ネット喫茶.com

オリジナル小説や二次創作、エッセイ等、自由に投稿できるサイトです。

メニュー

鶴丸国永の恋文日記

原作: その他 (原作:刀剣乱舞) 作者: 杉田
目次

相聞

 現世において、私は完全に、存在を抹消されている。
審神者の職に就いた事に後悔はないものの、根無し草になった我が魂に、一抹の感傷が無い訳でもなく、本丸の運営がやっと軌道に乗ってきた今だからこそ、ささやかな手慰みを思いついた。
 これまでも、私は備忘録を記してはいたが、シンプルな箇条書きの様なものに過ぎなかった。それにもう少し、具体的な記憶と、感動を思い出す縁を、書き止めてみようと思い立ったのだ。
 文章を、少し工夫した。私は、イフの自分――審神者にはならず、現世で暮らす事を択選択した自分に向かって、話しかける様に書いてみた。
 これが結構、悪くない。
 本丸で起った、あの事、かの事。軍事機密は、文章に残す事を禁じられているから、私は、日々の幸福な事象を書き連ねた。非番の一日、乱と甘味屋をはしごした事。同田貫に護身術を教わった事。江雪と一緒に写経をし、次郎太刀と宴会芸を練習した事。それから、それから……。
 今日も果てしなく追憶に耽る私の頭上に、ふと影が差したと思うと、
「――あっ、ちょっと!」
「日記とは言え、もう少し苦労してみたまえ。相変わらず文章に、風流のフの字も感じられないじゃないか」
「放っておいて下さいよ」
 初期刀の歌仙が、苦笑気味に立っている。私も苦り切った顔で、彼の手から巻紙を取り返した。やれやれと、歌仙は腰に手を当てて、
「ねえ、君。皆の間にも、噂が立ち始めてしまったよ。主のささやかな愉しみを邪魔するのは恐縮だが、そろそろ引き際も考えるべきだ」
「ええ、そうですね……」
 私もさすがに、止むを得ない。拙い己の文章と言えど、手紙として読み直すと、その時の情景が生き生きと蘇る様で楽しかったのだが、本丸中に心配を掛けるのは、全く本意ではない。
「そもそもだ」
 歌仙が軽く、首を傾げた。
「何故、君の近侍に、それは恋文かと問われた時、きちんと説明しなかったんだ? それこそが、根も葉もない噂が立ってしまった原因だろう?」
「御尤ですが」
 私はみるみる青褪めて、
「まさか、自分で自分に手紙を書いてるなんて――どう説明したらいいんです? 相当イッてる女と思われるじゃありませんか?」
「まあ、否定できないな」
「ホラァー! 自分の近侍に、気持悪いとか思われたら、生きていけませんよ」
「見栄っ張りが過ぎるだろう」
 歌仙は笑うのを堪えつつ、それでもやんわりと、
「君のその、自己防衛的言動の為に、彼がどんなに思い悩んでいる事か。気の毒とは思わないのかい?」
「ぐっ……」
 ぐうの音も出ないし、勿論、申し訳なく思っている。歌仙には、鬼気迫る笑顔で、すぐに洗い浚いひみつを白状させられたが、鶴丸はひどく気を遣ってくれていて、いつもほどほどの、遠回しな質問しかしないのだ。
 そもそも、書き上げた日記を、実際に投函してみようかなどという、世迷い事を思いついたのが悪かった。
 せっかく手紙仕様で書いたのだからと、近況をたずね合う俗世の習慣が、つい懐かしくなったのだ。
 もっとも、自分に送る手紙を凝るのは馬鹿らしく、事務的な封筒を使った。自分の鳩に託すので、宛名も、差出人も要らなかった。
 それを、近侍に見咎められた。
 以来、真相を明かし損ねたまま、現在に至る。
 私は、文机に向き直り、筆を取り上げた。
「最後に……」
「うん?」
「この文は、近侍殿に宛てることにします」
「ほう。その心は?」
「貴方の言う通り、彼にはずっと、心配を掛けてしまった。その御詫びです」
 審神者の恋愛沙汰が、本丸に与える影響は弁えている。だから、恋文かと問われる度に、必ず否定してきたが、鶴丸はまあ、全く信じてはいなかった。隠し事をしているのは事実だから、胡散臭く見えて当然だ。
さて――、と私は筆の尻を頬に当て、考える。
 何を書くべきか。
 何から、書くべきか。
 ごめんなさい、と始めるべきだろう。あえて、手紙の様に書き綴った本当の理由は、日々のさまざまな感興を、誰かに聴いて欲しかった為ではないかと思えます。
 心ひとつに抑えかねる、よろこびや、悲しみを、誰かと分かち合いたかった。
「……いやいや」 
 余りに甘えた言い草に、即座に便箋を破り捨てた。ぐしゃぐしゃ丸めて、放り投げる。
 こんな事を、書く必要はない。ただ、シンプルに、事実を書くのだ。誰かから手紙を貰う、という現世の風俗が、ちょっと恋しくなっただけだと。
 それで、自作自演の、寂しい一人遊びをしていのだと。
「――いや、この告白は痛すぎる!」
「主」
 歌仙が、見かねた様に口を挟んだ。
「その文は、いつもの日記でなく、今度こそ、他人に宛てた私信なのだろう?」
「ええ」
「なら、素直になりたまえ。歌の世界でも、率直に優る名文名句はないと僕は思っている」
「でも、歌仙」
 私は、塩垂れた顔色で、悄然と言った。
「今までは、スラスラ文章が泛んだのに、今度こそ、文中で彼に話しかけるのだと思うと、頭が真っ白になるんです。正直になろうと思う程、言葉が迷って、筆が進みません」
「君――」
 ついに、歌仙が吹き出した。呆気に取られる私に、
「だから、そう書けばいいじゃないか」
「は?」
「まったく、世話が焼けるね」
 彼は、勝手知ったる文箱から、色取り取りの料紙を取り出し、私に突きだした。
「さあ、好きなものを選びたまえ」
「……いや、こんな綺麗な紙は、気後れがします」
「それを堪えて、書くんだ。真実を伝えようと言うのに、精一杯気を配らないでどうするんだ? 初めての恋文なんだろう。是非にも、心を映す、美しい文を作りたまえ」

「主!」
 立秋の景趣。離れから望める、一面のひまわり畑に、主が振り向いた。
 大きな、アーモンド型の眼。
 色素の薄い、薄手の顔で、審神者の制服――和装が似合わないと本人は嘆いているが、別にそんな事は無い。
「鶴丸」 
「やれやれ。心配させてくれるなよ」
 持っていた麦わら帽子を、ポンと頭に乗せてやる。
「近侍に無断で、一人歩きとはな。日射病になっても知らないぜ?」
「すみません」
律儀に、気の毒そうな顔をした。
「貴方を、誘き出しました。きっと一人で、探しに来てくれると思って」
「へーえ?」
 俺は首を傾げて、
「意外な策士だな。俺に用があったのか?」
「はい」
眼許で、微笑した。俺もつい釣られて、
「さっき、鳩が帰ったぜ。今日の郵便は、政府からの定期電信だけだ」
「分りました」
「主」
俺はふと気付いて、
「最近、例の文が来ないな」
「二度と来ないでしょう」
 ふっと、声を落して苦笑した。俺は素直に目を丸くして、
「文通を、止めたのか?」
「日記は、一人で書く事にします。初めから、そうするべきでした」
「そうか。それは、その……残念だったな?」
「いえ。別に全く」
 俺はくしゃりと、前髪を掻き回した。主の傷心につけこむ形になるのは不本意だが、しかし今更、引き下がれない。
「実は、俺も君に話がある」
 意を決した俺が、がばりと顔を上げたと同時だった。
「主、実は――」
「鶴丸。これを――」
 はっと、互いに顔を見合わせた。俺は、秋海棠を添えた、薄藍の上包みを差し出して、主は、透ける様な紅の、小さく結んだ文を差し出していた。
「主」
 さすがに俺から口火を切ると、審神者は弾かれた様に、バッと自分の文を俺に押し付けた。そして、
「その手紙は、私に頂けるのですか」
「ああ」
 俺は、彼女の細い指から、文を抜き取った。掌にきつく握り締めて、
「こんなに凝った文を贈るのは、俺も初めてだ」
「うれしい」
 俺の文を胸に抱きながら、主は深く俯いた。見えにくい表情の陰から、
「私も生れて初めてです。恋文を、人に贈ったのは――」
 息を呑んだ気配を襲う様に、ひまわりが揺れた。
夏風が、麦わら帽子を軽々と飛ばし、ひたむきに光る、張り詰めた双眸を見た。
 
 これで騒動はやっと幕引き、終わりよければ全て良しの目出度さで、俺の拙い筆の運びも、ひとまずここで措く事とする。
目次

※会員登録するとコメントが書き込める様になります。