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終末の16日間と日記と旅

ジャンル: その他 作者: そばかす
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第33話

 あのヒカル(とわたしは呼ぶことに決めた)とテツの死から、十日あまりが過ぎた。
 あれから、わたしはずっとひとりで旅を続けてきた。
 いや。
 日記といっしょに、といいたいかもしれない。
 もしこの日記とその目的地がなければ、わたしの旅はあのトラックの事故現場で終わっていたことだろう。きっと餓死するまで動かないか、それともいっそ首でもつったかもしれない。
 だが。
 日記があった。
 波佐間真一の願いがあった。
 相澤マナの祈りがあった。
 相澤マナの父も、ヒカルも、そしてわたし自身も誓ったのだ。
 届ける、と。

 もう残り時間は二十四時間を切っている。

 それはわたしの寿命は――ということではなく、わたしたち人類の寿命は、という意味だ。
 世界は、あの一ヶ月ほど前の終末騒動で狂ってしまったが、この二十四時間を切ったいま、もっと狂ってしまった。
 現在、熱狂的な信者たちが増えているのは、一種の選民思想と、エログロが一体化したものだった。こういうものを、人間は理性的には忌避する。だが、なにかひとつオブラートにくるむか、もっともらしい大義名分ができあがれば、人は忌避しない。わかりやすいのは戦争だ。大義名分がなければ、始めることはできないが、一度始めてしまえば、大義名分の前に、理性的には当然忌避すべき行動、暴行・殺人・放火・略奪などが、すべて軍事的行動として許される。
 そして――

 いま、まさにその聖戦が始まろうとしていた。

 大義名分は、これ以上ないほどだ。
 とある宇宙人からの電波を受信したと名乗る終末教の教祖がこう告げたのだ。

「宇宙人=神は、こうおっしゃいました。殺せ、人間を。人間は罪深きもの。その人間を浄化した者には、祝福がひとつ与えられる。百の祝福を与えられた者は、宇宙人のつくった箱船=UFOによって脱出でき、この銀河系の外にある天国=宇宙人たちの母星へと連れていってもらえる」

 問題は、似たようなことをいいだした教祖が続発したことにある。
 ようはこれは、百人殺せばあなただけは助かりますよ、というバカバカしい話なのだ。
 だが。
 もうなんの救いもないまま、タイムリミットが、時計の短い針二周分もなくなったと知ると、突如として暴徒と化した。少数とはいいがたい人間たちは、この期に及んできっと政府だか天だかが自分を助けてくれると思っていたらしい。
 いま町は、戦国時代がぬるま湯に思えるほどのひどい有様となっていた。
 個々について指摘はしない。
 たとえるなら、閉鎖空間でゾンビに襲われるホラー映画のような世界と、いまのこの世界、どっちを選ぶ? そうたずねられたら、百パーセント全員が、ゾンビに襲われる世界を選ぶだろう、と確信できるような状況。
 人は人に対してもっとも残虐になれる。
 こうなってしまえばいじめも、正義も、ルールも、法律も、あったものではない。
 地獄というものを、人それぞれに想像しても、ここまでのものを想像できる者はいないだろう。

 そんな地獄を出現させた教祖のひとりが、
 あろうことか、中学校を根城にしていた。
 彼の信者たち――〝神兵〟と呼ばれる、つねに真新しい返り血を浴びて血が乾くことがまったくない化け物のような集団が蝟集し、周囲を襲っていた。

「ここまできたぞ、ヒカル、テツ、波佐間真一、相澤マナ、相澤のお父さん……」
 わたしは独り言をいった。
 いまその中学校に向かって歩いている。
 別に、死にたいわけではない。
 だが――
 あの日記の住所。
 それがその中学の目と鼻の先なのだ。そこからその中学に通っていたのなら、さぞうらやましがられたことだろう。
 もう人の死骸を見ても表情ひとつ動かすことのなくなったわたしは、歩みを進める。
 わたしは、運だけはいいらしい。
 ここまでの十日以上も無事歩きとおせた。
 何度も行き倒れて、また歩きだし、なけなしの金で自販機でジュースを買い、カロリーと水分を摂取した。
 わたしの煤けた顔と、がりがりにやせ細った体が幸いしたのかもしれない。
 わたし同様、死体を見ても足を止めることのなくなった、この世界ではごく一般的な普通の人々は、わたしが倒れていても無視して歩み去っていった。
 見るからに金目のものもなさそうで、はぐ必要もない。
 死体でも弔わないし、病人でも助けない。
 その無関心さと、わたしの教義への殉教精神が結果的にわたしをここまで守ってくれていたのかも知れない。
 が。
 それもここまで。
 あと残り二十四時間を切っている。
 もう世界は、破滅の半歩手前、人差し指と中指だけで崖に手をかけているだけだ。
 迷っている暇はなかった。
 わたしは、靴ずれの痛む足に鞭打ち、一歩を
 ――――踏みだした。

   *

 わかっています。

 わたしは、わたしの心の中だけにいる神に、仏に、天に、守護霊に、宇宙人に、語りかける。それらは渾然一体となってひとつ。その〝ひとつ〟に語りかける。

 わかっています。わたしのやっているのは無駄なこと。

 このまま死地におもむいて、無事にこの日記を届けられる確率など、宝くじで大儲けできるより低い。
 それに、この住所の場所に、まだ、波佐間真一の姉と母がいるとは限らない――いや、むしろ、いないほうが自然だろう。このような状況なのだ。
 死んでいることさえありえる。
 あの終末騒動の最初の一週間で軽く一割は死んでいる。誰もが暴徒と化したため、そのあとも死者は続出した。交通事故も多発した。まだ生き残っていて、最後の一日を過ごしているとは限らない。
 そもそも――
 これはもっとも重要なことだが、
 彼女らは、この日記を受け取るだろうか? 受けとって喜ぶだろうか?
 波佐間真一も、この日記をリレーのバトンのように受けとった者たちも、誰もが薄々感じていたであろう疑問。
 わたしもまったく同じことを感じている。
 彼はずいぶん長い間、そのふたりに会っていなかったようだった。
 だとするなら、こんなごたごたした終末に、息子が――弟が、いきなり手紙代わりの日記を書きました――しかも、それを届けたのは見ず知らずの元教師で宗教家の男です、というのだ。
 薄気味悪がって受けとらない、受けとっても読まずにすぐ捨てる可能性さえある。

 さらにさらに、さらにいえば、

 ――どうせ世界は、あと二十四時間たらずで終わるのだ。

   *

 わたしは、足をひきずるように踏みだし、焼死体に足をひっかけて転び、
 その音を聞きつけて駆けつけてくる人影を見た。
 おそらく〝神兵〟。
 百人〝浄化〟すれば、極楽にゆけると信じる、狂信者たち。
 その神兵はどことなくあの放火魔の少年に似ていた。
 わたしは、倒れたまま、じょじょに目がかすむのを覚えた。どうやらここまでが限界らしい。ろくに栄養もとらず、昼夜を問わず歩き続けた結果だ。
 周囲から煙があがっている。誰かが家々を燃やしているらしい。
 わたしは――
 意識が
 この世を去る前に、

 手をできる限り伸ばし、日記をさしだした。

 この思いが……どうか、つながりますように…………。
 宗教家としてではなく、人として、祈った。

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