ネット喫茶.com

オリジナル小説や二次創作、エッセイ等、自由に投稿できるサイトです。

メニュー

三途の川を渡る電車

ジャンル: その他 作者: そばかす
目次

第13話

「もう歩けなーい、などとぬかしよったんやで」
 クロスは声真似していった。似ているかどうかは知らない。
 彼女を先頭に、ぼくらはシンヤがいるところまで歩き始めた。車両を五つほど移動した先にある座席に座っているという。
「しっかし、ほんまけったいな川やなー」
 クロスは歩きながら夕陽を照り返している川面を見つめていた。
「むっちゃでかいし、大きいし、これ海やっていわれてもウチ信じるかもなあ」
「けど、川よね?」
 ピュアが尋ねる。もうふたりはすっかり仲良しだ。
「そやな……なんでか知らんけど〝川〟やって一目見たときに気づいた。……むむ、改めて考えるとちょっと不思議ちゃう?」
「そうかな……まあそうかも。……ああでも、海にこんな橋があって電車が走ってるわけないって先入観からかも」
「ああー、そうかもなー」
 あまり納得したふうではないが、クロスはそのごてごてした服の上にある頭を縦に揺らした。
 こうして背後から、この四人のうしろ姿を見ていると、なんとも違和感が凄い。
 ホームレスらしい着古したセーターに伸びるに任せた白髪、おそらく相当な値段のするゴシックファッションに身を包んだ美容院に行ったばかりといった凝った髪型、制服姿に校則遵守したらしい黒髪、腕に大きな刺青のあるタンクトップにスキンヘッド。
 その後頭部と背中を眺めているとこんな四人が和気藹々とした雰囲気で歩いているのがすごく思えた。
「そういや、ギャングさん、頬に小さいけど、ケガしてるやん。それもつい最近らしきケガ。……どないしたんや?」
「え? もしかしてクロスは会ってないの? あの〝黒い怪物〟に」
「〝黒い怪物〟?」
 〝黒い怪物〟の正式名称は知らない。
 とはいえあの姿を一度でも見ていれば、黒い怪物という言葉だけでピンと来るだろう。黒い霧のようなものをまとっているのか、それ自体が本体なのかわからない、明らかに人でも動物でもない怪物。
「……少なくとも、うちは知らんし、おそらくシンヤも知らんでえ」
 彼女は、うしろを振り返り、ギャング、ストリート、ぼくの顔を順に見た。
「じゃあ、その怪物とやらに、そのケガやられたんか?」
「ああ、そうだ。しかも、おれだけじゃないぞ」
 ギャングの言葉を受けて、ピュアは立ち止まって、右足を上げた。紺のソックスが引き裂かれ、露出した白い肌には血が薄くだが滲んでいる。
「うわっ! ケガしとるやん! 大丈夫なん?」
「大丈夫。見た目同様たいしたケガじゃないわ」
「っていうか、この世界――まあ世界と呼んでいいのかようわからんけど、この車内って基本的に人畜無害やん? ただ夕陽の中がたごと走っとるだけで。……正直そないな怪物が出現するなんてびっくりや!」
「そりゃそうよね。あたしだってびっくりしたもん」
「けど他のみんなは大丈夫やったん?」
「うん。少なくともケガをしてるのは、ギャングとあたしだけ」
「そっか……」
 十字架の飾りとフリルが目立つ胸元をなでおろし、息をつくクロス。
「で、その怪物って一回だけなん、現れたの?」
「ええ。一回……かな」
 ピュアの瞳がちらりとこちらを向いたが、すぐにそらされた。
「どっかの嘘吐きが、車窓の外に見たなんていってたけど。本当に現れたのは一回だけよ」
「…………嘘吐き?」
 クロスは、ぼくのほうを向いた。先程のピュアの視線の意味は明白。「どっかの嘘吐き」とはぼくのことに違いない。
「嘘ではありませんよ」
 ぼくは心の内側がじっとりと汗ばむような感じを覚えた。心の内側――しっかりと封をした心のその内側に、なにかが生まれようとしていた。……怒り、困惑、悲しみ……いったいなんだろう? そんな内心の動揺をよそに、ぼくは丁寧に答えていた。
「嘘よ。だってあたしもギャングもストリートも見なかった。あんな大きな怪物がいたんなら、絶対気づいたはずよ!」
「そ、それでも、嘘ではありません」
 嘘でない証明などできない。こう繰り返すしかなかった。
「まあまあ。喧嘩はやめてえな。一回でも二回でも同じや。ようはそんな超危険な怪物がおるってだけで充分や。……お疲れのところちょい悪いんやけど、走らせてもらうで!」
 いうが早いかクロスは自分の長くてひらひらしたスカートを両手でつまんで走りだした。
 ヒールの高い靴なのによく走れるな、と感心したが、よくよく見るとかなり走りやすそうなデザインだった。高いのはヒールだけではない。靴底全体が高いんだ。
 ぼくらはクロスに続いて走りだした。

「クロス、どうしたの? マスカラが汗で流れて、ホラー映画に出演できそうな顔になってるよ」
「相変わらず口の減らんガキやなあ」
 クロスは唇をとがらせたものの、〝黒い怪物〟とやらに襲われた気配もなく、座席に座って両足をぶらぶらと揺すっている子供を見て、安心したように笑った。
「どうしたの?」
 分厚いメガネをかけた少年――小学校中学年くらい――は、初めて不審そうな顔をした。
「この電車、じつはな……」
 クロスは一拍空け、
「怪物が出るらしいでえ」
目次

※会員登録するとコメントが書き込める様になります。