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三途の川を渡る電車

ジャンル: その他 作者: そばかす
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第3話

「じゃああたしはピュアで」
「ピュア?」
「純真ってことよ。どっかの誰かと違って」
「はぁ」
 ぼくは要領を得ない返事を返した。
 ぼくはぼくが本当に感謝していると考えたから、ありがとうと口にしただけだ。家族からもよく『もっと素直になれ』といわれている。素直にきちんと気持ちを伝えたつもりだったのだが。
「純真だからピュアさんですか……なるほど」
「ばかにしてる?」
「いいえ。まったく。とてもお似合いな名前だと思いますよ? どんな理由かは存じませんが、純粋だからこそ泣くことができるのでしょうし」
「そうね。……ね。ひとつだけいっていい、サンクス?」
「はい」
「あたし、あなたのこと最初からどこか気に食わなかったけど、はっきりとわかったわ。あなたのこと、あたし超嫌い。きもいし、必要最小限以外話さないで」
 それにしても、とピュアはしばらくして言った。
「ねぇ、ほんとになんなのこの川……」
 一方的に会話を打ち切ってきたはずの彼女は、わずか一分足らずで沈黙に耐え切れず話しかけてきた。彼女の目は先ほどから夕陽を反射させている、巨大な、巨大すぎる川面に釘づけだ。
「これって現実? まさか夢? あんた、ちょっと自分の頬をつねってみなさいよ」
「はい」
 ぼくは頬をつねった。
 頬を夢の中でつねるという行為は、自分でやるから意味があるのだろう。もし仮にぼくが彼女の中の夢の中の登場人物だったとして、ぼくが彼女に「頬をつねったら痛かったです」と伝えたところで夢の中の人物の、ただの絵空事の証言となる。それに、よく夢の中で頬をつねると痛いなら現実という判断方法が一般に知れ渡っているが、実際に夢の中でも痛みを感じた気がすることはありえる。なので、まったくこの彼女の提案は意味をなさない。
 ぼくは自分の頬をほんの二、三秒、頬が赤くなりそうなほど、きつくつねった。目的から類推するに、このくらいきつくつねらないと意味はないと思ったのだ。
 ちらりと、彼女は、ぼくのつねった頬に目を向けたが、すぐにまた川に視線を戻した。
 川は、相変わらず波もなく、船も浮かんでおわず、島も対岸も、なにも見えない。ただキラキラと夕陽を反射して、幾千も鏡を並べたように見えた。
「で、どう? 痛い」
「痛いです」
「全然痛そうじゃないなじゃない」
「いや、ほんとに痛いですよ」
 そう、実際痛い。というか、ぼくはこれをただの夢だとは微塵も思ってなかった。あまりにもあらゆるものがリアルすぎる。座席の質感や車内の少しよどんだ空気など、まさに通学帰りに車内そのままだ。リアルな夢などまったく見ないぼくがこんな夢を見るなどあり得ないだろう。
「ねぇ」
「はい」
「あんた、ほんとに気持ち悪いわね。……これであなたの顔がのっぺらぼうなら、間違いなく悪夢だって断言できるわ」
「気持ち悪い……ですか? 指摘して頂いたら、直しますが」
「なんでも直すの?」
「もちろん、その指摘が正しければ、です」
「だったらその口調! あたしとあんたは同い年くらいでしょ? なのになんで敬語なのよ」
「変でしょうか?」
「学校でもそんなふうなの? クラスで話すときとかも」
「もちろんです」
「…………。あんたって、親しい友達も、顔見知り程度のクラスメイトも、全員さんづけで呼ぶタイプね」
「…………」
 ぼくはまばたきした。ずばりいい当てられてちょっと驚いた。
「そうです。ぼくは、みなさんをさんづけで呼んでいます」
「下の名前で呼び捨て……とか、あだ名とかは?」
「いいえ」
「ひとりも?」
「はい」
「…………」
 少女は下唇を噛み、下からねめつけるように見上げ、
「じゃあ小学生の頃も?」
「……おそらく。……少なくとも物心がつく頃には教育して頂いておりました。三つ子の魂百まで、という言葉があるように、子供の頃からしっかりとした教育を施すのは親や祖父母としての義務であると」
「ふぅん。……きもっ」
 そう吐き捨てると、少女は距離を置いた。
「サンクス。行くわよ」
「はい」
 ぼくは動きだすことについて、多少反対だった。確かに現状は変化なし。けど……変化というのは、プラスのこともあれば、マイナスのこともある。雪山での遭難と同じだ。ここがどういう場所で、あの川がなんなのかわからない以上、蘇らない記憶についてもっと話し合ったほうがいいかもしれないと思った。
 現実的に考えるならなにか薬品でも嗅がされて気絶させられ、国外にでも連れ出されて、この電車に乗せられたというところだろう。なんのために? という疑問も、果たして海外にこんな地形があるのだろうか? といういぶかしさも残るものの、どちらにせよ、ここで動いて確実にプラスになるという予測は立たなかった。
 それでも黙って、ぼくは彼女のあとについて歩いていく。
 黒髪を揺らして歩く彼女は、連結部のドアに手を開け、そこを抜けていく。ぼくもすぐあとに続いた…………。
 車両を三つ移動し、四つめで、新たな人を見かけた。
 正確には、ぼくも彼女も思わず通りすぎようとしていた。あまりにも車内の風景に溶け込みすぎているので、気づかなかったのだ。
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