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アネモネをキミに

ジャンル: その他 作者: koronn
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アネモネをキミに

豊邑の街に物悲しげな風が吹いていた。人々の笑顔の中に影が見え笑い声もまばらにしか聞こえなかった。普段は活気に満ち溢れている街だけに何も知らない旅人でも何かがあったのだろうと感じとっているようだ。

西伯候が死んだ。

いや、今や西伯候と呼ばれた姫昌は文王となっていた。王を得て周という名を得た国は、文王の死後彼の次男姫発が武王となった。
王の死となれば国民が喪に服すのは当然ではあるが、国民は強制的に服しているわけではないようだった。

文王の墓に一人、供も連れずに佇む人がいた。黒い髪に翡翠の瞳を持つ青年の姿がそこにあった。
彼は泣くわけでもなく、笑うわけでもない。その目は途方に暮れているわけでもなく、ただ何を思っているのかわからない色を宿していた。
空は青く風はなびきそこに墓があること以外、姫昌と呼ばれた文王がもうこの世にいないこと以外昨日と変わらない。

どれくらいそうして居ただろうか。ふっと彼の顔に大きな影が差し込み、ようやく青年の時間が動き出したようだった。
影の主は彼よりもずっと背が高く、黒い髪に包帯のような帽子を被り風のままにたなびかせている。

「発か。いや、今はもう武王であったな。先の喪主は立派であった、これなら姫昌も安心して旅立ったことであろう。」

武王と言われた影の主はどこかぶっきらぼうそうな表情を浮かべつつ、文王の墓に花を手向けた。その目は皆に慕われた領主であり王になった姫昌の目によく似ている。青年の言葉に対して未だ少々反抗的な口調で返した。

「あんなんは別に俺の力ってわけじゃねぇ。手配や財源なんかは旦がやったことだし、あとは親父の力さ。俺はまだ誰かの力を借りなきゃ何も出来ねぇ、周を任すと親父には言われたがまだまだお飾りの王様だぜ。」
「誰かの力を借りなければ何も出来ぬのはわしとて同じよ。今はお飾りかもしれぬがお主のように人々に囲まれ、お主の為に力を惜しまぬ人に恵まれている奴というのも才能の一つだと思うぞ。」

そういって青年は空を見上げた。青い青い空だ。文王が亡くなった時のように静かすぎる空ではなく、雲が流れ常に流動的な息吹を感じ取っているようだ。

「姫昌の最後は人としてこの上ない幸せだったのだろうな。血を分けた肉親に囲まれ、臣下に慕われ、志を託す者がおって…。いい顔をしておったのぅ。」

武王は空を見上げたままの青年に一瞥を向け、向き直って口を開いた。

「それが…お前の悲しみ方か?太公望。」

その言葉に太公望と呼ばれた青年はゆっくりと視線を戻し、初めて武王を見た。
太公望の瞳からは相も変わらず表情が読み取れなかったが、諦めにも似た寂しさを感じ取っているようだった。

「そうじゃなぁ。わしは親族でも無いし、姫昌の生き方に対して立派だと思うことがあっても嘆くことは一つもないだろうな。わしに衣食住を与えてくれた恩人であるし、感謝し尽しても足りんくらいだ。寂しさは拭えぬがのぅ。」

自分をごまかすのが上手いのだろうか。寂しいと言いつつ笑顔を浮かべた太公望の目はどこまでも深い。それ以上踏み込むなと言われている気さえ感じられた。
風が草を鳴らす音だけがその場を占める。穏やかでありながらも寂しい音。
武王の手向けた花の一弁がはらりと舞い上がり、二人の間を過っていった。

それを合図にもう何も語ることはないと言いたげに太公望は踵を返そうとしたが、武王の一言で太公望は足を止めた。

「人のことばっか気にして自分の事顧みねぇと、お前の幸せを掴み損ねるんだぜ。」

太公望は振り返ったりなどしなかった。

「わしの都合もあった上でおぬし等を利用しているのだ。そんなわしが自分の幸せなんて望むだなんて罰当たりであろう。目標の為ならわしは…。」
ただ淡々と告げた言葉は事実だとしても、残酷としかいえない言葉だった。太公望という青年にはそれが全てなのだろう。生きがいであり人生の目標。

彼はそのままその場を去っていき、文王の墓には息子の武王のみが残された。
武王はドカっと父親の墓の前で無作法にも胡坐をかいて座り込み、ため息交じりに言葉を吐いた。

「なぁ、親父。親父は太公望を慕えと言ったよな。太公望は自分の目標の為に利用してるっていったけどよ、道士であると共に周の臣下だ。王は臣下に守られてるのに、臣下の小さな背中に気休めすら言えない器の小さな俺に…守れるんだろうか?俺は親父が死んだ悲しみとか怒りとか…太公望にぶつけちまった。俺もいつか親父のように、太公望を頼るだけじゃなく頼られる存在になれっかなぁ。なぁ、親父…」

武王の背中は少し小さそうに見えた。つい数日前まで王ではなく貴族の青年でしかなかった背中には、あまりにも重い重圧が圧し掛かっていて更に背中を小さく見せているように見える。
武王の問いかけを返せるものは何もなく、力のない言葉が風でかき消されただけだった。

気づけばもう日は傾き、青から緋色へと移ろい始める。
時は変わらず動き、喪に服していられる時間も僅かだろう。
武王はそれを自覚しているのか、一人その場に深く哀悼を示していた。
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