祭り 3話
仁が放った弾は熊の人形の頭に当たった。重心が傾き、ゆっくりと落ちていく人形を見ながら、長谷川がおおっと声を上げて手を叩く。その様子を見て、これが成功なんだと認識した。構えを解きながら、人形を拾う長谷川に声をかける。
「これ、成功なん?」
「そうだよ」
台座から落ちた人形を拾い上げ、仁の方へ向かってくる長谷川は笑みを浮かべていた。はい、と言って人形を仁へ差し出す。
「んで、落とせば景品がもらえるって仕組みね」
射的銃を置いて、差し出された人形を受け取る。黒の瞳が屋台の光を弾き、きらきら光って可愛い。特に狙ったという訳ではない。だが、それはずっと欲しがっていた物のように感じられた。
「射的、初めて?」
嬉しすぎて声も出ない仁に長谷川がにっこり笑いながら尋ねた。人形から顔を上げて、長谷川と視線を合わせ、せやと短く答えた。
「祭りもあんまいかへんからね」
「へぇ、今時珍しいね」
長谷川は大げさに驚いてみせたあと、おもむろに仁が置いた射的銃を取り上げ、弾を詰める。そしてそれを仁に差し出した。首を傾げて長谷川を見るとにこにこと笑っていた。
「もう一発サービスしてあげるよ。射的デビューってことで」
驚いて目を大きく開いてしまう。その反応を長谷川は楽しんでいるように見えた。
「もう、江戸っ子は小粋なんやから」
まだ粋な計らいにどきどきと興奮している胸を抑えつけ、人形を脇に置き銃を受け取る。
「おおきに」
この高揚感。今なら何だって落とせる気がする。せっかくなら上物を狙ってみようか。ここに連れてきてくれた高杉に何かあげたい。
―せや、高杉さん、見ててくれはるかな。
遠くの屋台で此方の様子を見ているであろう、高杉の姿を探す。年甲斐もなくはしゃいでしまっている自分の気持ちを分かってくれるだろうか。一緒に、祭りを楽しんでくれるだろうか。
高杉は先ほどの場所から仁を見ていた。だが、その手が剣に触れている事にすぐ気が付く。右目の眼光が鋭い。真っすぐ仁の背後を射抜いているような。その様子を見て、夢見心地の帯びた熱が冷めていくの感じた。
高揚した胸の高鳴りが一気に静まると、周囲の音が一層大きく聞こえてきた。祭りの喧騒だけじゃない。忍び寄る足音と潜めた息遣いが。鼻を突く煙草の、燻した匂いが。
遠くの高杉に向かって、視線を送る。ええです。自分で何とかしますよ。
高杉は鋭い視線こそそのままだったが、構えをゆっくり解く。自分を包囲する人間の数はそれなりにいるようだが、この場を自分一人に預けてくれる高杉の采配が嬉しかった。ふっ、と笑みを漏らす。足音はすぐ背後で止まった。
「ええっ!なになに!何なの!?」
長谷川が困惑した声を上げる。周囲の客の声も長谷川と同じ。どうやら相当の大人数に囲まれてしまっているらしい。走らせた視線の先に、ゆっくりと流れる煙が見えた。首に鋭くて冷たいものをあてがわれた感触。切っ先だ。
目の前のひょろひょろした細長い体躯の男の首に、真っ直ぐ切っ先を向けつつ、土方は紫煙を吐き出した。
自分より少し低いくらいの身長に、高い位置でまとめた烏髪には簪をし、両耳にはピアスをしている。年相応に歌舞いた恰好をしているのを、祭りの前に対峙した時には気付かなかった。
「射的に夢中で後ろを獲られるたァ、指名手配犯にあるまじき緊張感のなさだな」
簡単に背後を獲られた仁を鼻で笑う。片手を上げ周囲の隊士に抜刀を促す。
「神妙にお縄に付いてもらうぜ。両手を上げろ」
この人数に包囲され、喉元に刀を突き付けられた状態ではもう逃れられまい。この捕り物は終わりが見えていた。だが。
「おっちゃんがね、もう一発撃ってええよって。射的デビューなんやて」
「あん?」
急に仁が発した言葉に、土方は訝し気な声を上げる。両手を上げろと言ったのであって、声を上げろとは言っていない。
「可哀想になぁ、これで祭りとも見納めだ」
しかし、完全に手中に捕らえたという余裕がある土方は、小馬鹿にするように仁を鼻で笑う。その取り付く島もない土方の言葉に、仁が「うぅん」と苦笑交じりに唸ったのが聞こえた。
「捕らえろ」
会話はお終いだ。縄を手にした隊士が、仁の傍らへ忍び寄る。しかし、細身の青年はなおも話し続けた。
「せっかくもらった一発やし大好きな人の欲しがる物を、と思っとって」
両の手を上げる事に応じない仁の射撃銃を持ったままの右手に縄がかかろうとしている。仁は抵抗する様子はない。にもかかわらず、この冷静に話し続ける様子は奇妙にも程がある。
「そんで今、それが分かったんです」
眼下の簪が揺れる。振り向きざま、仁の眼光が走るのが見えた。
ガツッ
鈍い音がして、土方が苦悶の声を上げた。爪先が両断されたかと思うほど鋭い痛みだった。足を踏まれたのだと瞬時に理解するが、痛みに反応した神経は、土方の意識とは裏腹に切っ先を仁の喉元から逸らしてしまう。その瞬間仁が身を翻し、捕縛しようとした隊士の腹に蹴りを放っていた。
どよっ、と周りの人間が騒めく声がする。
——くそっ、完全に奴に間合いを取られた!
痛みに耐え、土方が抜刀する。しかし、彼が見たのは銃口を真っ直ぐこちらに向ける仁の姿だった。
「鬼の副長の首なら、高杉さんも喜ぶでしょうね」
片手で射撃銃を構える姿は、先ほど屋台で見せていた不慣れな様子を微塵も残していない。清々しい程までの殺人鬼のそれだった。その場の全員が、その銃が玩具である事に気付かない。
乾いた音が、響いた。
「これ、成功なん?」
「そうだよ」
台座から落ちた人形を拾い上げ、仁の方へ向かってくる長谷川は笑みを浮かべていた。はい、と言って人形を仁へ差し出す。
「んで、落とせば景品がもらえるって仕組みね」
射的銃を置いて、差し出された人形を受け取る。黒の瞳が屋台の光を弾き、きらきら光って可愛い。特に狙ったという訳ではない。だが、それはずっと欲しがっていた物のように感じられた。
「射的、初めて?」
嬉しすぎて声も出ない仁に長谷川がにっこり笑いながら尋ねた。人形から顔を上げて、長谷川と視線を合わせ、せやと短く答えた。
「祭りもあんまいかへんからね」
「へぇ、今時珍しいね」
長谷川は大げさに驚いてみせたあと、おもむろに仁が置いた射的銃を取り上げ、弾を詰める。そしてそれを仁に差し出した。首を傾げて長谷川を見るとにこにこと笑っていた。
「もう一発サービスしてあげるよ。射的デビューってことで」
驚いて目を大きく開いてしまう。その反応を長谷川は楽しんでいるように見えた。
「もう、江戸っ子は小粋なんやから」
まだ粋な計らいにどきどきと興奮している胸を抑えつけ、人形を脇に置き銃を受け取る。
「おおきに」
この高揚感。今なら何だって落とせる気がする。せっかくなら上物を狙ってみようか。ここに連れてきてくれた高杉に何かあげたい。
―せや、高杉さん、見ててくれはるかな。
遠くの屋台で此方の様子を見ているであろう、高杉の姿を探す。年甲斐もなくはしゃいでしまっている自分の気持ちを分かってくれるだろうか。一緒に、祭りを楽しんでくれるだろうか。
高杉は先ほどの場所から仁を見ていた。だが、その手が剣に触れている事にすぐ気が付く。右目の眼光が鋭い。真っすぐ仁の背後を射抜いているような。その様子を見て、夢見心地の帯びた熱が冷めていくの感じた。
高揚した胸の高鳴りが一気に静まると、周囲の音が一層大きく聞こえてきた。祭りの喧騒だけじゃない。忍び寄る足音と潜めた息遣いが。鼻を突く煙草の、燻した匂いが。
遠くの高杉に向かって、視線を送る。ええです。自分で何とかしますよ。
高杉は鋭い視線こそそのままだったが、構えをゆっくり解く。自分を包囲する人間の数はそれなりにいるようだが、この場を自分一人に預けてくれる高杉の采配が嬉しかった。ふっ、と笑みを漏らす。足音はすぐ背後で止まった。
「ええっ!なになに!何なの!?」
長谷川が困惑した声を上げる。周囲の客の声も長谷川と同じ。どうやら相当の大人数に囲まれてしまっているらしい。走らせた視線の先に、ゆっくりと流れる煙が見えた。首に鋭くて冷たいものをあてがわれた感触。切っ先だ。
目の前のひょろひょろした細長い体躯の男の首に、真っ直ぐ切っ先を向けつつ、土方は紫煙を吐き出した。
自分より少し低いくらいの身長に、高い位置でまとめた烏髪には簪をし、両耳にはピアスをしている。年相応に歌舞いた恰好をしているのを、祭りの前に対峙した時には気付かなかった。
「射的に夢中で後ろを獲られるたァ、指名手配犯にあるまじき緊張感のなさだな」
簡単に背後を獲られた仁を鼻で笑う。片手を上げ周囲の隊士に抜刀を促す。
「神妙にお縄に付いてもらうぜ。両手を上げろ」
この人数に包囲され、喉元に刀を突き付けられた状態ではもう逃れられまい。この捕り物は終わりが見えていた。だが。
「おっちゃんがね、もう一発撃ってええよって。射的デビューなんやて」
「あん?」
急に仁が発した言葉に、土方は訝し気な声を上げる。両手を上げろと言ったのであって、声を上げろとは言っていない。
「可哀想になぁ、これで祭りとも見納めだ」
しかし、完全に手中に捕らえたという余裕がある土方は、小馬鹿にするように仁を鼻で笑う。その取り付く島もない土方の言葉に、仁が「うぅん」と苦笑交じりに唸ったのが聞こえた。
「捕らえろ」
会話はお終いだ。縄を手にした隊士が、仁の傍らへ忍び寄る。しかし、細身の青年はなおも話し続けた。
「せっかくもらった一発やし大好きな人の欲しがる物を、と思っとって」
両の手を上げる事に応じない仁の射撃銃を持ったままの右手に縄がかかろうとしている。仁は抵抗する様子はない。にもかかわらず、この冷静に話し続ける様子は奇妙にも程がある。
「そんで今、それが分かったんです」
眼下の簪が揺れる。振り向きざま、仁の眼光が走るのが見えた。
ガツッ
鈍い音がして、土方が苦悶の声を上げた。爪先が両断されたかと思うほど鋭い痛みだった。足を踏まれたのだと瞬時に理解するが、痛みに反応した神経は、土方の意識とは裏腹に切っ先を仁の喉元から逸らしてしまう。その瞬間仁が身を翻し、捕縛しようとした隊士の腹に蹴りを放っていた。
どよっ、と周りの人間が騒めく声がする。
——くそっ、完全に奴に間合いを取られた!
痛みに耐え、土方が抜刀する。しかし、彼が見たのは銃口を真っ直ぐこちらに向ける仁の姿だった。
「鬼の副長の首なら、高杉さんも喜ぶでしょうね」
片手で射撃銃を構える姿は、先ほど屋台で見せていた不慣れな様子を微塵も残していない。清々しい程までの殺人鬼のそれだった。その場の全員が、その銃が玩具である事に気付かない。
乾いた音が、響いた。
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