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『狂った歯車、自我との葛藤』

ジャンル: その他 作者: ちゃんまめ
目次

後編

精神科へ行くと二種類ほど薬が処方された。

この頃、上手く睡眠も取れなくなっていた。

勿論、勉強が出来る精神状態ではないが根が真面目なのか成績は悪くても学校に朝早くに行き図書室で勉強し、放課後はまた図書室で遅くまで残って義務的に勉強をしていた。

友人関係には恵まれ過ぎているくらい恵まれていた。

腕や手首に増えていく傷を隠しながら笑顔で明るい道化師を演じていた。

笑顔を作れば作るほど心の傷が増えていった。

 そんなある日、祖母の一言で私は遂に爆発してしまった。

私は泣き喚き怒鳴り散らし部屋へ戻り思いっ切りリストカットをした。

慌てて部屋に入って来た母が驚き、「もう我慢しなくていいから。」と言ってくれた。

そして完全に居場所を無くした私は精神科に緊急入院する事になった。

その時期は大切な大学受験を控えた高校三年生の夏だった。

入院前の外来で私は主治医に「もう学校にも家にも居場所が無い」と

伝えた。

主治医も私の状態が切迫していると判断してくれて任意入院ではなく緊急入院という形を取り直ぐにでも入院が可能な様に手配してくれた。

これは後に聞いた話だが「あさみは明日から病院に入院しますので。」と祖母に伝えた母は祖母に「入院したいのは私の方だよ。」と言われたそうだ。

主治医の判断で母以外の家族の面会は禁止となった。

私は幼い頃から家族の暖かみや大切さを感じて育っていないのか家族を大切に想う感情が酷く欠如している。

実は母は私が入院している病院の職員だ。

お昼休みになるとお弁当を持って来て一緒にお昼を食べた。

母のお陰か私は贅沢にも個室で過ごせた。

初めて家族と離れた環境。

寂しさは一切感じなかった。

お見舞いに高校の現代文の先生が来てくれた事もあった。

先生は元気そうに見えていた私が入院、それも精神科に入院している事に驚きお見舞いに来てくれた。

親戚の仲の良い小さい頃によく遊んだお姉ちゃんもお見舞いに来てくれた。

私は入院しているとは言え未だに道化の癖は抜けずに看護師さん達にも笑顔で接していた。

出来る時は勉強をしたりした。

否、勉強の真似事だった。

私は良い機会だと思い、カウンセラーの先生に精神分析が出来る様々なテストをしてもらった。

私は漫画やアニメは好きだが絵心があるわけではない。

レクリエーションの時間も入院生活の中にはあって散歩をしたり卓球などの軽い運動、歌を唄う、絵を描く、習字などがあり興味のあるものには参加した。

絵を描くレクリエーションの延長で私は下手くそな髑髏に青い薔薇が刺さっているタトゥーの柄にありそうな絵を描いた。

その絵を見たカウンセラーの先生は「どうして薔薇を青にしたの?」と私に尋ねた。

私は青色が好きだから青にしたと答えた。

それは本当の事だ。

よく幼稚園児が太陽の絵を描いてその太陽が黒など実際とは異なる色で表現すると親が呼び出されて話を訊かれるという話は聞いていが同じ様な状態だったのだろう。

私が退院を考え始めたきっかけは、同じく入院している患者さん達の影響が大きかったのかも知れない。

私は増え続ける薬を飲んでもボーっとしたり呂律が回らない状態にはならなかった。

入院している患者さんの中には話し方がどこかおぼつかない感じがする人、ガリガリに痩せ細っていて鼻から栄養を入れる管を入れている患者さんも居た。

皆、苦しんでいる…頭では解っているけどこれ以上此処に居れば私は引っ張られてしまう。

そう思ってしまった。

後は高校最後の文化祭が夏休み明けにあった為、私は退院したいと思える様になった。

そして退院へ向けての話が進むと、私をまたあの家へ戻すとまた同じ状態になるから高校の近くに母と二人で住むという環境を整えてくれる動きがある事が私を日常へと還る最大の決め手となった。

 退院して母と暮らし始めた。

高校にもまた普通に通う様になったが私は一生懸命休み時間も勉強に励む友達に囲まれた教室の空気に耐えられずに保健室や私を気に掛けてくれている体育の先生が居る体育教官室に居る時間が増えた。

この体育の先生は厳しい事から生徒の人気は低かったが凄く優しい先生だった。

恒例行事の山を越えるマラソン大会、私は参加するつもりだったが保健の先生と体育の先生から薬を飲んでいるから何が起きるか分からないから参加しては駄目だとストップがかかった。

私は学校で不安定になると持っていた頓服を飲みに保健室や体育教官室へ行った。

担任の先生にもかなりの迷惑を掛けていたと振り返れば申し訳ない気持ちで溢れる。

夏服になり半袖の制服を着ると隠せない腕の傷が目立ってしまっていた。

感覚が正常ではなかったのか特に隠す事もなく過ごしていた。

友達には不快な想いをさせてしまっていただろう。

ある友達に「その傷大丈夫?」と訊かれた事があるが私は飼っても居ない猫に引掻かれたとお得意の笑顔で返した。

大学に関しては私が希望した大学がかなり遠くにある事から希望者が居なかった事、そしてコイツは指定校推薦じゃないと大学に行けないと判断されたのか定かではないが指定校推薦という形で大学へ行ける事が決まった。

私は周りの人間、家族を除いた人々に恵まれ過ぎている。

この時程感謝をした事はない。

何故、遠くの地方に在る大学を選んだかと言うと、兎に角実家から遠くへ行きたかった。その一心だ。

 無事に高校を卒業し大学生となった私は初めて自由に触れた。

一人暮らしは寂しいなんて思わない。

私はこの自由と共に人生をリスタートするのだ。

待っている未来が明るいか暗闇なのかは関係のない事だ。

大切なのは「今」だ。

そして道化だと思っている自分をいつか受け入れてあげられる様に私は生きていきたい。
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