relieve5
万理と再会したあと、変わらず夢の中に出てきたときは正直ほっとした。まだ万理の夢を見ていられるのだと。しかしその頻度は徐々に下がっていて、受け止める覚悟が必要なことも頭のどこかでは理解していた。五年間のうちに、音楽と万理しかなかった自分の中にはたくさんのものが入り込んだ。けれど存在が小さくなっても、ずっとこころの中心にいたのだ。近いうちに見なくなるかもしれないそれを、わざわざ早めたくはなかった。
「泣くなよ……」
どこか困惑した万理の声に千は顔をあげる。
「泣いてなんか」
ない、と言おうとして、涙がぽろぽろとこぼれているのに気づいた。ほら、と万理が千の背中を押す。
「俺が悪かったから、とりあえず座って。メシ、食おう」
それまで自分が座っていた場所へ千を座らせると、万理は手際よくレンジで皿を温め、ごはんをよそって千に箸を渡した。おとなしくもそもそとサラダを口に運ぶ千を見ながら、さてどうしたものかと考える。
五年間という月日は大きい。万理はずっと画面越しではあるが千を見てきた。けれど、千のそれは空白だ。そこにひずみがある。
「千、また来てもいい? おまえのつくった料理、食べさせてよ」
「いいけど」
五年分をそんなにすぐ埋められるわけがないのはわかっている。ただ、こうして接していく時間を増やしていけば、いずれは夢も見なくなるだろうし、過去の万理を求めることもなくなっていくのではないかと思うのだ。
そう思いながらふと目を向けた先に、水族館のぬいぐるみがいた。ソファに鎮座ましましている姿はすこしシュールだ。
じっと見つめていると、万理の目線を追った千がそれに気がつく。
「なに、……ああ」
ふっと千の目じりがやわらいだ。
「あれは万だよ」
「は?」
「万がいなくなったときの代わり」
また妙なことを言い出したと万理は頭を抱えたくなる。なぜいなくなることが前提なのだ。
「いま本人がここにいるし、もう、いなくならないって言ってるだろ」
万理の言葉に、千はぷいとそっぽを向いた。
「その話はしたくない。五年前だって僕はおまえがいなくなるなんて思いもしなかった」
だからこの先も、いつかいなくなってしまうかもしれないと考えてしまうのだろう。その気持ちもわかる。
「悪かったよ。でもそれは、おまえとおまえの音楽を守るために、俺がいなくなるのがあのときの最善だと思ったんだ。おまえが九条の元でやっていけるとはとても思えなかった」
伝わらないかもしれないと思いながら万理は説明をした。だが九条の名前を出したのが功を奏したのか、千は万理の言葉に反論はせず、何かを考えはじめる。しばらく無言で黙々と箸を口元に運んでいたが、唐突に万理を見た。
「万、お茶飲みたい。あったかいやつ」
「あー、はいはい。お茶って日本茶? どこにあるの」
何の脈絡もない言葉に、けれど今日これ以上波風を立てるのはやめようと万理は素直に立ち上がる。
「紅茶。キッチンストッカーのいちばん上」
答えながら、千はまだ何かを考えているのか、ひたすらサラダを食べている。万理は勝手にキッチンの引き出しを開けてカップを探し、紅茶を淹れる準備をはじめた。
「ほら」
サラダボールの隣に紅茶のカップを置くと、千は置かれたそれを見て、それから万理を見あげる。そして万理が前髪の横から垂らしている長い髪を引っ張り、必然的に前のめりになる元相方に静かに告げた。
「いま、おまえがいなくなっても僕はだいじょうぶだよ」
「……あー、うん」
先ほどまでいったいなにをどのように考えていたのか。千の中で出た結論がそれなのだと思うと、どうしたら噛み合うのかと頭が痛くなる。万里がいなくなってもだいじょうぶなのは夢の中に万理がいるからか、魚のぬいぐるみを得たからなのか。どちらにしろまったく健全ではない。
いっそのこと身体をつなげてしまえばいいのかとも考えたが、たぶんそういうことではなく、千の中の意識が変わらなければだめなのだ。
そう思いながら万理はそのまま顔を近づける。自然に目を閉じた千があまりにも抵抗がなさそうで、唇が触れる前に万理は聞く。
「いいの?」
「なにが」
「だって、おまえがすきなの、五年前の俺だろ?」
核心をつくと、千は睨むように万理を見た。
「……そうだよ。だって万は五年間、僕の前にいなかったじゃないか。なのに、それをどうしろっていうんだ。いまは小鳥遊事務所の大神万理のくせに」
「百くんみたいなこと言うなよ」
「うるさい」
子どものような千に苦笑しながら、ふいに万理はひとつのことを思いつく。千のすきな五年前の自分。そして小鳥遊事務所の大神万理。そのふたつを利用すればいいのだと。
時間が必要なことは必要だ。いまのこの状態ではむりだろう。けれど万理が千の部屋に来ることが珍しくなくなったころならば可能かもしれない。
千が万理の代わりにしようとしている魚のぬいぐるみを持ち去り、そして、千のラビットチャットにいまの万理に目を向けさせるようなメッセージを送ればいい。
『魚は預かった。返してほしかったら、俺をおまえの大神万理にさせてみろよ』
「泣くなよ……」
どこか困惑した万理の声に千は顔をあげる。
「泣いてなんか」
ない、と言おうとして、涙がぽろぽろとこぼれているのに気づいた。ほら、と万理が千の背中を押す。
「俺が悪かったから、とりあえず座って。メシ、食おう」
それまで自分が座っていた場所へ千を座らせると、万理は手際よくレンジで皿を温め、ごはんをよそって千に箸を渡した。おとなしくもそもそとサラダを口に運ぶ千を見ながら、さてどうしたものかと考える。
五年間という月日は大きい。万理はずっと画面越しではあるが千を見てきた。けれど、千のそれは空白だ。そこにひずみがある。
「千、また来てもいい? おまえのつくった料理、食べさせてよ」
「いいけど」
五年分をそんなにすぐ埋められるわけがないのはわかっている。ただ、こうして接していく時間を増やしていけば、いずれは夢も見なくなるだろうし、過去の万理を求めることもなくなっていくのではないかと思うのだ。
そう思いながらふと目を向けた先に、水族館のぬいぐるみがいた。ソファに鎮座ましましている姿はすこしシュールだ。
じっと見つめていると、万理の目線を追った千がそれに気がつく。
「なに、……ああ」
ふっと千の目じりがやわらいだ。
「あれは万だよ」
「は?」
「万がいなくなったときの代わり」
また妙なことを言い出したと万理は頭を抱えたくなる。なぜいなくなることが前提なのだ。
「いま本人がここにいるし、もう、いなくならないって言ってるだろ」
万理の言葉に、千はぷいとそっぽを向いた。
「その話はしたくない。五年前だって僕はおまえがいなくなるなんて思いもしなかった」
だからこの先も、いつかいなくなってしまうかもしれないと考えてしまうのだろう。その気持ちもわかる。
「悪かったよ。でもそれは、おまえとおまえの音楽を守るために、俺がいなくなるのがあのときの最善だと思ったんだ。おまえが九条の元でやっていけるとはとても思えなかった」
伝わらないかもしれないと思いながら万理は説明をした。だが九条の名前を出したのが功を奏したのか、千は万理の言葉に反論はせず、何かを考えはじめる。しばらく無言で黙々と箸を口元に運んでいたが、唐突に万理を見た。
「万、お茶飲みたい。あったかいやつ」
「あー、はいはい。お茶って日本茶? どこにあるの」
何の脈絡もない言葉に、けれど今日これ以上波風を立てるのはやめようと万理は素直に立ち上がる。
「紅茶。キッチンストッカーのいちばん上」
答えながら、千はまだ何かを考えているのか、ひたすらサラダを食べている。万理は勝手にキッチンの引き出しを開けてカップを探し、紅茶を淹れる準備をはじめた。
「ほら」
サラダボールの隣に紅茶のカップを置くと、千は置かれたそれを見て、それから万理を見あげる。そして万理が前髪の横から垂らしている長い髪を引っ張り、必然的に前のめりになる元相方に静かに告げた。
「いま、おまえがいなくなっても僕はだいじょうぶだよ」
「……あー、うん」
先ほどまでいったいなにをどのように考えていたのか。千の中で出た結論がそれなのだと思うと、どうしたら噛み合うのかと頭が痛くなる。万里がいなくなってもだいじょうぶなのは夢の中に万理がいるからか、魚のぬいぐるみを得たからなのか。どちらにしろまったく健全ではない。
いっそのこと身体をつなげてしまえばいいのかとも考えたが、たぶんそういうことではなく、千の中の意識が変わらなければだめなのだ。
そう思いながら万理はそのまま顔を近づける。自然に目を閉じた千があまりにも抵抗がなさそうで、唇が触れる前に万理は聞く。
「いいの?」
「なにが」
「だって、おまえがすきなの、五年前の俺だろ?」
核心をつくと、千は睨むように万理を見た。
「……そうだよ。だって万は五年間、僕の前にいなかったじゃないか。なのに、それをどうしろっていうんだ。いまは小鳥遊事務所の大神万理のくせに」
「百くんみたいなこと言うなよ」
「うるさい」
子どものような千に苦笑しながら、ふいに万理はひとつのことを思いつく。千のすきな五年前の自分。そして小鳥遊事務所の大神万理。そのふたつを利用すればいいのだと。
時間が必要なことは必要だ。いまのこの状態ではむりだろう。けれど万理が千の部屋に来ることが珍しくなくなったころならば可能かもしれない。
千が万理の代わりにしようとしている魚のぬいぐるみを持ち去り、そして、千のラビットチャットにいまの万理に目を向けさせるようなメッセージを送ればいい。
『魚は預かった。返してほしかったら、俺をおまえの大神万理にさせてみろよ』
※会員登録するとコメントが書き込める様になります。