。それは自販機の灯りの逆光もあり、目を疑ったが、確かに、彼のこんな表情は見たことがなかった。

「……キャップは、いつもそうだったんだな……」

 急に悟りだす沢村に、御幸は目を瞬かせる。

「ん、どうした沢村、バカが何を悟りだした?決勝に勝ってなんか悟ったか?」

「バカ言うな。……昨日の、その、あんたのケガで……俺なりに、考えたけど……アンタにも、いろいろ、ストレスが、かかってんだろ?でも、俺、自分のことばっかりで、アンタのケガに、気が付けなかった……」

 仁王立ちを解き、ぽつぽつと言葉を紡ぐ沢村。そして、彼の言いたいことが、次の一言で、やっと理解が出来た。

「俺、あんたの、相棒なのに……」

 なるほど。こいつはどうも、バカなりに気づいたらしい。

「沢村……」

「あんた、全然、弱音言わないから……」

 御幸が弱音を見せたことがないこと、沢村はやっと気が付いたようだった。

「なに沢村、お前バカのくせに俺を心配してくれてんの!」

 ハハハといつもの調子で笑顔を見せると、沢村は慌てて否定した。

「し、心配してねーし!」

 その慌てぶりに、御幸は右脇腹を押さえながら、更に笑い声をあげる。

「笑うなー!」

「はっはっは、わりぃわりぃ!」

 ひとしきり笑い終わった後、御幸は自分の飲んでいた飲料缶を飲み干して立ち上がり、缶専用のごみ箱にそれを入れる。

 そして、ポケットに入れていた小銭を取り出し、自販機に入れた。ホットのココアを買い、沢村に手渡す。

「ほらよ」

「え?い、いいんすか?」

「俺のストレスに気が付いたご褒美だ」

「やっぱ悩みあるんじゃないすか!」

 沢村はせっかく買ってやったココアの缶を勢いよくベンチに置き、また仁王立ちスタイルで、御幸を見つめてきた。

「いいですかキャップ!」

「おお、なんだ」


「人って漢字は!一人と一人が、支え合ってできてるんですよ!」


「……んっ!?」

 急に当たり前のことを恥ずかしげなく叫ぶ沢村に、御幸の眼鏡が勝手にずれた。そんな御幸の様子もつゆしらず、沢村はまだ偉そうに続ける。

「しんどいならしんどい!辛いなら辛い!隠してたって誰も気づいてやくれねーんだから、だからね、キャップも、こういうときくらい弱音吐いてください!」

「……」 

「俺が!支えやすから!」

 ばッと広げられる彼の両手。

 もう、なんだか、沢村がすごい日本語を使っているのは分かった。

 御幸は彼のあほ面に力を抜かす。

「沢村……」

「はい?」


 なんだか、すごく、無性に……


「え、あ?きゃ、キャップ?」

 御幸は両手を広げている沢村に、吸い込まれるように歩み寄った。そのまま痛くない方の左腕を彼の肩に滑り込ませ、抱き寄せる。

「キャップ……?」

「 ―― 支えてくれんだろ……?」

 顔を沢村の首元に預け、すこし体重を乗せた。

「えあ?まぁ……」

 この、「あほ」に対してだったら、少し本音を漏らしたって、何も気に留めてくれないかもしれない。……いや、むしろ明日に部員たちに言いふらしてるかもしれないな……。

「まぁ、いいや……」

「え!?何が!?キャップ!?」

「さーわーぐーなー。あーあー、お前に特別に俺の弱みを見せてやろうと思ったのに、騒いだら見せねーよ」

 彼の耳元でからかうように言ってみる。

「きゃ、キャップの、弱み、……お、俺だけに、と、特別……!?」

「そ。お前だけに、見せてやろうと思って。……――今だけ、支えてくれよ……」

 少しだけ、静かになった。

 沢村は、今いったいどんな顔をしているのだろう。

 御幸がそんなことを思っていると、不意に、自分の背中に触れるものを感じた。

「さわむら?」

 声をかけると、その背中の触るものの感触に、戸惑いを感じたが、しっかり、彼の手が、御幸の背中をつかんできた。

「仕方ないっすね、まぁ?俺はキャップの相棒ですから?しんどいなら支えてやってもいーけど!」

 御幸は確かに感じる彼の手に、すこし心が浮きだつ。

 ――これもいいかも……。

 ――大会を勝ち抜けた少しの安堵と、今後の不安、自身の怪我へのジレンマ。疼く脇腹。倉持がキャプテン代理になったこと。キャプテンとしてのプライド――

 これら弱音を吐くのは一切許されない立場であり、後輩には見せてはいけない姿。でも……。

 御幸は彼を抱きしめる手に力を入れ、重いため息をついた。

 この感情をどう表現したらいいのだろう。

 彼の「あほ」なところに、救われている自分がいる。


 ――癒し……?それとも、後輩愛……?


 この気持ちの正体はまだよく判らないが、……いや、気が付きたくない、気が付いてはいけない感情なのかもしれない。


 だが、何にせよ、今、わかっていることは。


「さわむら、サンキューな……」



 どうやら今日は、久々に深い眠りにつけそうだ ――





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