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三途の川を渡る電車

ジャンル: その他 作者: そばかす
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第31話

「これ」
 ぼくは死神の鎌を見せた。
「こいつでなんとかならないかな?」
「なるほどね。たしかに、いるかどうかわからない車掌を捜し回るよりいいかも」
 シンヤは体を起こして手をのばした。
 彼の右目からは血が新たに流れ、乾いた血の川のうえに、新しい小川をつくった。
「そんな顔しないでよ、お兄さん。この世界だからか、見た目ほど痛くないし」
 彼は距離感が狂うのか、ぼくが差しだした鎌の柄を、二度三度と掴みそこね、四度目でようやく掴んだ。
「でも、どうやって切ればいんだろう?」
「え?」
 いわれてから、ぼくも気づいた。腕や足と違って、あの黒い怪物の一撃を片目で受けたのなら、いったいどうしたらいいんだろう? まさか首を切り落としたり、頭をまっぷたつにするわけにもいかない。
「えぐる……しかないかなあ」
 小学生の口にした恐ろしい言葉に、ピュアが青くなる。
「悪いけど、お兄さん。やってもらえないかな」
 柄を短く持って、刃をためつすがめつしていたが、どう考えても自分で自分の右目の穴をえぐるなど不可能だ。鏡もないし、鎌はその形状からそういうことには不向きだった。
「わかった。ぼくがえぐるよ」
 鎌を受け取り、シンヤを座席に横たえ、そして、そっと刃をシンヤの右目の奥に入れた。
 一瞬、痛みか恐怖で、顔をゆがめたシンヤだったが、すぐに冷静なふうを取り繕った。
 ぼくは、慎重にえぐった。
 ……たぶん、これで大丈夫なはずだ、という直感が働く。
 死神の鎌の先端には、崩れた元は眼球だったものと、いくつかの細い繊維のようなものがへばりついていた。
「ふう……たぶん、うまくいったね」
 シンヤはまばたきした。
 けど、新たな血が流れることはない。
「痛みは完全になくなった。たぶん悪い部分をすべて切り取れたんだ。ありがとう、お兄さん」
「どういたしまして」
 人生で二度目の心からのお礼を受けながら、ぼくは微笑んだ。

 そこからは単純な話だった。
 ただひたすら長い長い列車を後方まで歩き、そして次に電車の扉をまた黒い怪物で破壊して、線路に降り立ち、ぼくら三人は歩きだした。ピュアが歩きにくそうなので、ぼくが肩を貸して。
 そして。
 ぼくらの長い長い旅がはじまった。
 あの夕陽がなかなか沈まなかったことから予想はしていたが、夜は明らかに長かった。朝を当然迎えるべきはずの時間が経過しても、まだ夜のまま。
 ひたすらぼくらは、夜の線路を――三途の川の上の鉄橋の上の線路を、歩き続けた。

 ねえ、いくらなんでも長すぎない、と誰かがいった。別の誰かが答えた、ぼくかも知れない。おそらくぼくらが目覚める前に相当電車は移動してたんじゃないかな。さらに三人目の声が答えた。そういえばストリートは寝てたらしいしね。ぼくらも居眠りしてたのかもしれない。星も見えない薄曇りの夜空の下、ぼくらは歩いた。よく目をこらさないと落ちそうになるほど暗い線路を黙々と。暗い中あまりにも長い道行きにぼくらは次第に意識が混濁するようになってきた。このまま永遠に歩き続け『現世』とやらにはたどりつけないんじゃないか。そんな不安を胸に抱いた、いや、もしかしたら口にしたかもしれない、いやいや、案外誰かがそういったのかもしれない。ただただ、ひたすら歩いた。

 それは、唐突で、ぽつんと、あたりまえのように、非現実的に存在していた。
 鉄橋の終わり――つまりは三途の川の川岸に、小さな駅のホームが見えてきた。ぼくが見慣れた家の近所の駅。小さな駅で、駅員は立っていたりいなかったり。たいてい朝方の通勤通学ラッシュのときだけ立っていて、昼には見かけない。
 ぼくらは――
 現世にたどりついた。

 目覚めると、ぼくらは同じ病室で横になっていた。
 大部屋。ベッドは六つ。うち三つは空っぽで、その歯抜けのようになったベッドの位置は不自然な感じ。誰かそこにいたのかもしれない。
 ぼくが顔を横に向けると、ピュアの顔があった。そして足下のほうに目を向けると、シンヤの顔があった。
 目を覚ましたぼくらに気づいた意思と看護師たちが駆け寄り、大騒ぎとなった。

 ぼくらはある日、ネットの片隅で出会い、練炭で集団自殺をしようとしたらしかった。
 発見が遅れたため、六人のうち三人が死亡した。
 ぼくらはその三人の顔がすぐに浮かんだ。ストリート、ギャング、クロス……。あの三人だ。

 元の世界に戻ったぼくらは、
 自殺前より、一層酷い立場に立たされていた。
 幸い未成年のため報道こそされなかったものの、――「なぜだかわからないが」と医師は前置きし、「きみの右腕は動かない」ということを述べた。
 ぼくはそれにただ頷いた。
 あの世界はまったくの夢ではなかったのだ。失ったものは戻らない。腕も、足も、目も、……三人の魂も。
 脳に後遺症でも残ったのかもしれないとあやふやな口調でそういう医師の話を聞き流し、ぼくはこれからのことに思いを馳せた。
 あの長い線路を渡ったことを思えば、なんだってできる気がした。
 ――が。
 結局そんな気持ちだけ前向きになっても、たいして現状は変わらない。
 ぼくはこれまでの十七年間と同様に打ちのめされ、あげくに片腕を失った不自由さに悲鳴を上げたいほど。
 そんなある日、ぼくはピュアと病院の待合室でばったりと出会い、電話番号を交換した。シンヤの番号を彼女が知っていたので聞いた。

 とある平日、学校を適当な理由で休んだぼくは、同じく学校をさぼったピュアと合流し、シンヤと待ち合わせしている公園まで歩いていた。もう小学校は放課後の時間。
 公園の前に行くと、シンヤが同級生たちのランドセルを大量にもたされて、ぶどうのふさのようになっていた。そしてその無防備なお尻に蹴りをいれられている。
「おっそいぞ、シンヤ! この片目お化け!」
 子供は残酷だった。
 シンヤはとろとろと歩いている。
「やめろよ」
 ぼくは声をかけた。
「そうそう、やめなさいよね、そんな意地悪なんて」
 ピュアも声をかけた。
 大人たちが注意してきて、反抗心?き出しの顔で、ぼくらふたりを見たが、
 ――ぎょっと、子供達はして思わずあとずさった。
 そう。ぼくは動かない片腕をすっぱりと切り落とし、片方の袖は肩口から風にたなびいている。
 同じようにピュアも右足首は義足になっていた。慣れればあんな動かない足より義足のほうが調子がいいらしい。
 金属の光沢が陽射しをあびて、スカートから伸びた足の先で光っている。
「お、お化けの仲間が来たぞ! 逃げろおお!」
 少年達が大騒ぎして駆け去っていった。
「よう。お化けの少年」
 ぼくは、シンヤに微笑んだ。
 彼は、義眼と本物の目の両方を細めて、微笑み返してきた。

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