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五月雨

原作: 銀魂 作者: 子リス
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祭り 序章

夜の空に月が見える。月が浮かび上げる靄のような雲は全く流れていなかった。それなのに、この風景が弾んでいるように見えるのは、遠くで聞こえる祭囃子のせいか。

ざり、ざりと下駄を引き摺るように歩く青年は先ほどから風が吹いていないことに気が付いた。肌に密着するようにぴたりとした空気が重たい。

しかし青年は、団扇を扇ぐ手を止めた。足も止めた。周りを取り囲む気配に、気付いたからである。その気配は、今夜の空気のように纏わりつくような殺気だった。青年はその殺気の方向を見ているのに、その主達は姿を現さない。ちょっと、まさか気付いていないとでも思っているんですか。

じぃっと、行く先にある軒下の影を見つめる。気付いているんですよ、こっちは。

「ちっ」

見つめた先から漏れてきたのは、人の舌打ちだった。その音のあとに、ばらばらと通りに出てくる人、人、人。夜に馴染む黒の隊服を纏った男達だった。真選組である。前に、右に左に、後ろ。ぎらぎらしたたくさんの刀がこっちを見ている。しかし青年は腰の刀に手をかけない。

「よう、散歩か」

ふと鼻を突く煙草の匂いがする。正面の隊士の群れが割れて、奥の男がゆっくりと近付いてくるのが見えた。月光を背に顔が見えないけれど、あいにく鬼の声には敏感だった。

「こんばんは、土方さん」

青年は正面の男に微笑んだ。その男も笑顔を返した。とびきり凶悪な笑顔だった。

――おお、怖っ。

別に優しい笑顔を向けられると期待した訳ではないが、ここまで人を怯えさせる笑顔を向けられちゃ、本当に警察かと疑ってしまう。今日はご立腹のようだ。一体、何に腹を立てているやら。

お縄になるのもご免だが、今は戦いたくない。幸いこんな大勢で取り囲みながら、すぐに斬りかかってこない。それなら、のらりくらりと逃げる方法はないものか。

「散歩じゃのうて、これから祭りに行こう思ってはります。ほら、高杉さん祭り好きやろ」

「そりゃあいい」

土方が遮るように言葉を重ねてきた。たぶん、高杉の名がお気に召さなかったのだろう。こうも怒らせるなら散歩ということにしておけばよかった、と律儀に土方との会話を成立させようとした自分を恨む。

はっきり見てとれるほどに殺気立っている土方を前に、刀に手を伸ばすべきか悩む。

だが、今は刀を抜きたくなかった。

「もう、勘弁してくださいよ」

怒りに燃える土方を落ち着かせたくて放った言葉だったが、懇願するような声が出た。我ながら情けない。

「僕ね、祭りっての小さい時に行ったっきりなんですよ。楽しみにしてたんです」

「そうかい」

「射的とか、金魚すくいとか、綿菓子とか、りんご飴ってのもあるんでしょう。見てみたいなって思っとるんですが」

「そうかい」

「・・・もう、勘弁してくださいよ」

取り付く島もない土方の態度に、意識せずとも溜息が出た。二度目の勘弁してくださいよを吐きながら項垂れる。これでは、約束の時間に遅れて高杉にうるさく言われてしまう。だがこの期に及んでも、剣は抜きたくない。だって、さっき刀身についた血を拭ったばかりだ。

目の前の悠々と煙を吐く土方が少し憎らしい。彼は長く、長く煙を吐いた。

「派手でいいぜ、祭りってのは」

自分自身を落ち着かせるような、そんな雰囲気をまとった声だった。まっすぐ土方を見つめながら、鼻に届いた紫煙の匂いを嗅ぐ。苦い匂いだ。高杉みたい。

「今年は花火もあがるってんで、特に盛大だ。知ってると思うがな」

青年は心の中で繰り返した。高杉の口からその花火を見に来いと言われたんだから。頬を雫が滑っていく。泣いてもいないし、汗でもない。現にその雫は透明じゃない。

これを拭おうと手を動かせば、真選組の面々は斬りかかるかもしれない。迂闊には動けなかった。

「汚ぇ、血を拭え」

見かねたのか、土方が言う。おや、優しい。

「すいません」

着物の袖を引っ張りながら、顔を無造作に拭った。特有の鉄っぽい匂いと、ぬるりとした感触がする。ここまで無防備な様子を晒しているにも関わらず、真選組は動かない。その代わりに、また土方が口を開いた。

「お前くらいの若い連中は、浮ついた格好で祭り祭りとはしゃぐがな」

最後の煙を吐き、足元に吸い殻を落とし、足で火を消す。その一連の動きを目で追う。火を消し、顔を上げた土方と目が合った。

あ、鬼の目だ。

「祭りってのはぁ、そんな恰好で行くもんじゃないぜ」

土方が言い終わったと同時に、前髪から垂れた赤い雫が落ちていくのが見えた。

さっきより明るくなったせいか、返り血に染まった自分の着物がはっきり見えた。土方の後ろの隊士が自分を見て息を呑んだのが分かる。

つん、とまたあの鉄の匂いがした。



「おい、岩倉。てめぇ何名殺った?」



土方の問いかけが耳に響く。

問いかけられた岩倉仁は考える。答えなど分かるはずもなかった。

数を数えていたら、自分が奪った命の数に押しつぶされてしまう。正義のためだ、と割り切る事ができない情がうるさい。

「知りません」

岩倉は短く答えた。



「ですが、これが、僕の貫きたい道なんですよ」



ためらっていた抜刀は、驚くほどすんなりと。滑り出た刀はあまりにも手に馴染んだ。


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