翼
「倉持先輩!おはよーございやす!」
夜が明け、沢村は上段ベッドで寝る、先輩の倉持を大声で起こした。
「っるせーな、まだ目覚まし鳴るまで5分あるだろ」
「あと4分48秒です!」
「こまけーな!」
部屋で沢村が煩くて倉持は仕方なく体を起こした。
「ったく、やけにテンションたけーな」
ぼりぼりと後頭部をかきむしる倉持に、沢村は元気よく返事した。
「聞いてつかーさいよ!昨日、目が覚めちゃって、外歩いてたら、キャップと会っちゃって!」
倉持の許可もなく勝手に話し出す沢村。倉持はため息をこぼし、ベッドを降りて、彼の話を聞き流しながら寝間着を脱いだ。
しかし、その後の沢村の言葉に、手が止まる。
「キャップに、しんどいなら弱音吐いてください!って言ったら、御幸先輩、思わずハグしてくるんすよ~、キャップも弱いとこあったんすね!しかも、俺だけに教えるって言ってくれて、なんか嬉しいっす」
倉持は、その出来事に違和感を覚え、振り返る。
確かに、一昨日決勝戦後、病院へ連れて行くときに倉持や前園に弱音を吐いていたが、後輩にまで見せるような奴だっただろうか。
「……おとついの名残か?」
首を傾げつつ、朝練に行く準備をしながら、ふと考えこんだ。そして、上機嫌に鼻歌を歌う沢村に、釘をさすことにした。
「沢村、お前そのこと、あんま周りに言いふらすなよ」
「え?なんでスか?」
「アイツもキャプテンだからな。周りにそれ言ったら、みんなの士気さがりかねねーだろ」
「……下がりますか?」
大きい目をぱちくりさせる沢村に、倉持は鼻から息を吐いた。
「そーゆうもんだ」
それからしばらく、イヤな感触のする釘を刺された沢村は、倉持の言いつけを、しっかり守っていた。同級生の金丸や春市に会うと、思わず口を開けそうになったが、倉持からの厳しい視線に、はた、と口を閉ざすことが出来ていた。
そんなある日、神宮大会を終えてしばらくしてからのことである。
夜の10時を超えたころ。部員たちは各々練習を終え、就寝準備を始める中、御幸は沢村の部屋である5号室を訪ねた。5号室内に倉持はおらず、沢村がひとり、漫画を読んでいた。
「お、沢村いた。テスト前のくせによく漫画読めるな」
「キャップ!どうしたんすか。あ、脇腹痛みます?介護必要すか?」
沢村流の、右脇腹への気遣いに、御幸はいつもの調子で笑った。
「はっは、いらねーよ、ちょっと顔かせ」
沢村は漫画をベッドに置いて立ち上がり、上着を羽織った。
「なんすかー?」
雑談をしながら人気のないところへ向かう御幸。沢村は連れられるがまま、先輩の後ろを追った。
「んんー、ちょっと」
御幸は濁しながら室内練習場の裏側に回る。誰もいないその場所で、やっと立ち止まった。
「沢村、ちょっと、チャージさせて」
「あん!?」
振り向くや、突然のわけのわからない要求をしてくる御幸に、沢村は、あんぐりと大きく口を開ける。
「チャージって、なんすか?」
「んー、この前してくれたやつ」
「この前?」
首をかしげる沢村に、御幸は両手を広げた。
「そうそう、ほら、ハグ」
「あぁ!」
沢村はこの前の、真夜中に起きたことを思い出し、にんまりと笑った。
「俺にしか見せないキャップ、登場っすね!」
いい具合に、御幸にとって、ありがたい反応をしてくれる沢村に、御幸も同じような笑顔を向ける。
「そうそう、チャージってことで」
「いいすよ!どうぞ!俺の胸に飛び込んできてつかーさい!」
色気も何もない、そんな彼に御幸は静かに近寄り、抱きしめた。
――うん、やっぱり、この感じ、癖になりそう……
内心そう呟きながら、彼の後頭部を、右手でぽんぽんと優しく撫でる。
「それにしても、どうしたんすか?」
御幸の背中に手をまわした沢村は、軽く周りを見渡しながら聞いた。御幸はその問いかけに、先ほどと同じように濁す。
「いや、ちょっとな」
部屋で勉強していたところ、不意に、沢村のことを思い出したなんて、言えない。
「なんか、翼ほしくなっちゃって」
軽くボケに入る御幸に、沢村はテンションを上げる。
「レッドブルっすね!?」
「そうそう、あれ高いから、お前が俺に翼を授けて~」
耳元で笑いながら冗談を言い合う。
「じゃぁ、俺にも翼授けてくださいよ」
「うんうん、何がいい?」
「えーと、あ!球受けて!」
「だーめ。それは降谷との順番」
沢村の要求に、御幸が即座に否定すると、彼は、「くっそ~」とぼやいている。そんな彼に、御幸はふと、「かわいいな」と、笑みを浮かべた。
辺りはもう冷たい風が吹き、自分たちの温もりが、心を満たしていくのを感じる。
遠くからチームメイトの声が近付いてきた。御幸は一瞬だけ腕に力を込めると、やっと体を離した。
「ふぅ、サンキューな。お前の翼は、キャッチャーとして、グラウンドで俺が生やしてやるよ」
「なんだそれ!結局、降谷と一緒じゃねーか!」
文句を垂れる沢村に、まぁまぁとなだめながら足を動かした。
「お前、トイレは?」
御幸が部屋に戻る前に、トイレに行こうと彼を誘うが、どこかで聞いたようなセリフを言われた。
「トイレぐらい、ひとりで行けるわ!」
決勝戦直前にも言われた言葉だった。御幸は声を上げて笑った後、「おやすみ」とだけ声をかけ、ひとりトイレに向かった。
チームメイトともすれ違い、軽い挨拶を交わしながら、決勝戦直前のことを思い出す。あの時、御幸の右脇腹はすでに肉離れを起こしていた。試合直前に、沢村をトイレに誘ったのは、彼と話していたら、痛みを忘れられそうだったから。
結局、沢村はいつだって、自分を笑顔にしてくれる、「癒し」の存在だった。過去も、現在も……。昔は彼の言動に怒ったことや、プレーに対して厳しい態度の時もあったが、いつも最後は、あの笑顔、意気込みに、常に励まされ、助けてもらっていた。
彼の言動、行動すべてが、胸に刻み込まれている。誰よりも努力をする彼に、不意に心を横切る感情もある。
そんなこと、彼には絶対に言えなかった。でも、「チャージ」という名目で、どうしても彼に触れたかった。初めて抱きしめたあの時の、彼の温もりが、忘れられなかった。
トイレを済ませ、部屋に向かう途中で、倉持とも出会った。
「おう」
倉持の声掛けに、同じように返事をする。
「なんかお前機嫌いい?」
倉持にそう聞かれ、顔をしかめる。そんな表情していただろうか。
「まぁいいけど。じゃーな」
「おぉ」
周りからそんな風に思われる表情をしていただろうか。御幸は口をへの字に曲げながら、自室に戻った。
御幸の言う「チャージ」を、沢村はどう捉えているのか。分からない。だが、嫌がられてはいないようだ。
自分が男である以上、この気持ちに気が付きたくない。そんな考えに至ることこそ、なんだかおかしな気がして、ため息をついた。
部屋を消灯し、ベッドに入って眼鏡をとる代わりに、アイマスクを装着する。
これから、辛い冬が、やってくる。季節的にもそうだが、自分たちにとっても、いつも以上に厳しい練習が待ち受けている。
それでも、目を閉じて脳裏に浮かぶのは、彼の笑顔。
御幸は自分の中で感じるものに、自嘲気味に鼻で笑い、口の中で呟いた。
「まだ、気付かなくていい ……―― 」
夜が明け、沢村は上段ベッドで寝る、先輩の倉持を大声で起こした。
「っるせーな、まだ目覚まし鳴るまで5分あるだろ」
「あと4分48秒です!」
「こまけーな!」
部屋で沢村が煩くて倉持は仕方なく体を起こした。
「ったく、やけにテンションたけーな」
ぼりぼりと後頭部をかきむしる倉持に、沢村は元気よく返事した。
「聞いてつかーさいよ!昨日、目が覚めちゃって、外歩いてたら、キャップと会っちゃって!」
倉持の許可もなく勝手に話し出す沢村。倉持はため息をこぼし、ベッドを降りて、彼の話を聞き流しながら寝間着を脱いだ。
しかし、その後の沢村の言葉に、手が止まる。
「キャップに、しんどいなら弱音吐いてください!って言ったら、御幸先輩、思わずハグしてくるんすよ~、キャップも弱いとこあったんすね!しかも、俺だけに教えるって言ってくれて、なんか嬉しいっす」
倉持は、その出来事に違和感を覚え、振り返る。
確かに、一昨日決勝戦後、病院へ連れて行くときに倉持や前園に弱音を吐いていたが、後輩にまで見せるような奴だっただろうか。
「……おとついの名残か?」
首を傾げつつ、朝練に行く準備をしながら、ふと考えこんだ。そして、上機嫌に鼻歌を歌う沢村に、釘をさすことにした。
「沢村、お前そのこと、あんま周りに言いふらすなよ」
「え?なんでスか?」
「アイツもキャプテンだからな。周りにそれ言ったら、みんなの士気さがりかねねーだろ」
「……下がりますか?」
大きい目をぱちくりさせる沢村に、倉持は鼻から息を吐いた。
「そーゆうもんだ」
それからしばらく、イヤな感触のする釘を刺された沢村は、倉持の言いつけを、しっかり守っていた。同級生の金丸や春市に会うと、思わず口を開けそうになったが、倉持からの厳しい視線に、はた、と口を閉ざすことが出来ていた。
そんなある日、神宮大会を終えてしばらくしてからのことである。
夜の10時を超えたころ。部員たちは各々練習を終え、就寝準備を始める中、御幸は沢村の部屋である5号室を訪ねた。5号室内に倉持はおらず、沢村がひとり、漫画を読んでいた。
「お、沢村いた。テスト前のくせによく漫画読めるな」
「キャップ!どうしたんすか。あ、脇腹痛みます?介護必要すか?」
沢村流の、右脇腹への気遣いに、御幸はいつもの調子で笑った。
「はっは、いらねーよ、ちょっと顔かせ」
沢村は漫画をベッドに置いて立ち上がり、上着を羽織った。
「なんすかー?」
雑談をしながら人気のないところへ向かう御幸。沢村は連れられるがまま、先輩の後ろを追った。
「んんー、ちょっと」
御幸は濁しながら室内練習場の裏側に回る。誰もいないその場所で、やっと立ち止まった。
「沢村、ちょっと、チャージさせて」
「あん!?」
振り向くや、突然のわけのわからない要求をしてくる御幸に、沢村は、あんぐりと大きく口を開ける。
「チャージって、なんすか?」
「んー、この前してくれたやつ」
「この前?」
首をかしげる沢村に、御幸は両手を広げた。
「そうそう、ほら、ハグ」
「あぁ!」
沢村はこの前の、真夜中に起きたことを思い出し、にんまりと笑った。
「俺にしか見せないキャップ、登場っすね!」
いい具合に、御幸にとって、ありがたい反応をしてくれる沢村に、御幸も同じような笑顔を向ける。
「そうそう、チャージってことで」
「いいすよ!どうぞ!俺の胸に飛び込んできてつかーさい!」
色気も何もない、そんな彼に御幸は静かに近寄り、抱きしめた。
――うん、やっぱり、この感じ、癖になりそう……
内心そう呟きながら、彼の後頭部を、右手でぽんぽんと優しく撫でる。
「それにしても、どうしたんすか?」
御幸の背中に手をまわした沢村は、軽く周りを見渡しながら聞いた。御幸はその問いかけに、先ほどと同じように濁す。
「いや、ちょっとな」
部屋で勉強していたところ、不意に、沢村のことを思い出したなんて、言えない。
「なんか、翼ほしくなっちゃって」
軽くボケに入る御幸に、沢村はテンションを上げる。
「レッドブルっすね!?」
「そうそう、あれ高いから、お前が俺に翼を授けて~」
耳元で笑いながら冗談を言い合う。
「じゃぁ、俺にも翼授けてくださいよ」
「うんうん、何がいい?」
「えーと、あ!球受けて!」
「だーめ。それは降谷との順番」
沢村の要求に、御幸が即座に否定すると、彼は、「くっそ~」とぼやいている。そんな彼に、御幸はふと、「かわいいな」と、笑みを浮かべた。
辺りはもう冷たい風が吹き、自分たちの温もりが、心を満たしていくのを感じる。
遠くからチームメイトの声が近付いてきた。御幸は一瞬だけ腕に力を込めると、やっと体を離した。
「ふぅ、サンキューな。お前の翼は、キャッチャーとして、グラウンドで俺が生やしてやるよ」
「なんだそれ!結局、降谷と一緒じゃねーか!」
文句を垂れる沢村に、まぁまぁとなだめながら足を動かした。
「お前、トイレは?」
御幸が部屋に戻る前に、トイレに行こうと彼を誘うが、どこかで聞いたようなセリフを言われた。
「トイレぐらい、ひとりで行けるわ!」
決勝戦直前にも言われた言葉だった。御幸は声を上げて笑った後、「おやすみ」とだけ声をかけ、ひとりトイレに向かった。
チームメイトともすれ違い、軽い挨拶を交わしながら、決勝戦直前のことを思い出す。あの時、御幸の右脇腹はすでに肉離れを起こしていた。試合直前に、沢村をトイレに誘ったのは、彼と話していたら、痛みを忘れられそうだったから。
結局、沢村はいつだって、自分を笑顔にしてくれる、「癒し」の存在だった。過去も、現在も……。昔は彼の言動に怒ったことや、プレーに対して厳しい態度の時もあったが、いつも最後は、あの笑顔、意気込みに、常に励まされ、助けてもらっていた。
彼の言動、行動すべてが、胸に刻み込まれている。誰よりも努力をする彼に、不意に心を横切る感情もある。
そんなこと、彼には絶対に言えなかった。でも、「チャージ」という名目で、どうしても彼に触れたかった。初めて抱きしめたあの時の、彼の温もりが、忘れられなかった。
トイレを済ませ、部屋に向かう途中で、倉持とも出会った。
「おう」
倉持の声掛けに、同じように返事をする。
「なんかお前機嫌いい?」
倉持にそう聞かれ、顔をしかめる。そんな表情していただろうか。
「まぁいいけど。じゃーな」
「おぉ」
周りからそんな風に思われる表情をしていただろうか。御幸は口をへの字に曲げながら、自室に戻った。
御幸の言う「チャージ」を、沢村はどう捉えているのか。分からない。だが、嫌がられてはいないようだ。
自分が男である以上、この気持ちに気が付きたくない。そんな考えに至ることこそ、なんだかおかしな気がして、ため息をついた。
部屋を消灯し、ベッドに入って眼鏡をとる代わりに、アイマスクを装着する。
これから、辛い冬が、やってくる。季節的にもそうだが、自分たちにとっても、いつも以上に厳しい練習が待ち受けている。
それでも、目を閉じて脳裏に浮かぶのは、彼の笑顔。
御幸は自分の中で感じるものに、自嘲気味に鼻で笑い、口の中で呟いた。
「まだ、気付かなくていい ……―― 」
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