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帰る場所

原作: その他 (原作:鬼滅の刃) 作者: 紫乃
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“俺”

悲しい“音”がする。
いつまでたっても、その音は消えない。時間がたつごとにその音は強くなっていく。
―――誰か、泣いている。
それも1人や2人ではない。もっと多くの人が泣いている“音”がずっと消えないのだ。
―――悲しい。
音に呼応して、こっちまで悲しい気持ちになってきた。早く起きて、その音をどうにか変えてあげたい。
―――早く、起きなきゃ。
そう思ったとき、悲しい音に混じって、懐かしい“音”が聞こえた。
―――ああ、この音…聞いたことある。

泣きたくなるような優しい“音”がする。

その音につられるように、俺はその重たいまぶたを押し上げた。
明るい光と共に視界に入ったのは、額に痣のある、優しそうな男の泣き顔だった。
「―――……善逸!!」
彼の悲しい“音”は、みるみる嬉しい“音”に変わっていった。
「良かった……もう、このまま死んじゃうんじゃないかって…」
赤みがかかった大きな瞳からボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちる。泣きながらもその顔は、とても嬉しそうに笑みが浮かんでいた。
「ああ、そうだ、善逸が起きたってしのぶさんに言わなきゃ」
あわてて椅子から立ち上がった男の服の裾を掴む。聞かなくてはならないことがあったからだ。
「待って!!」
「どうしたんだ、善逸?」
「あ、の……」
言葉が出てこない。聞くのが怖いのだ。
「善逸……?」
困惑した“音”が強くなる。せっかく明るい音になったのに、それをまた、悲しい音に戻したくはなかった。
「…大丈夫だよ、善逸。ここにはみんないるよ」
そう呟いた彼の音は、とても優しくて、とても暖かかった。
涙がこぼれそうになるのをこらえて、俺は思いきって口を開く。

「―――あなたは、誰ですか?」

俺の言葉とともに、彼の音が聞いたこともないくらい、悲しい“音”に変わっていった。




「一時的なものでしょう。血鬼術をうけた後遺症のようなものです」
「……」
「ただ、いつ記憶が戻るかはわかりません。記憶、なんてものは曖昧ですから。ふとしたきっかけでよみがえるかもしれませんし。まあ、しばらくは様子を見ましょう」
「はい、ありがとうございます…」
「善逸くん、どうかしましたか?」
蟲柱のしのぶさんは俺のうつむいた顔をのぞき込んで問いかけてきた。俺の心身共に、よく見ているのだろう。俺が何かを言いたいと思っていることぐらい、彼女にはお見通しなのだ。
「あの、しのぶさん」
「はい、なんでしょう?」
「…俺は、ここにいていいんでしょうか」
しのぶさんは目を見開いた。俺の質問が彼女にとっては俺らしからぬものだったのだろう。戸惑った“音”が聞こえる。
「どうして、そう思ったのでしょうか?」
俺の質問に戸惑いつつも、優しく問いを返してくれる。もともと優しい人なのだろう、目の前の胡蝶しのぶという人は―――。
「音が、聞こえるんです。みんなの悲しい“音”が―――」
俺を励まそうと楽しい話をしてくれたり、俺自身のことを話してくれたり、みんな笑顔で接してくれている。でも、どんなことをしていても消えないのだ。心の奥底に悲しい音が。
「みんなが求めているのは、今の俺じゃなくて、記憶がなくなる前の俺なんじゃないかって――――不安、なんです」
みんなから聞く“俺”は、すぐ泣いて、叫んで、逃げて、女の子が大好きなどうしようもない奴だ。だけど、そんな“俺”をみんな慕ってくれていることがよく分かった。
「今の俺がいても―――みんなを苦しめてしまうんじゃないかって、怖いんです」
こらえきれなくて、涙がボロボロとこぼれる。握りしめた布団の上に、いくつも涙の後が残る。その様子をしのぶさんは静かに見守っている。と、思ったら急にはあ、とため息を1つついた。そんな些細な仕草にも、びくっと反応してしまう。怯えている俺を気にした様子もなく、しのぶさんは言葉を続けた。
「相変わらずといいますか、泣き虫ですね。でも、そんなに思い病まなくていいんですよ。だって―――」

「ここは、あなたの居場所なんですから」
しのぶさんのその言葉に胸が締め付けられる。

ここにいていい―――そう、言われた気がして。


―――――すごく嬉しかった。


「焦る気持ちも分かりますが、無理はせず、自然にまかせてください。ゆっくり、自分と向き合えばいいんですよ。あなたは、1人ではないんですからね」
では、そろそろ仕事があるので、といいながらしのぶさんは病室を出て行った。終始笑顔のしのぶさんからも俺を心配する“音”が聞こえていた。以前の“俺”はそれなりに多くの人に慕われていたみたいだ。その事実が余計に胸にのしかかる。
「ゆっくり、かあ……」
いいのかな、本当に。ここにいるのが、以前の俺じゃなくて。
「ここが、俺の居場所……」
今の自分に居場所があるということが、たまらなく嬉しくて、それと同時にたまらなく申し訳なかった。
「早く、戻るといいな―――」
みんなが笑顔になれるように、早く――――。
みんなが望んでいる“俺”に、早く――――。
そう願いながら、眠気にまかせて目を閉じた。
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