すずらん美容室1話
(1)
――やあ、テレビの前のお友だち!さて今日の不思議は何だろう?みんなのフシギに、この科学マンが答えるぞ!もしもーし。
――モシモシ!
――キミのお名前教えてくれるかな?
――スズキゲンキ!いちねんせーでーす!
――お、ゲンキくんは元気いっぱいだ!科学マンも元気が出てきたぞ!さあゲンキくん、どんな不思議を知りたいんだ?科学マンに聞かせてくれ!
――えっとーあのー……雪男はいますかあ?
――とってもいい質問だね!それじゃあゲンキくん、この科学マンが答えよう!雪男はねー…
「おーい科学マン。その質問俺が答えてやんよ」
幼児向け番組に大声で話しかけているのは達海猛、35歳。
「雪男、ここにいるって」
その達海が指差しニヤニヤ見下ろすのが後藤恒生、39歳。
「え?俺か?お前なあ、失礼だろうが」
「だって、お前、雪男みたいじゃん」
二人は幼馴染み。
大きなお友だちだ。
「ほら、髪もボサボサ、ヒゲもボーボーだし、どっから見ても雪男でしょ」
「しょうがねぇだろ、いろいろ立て込んでたんだよ」
「研究ばっかやってると、お前、ホントに雪男になっちゃうぜ」
「だからこうしてここに来たんだよ!もう、頼むよ、講義始まる!」
「へーへーかしこまりましたー」
達海が剃刀を手にする。
後藤はまぶたを閉じる。
ドーナツ化現象真っ只中の商店街、その裏道の袋小路に、達海が店長を勤める「すずらん美容室」はある。
もともと達海の母親が経営していたが、病で父親があちらへ旅立って数ヵ月後、「傷心した人は、北へ向うの」という言葉とこの店を残し、母親もまたヘルシンキへと旅立った。
「しかし、おばさんも変わってるよな。北って言えば普通は龍飛崎あたりだろう」
「変わってるとか、お前に言われたくねーって」
「俺は極めて普通だ」
「は?よく言えんねお前。そんなだから学生も寄ってこねーんだよ」
「いいや、それは違う。俺の講義を真剣に聞いてくれる学生だっているんだ」
「どーせ永田さんとこの有里だけだろ?」
「……」
「お堅い大学院で女の子少ないからって、こんなにボサボサボーボーにしてたら、嫁だってこねーよ」
「お互いさまだ」
「俺はモテモテだもん。ほら、さっそく来たぜ」
――今日はタケちゃんに盛ってもらおうかしら!
――あらやだー!夜の蝶になるつもり?
――あんたなんか夜の蛾でしょ!
――あらやだー!
店の窓がご婦人方の奇声でピシピシ震える。その音に反応した後藤が、目を見開いたので、達海は剃刀をはずした。
「わ!あの人たち来るなら先に言えよ!」
「しらねーよ、ウチ予約制じゃねーし」
「とりあえず俺、もう行くから!また来る!」
「はいはい、いってらっしゃい」
「夜、ちゃんと開けとけよ!」
「わかったから早く行けって。お見合いすすめられる前に」
――あらやだー!コウくん!
――あ、どうも!
――コウくんちょっと待って!おばちゃんいい話あるから!
――また今度ハハハハハハ
すずらん美容室の午後は、大概かしましい。
(2)
「雪男」こと後藤は、大学院の准教授である。
具体的には「公共政策大学院」と呼ばれる重々しい学び舎で、公共政策、経済政策、政治行政、社会生活創生、コミュニティ共生といった、これまた堅苦しいカリキュラムのうち「地域共創と社会づくり」という仰々しい講義を請け負い、希望と野望に満ちあふれる若者たちに指導している。
後藤は研究者として大変に優れている。キャリアステップも順調だ。
しかし後藤のもとには学生が寄り付かない。
なぜなら後藤は学生たちからナメられているからだ。
大学院には、研究家と実務家の二種類の学者がいる。
学生たちは後者を「先生」と呼び、尊敬する。
この「先生」は、各省庁から出向の形を取り、現在「先生」をしている。
つまり現場経験者なのだ。
若者たちは現場を先生というフィルターを通して体感し目指すべき姿を重ねる。
座学ばかりの、机上の空論ばかりの「後藤先生」に用はない。
さらに後藤がナメられるのはその見た目である。
後藤は己の容姿に興味がない。学問を究める者ならではの好奇心の強さは持ち合わせている。だが、容姿にだけ興味がないのだ。それで「ボサボサのボーボー」なのである。
そんな後藤を「ボサボサのボーボー」と称した達海はすずらん美容室の店長である。
具体的には、ご婦人方相手に奇抜なパーマをあてたり、大胆に切ったり、それなりに整えたり、こんもり盛ったり、どす黒い噂話や生々しい艶話を聞かされたりしている。
達海は美容師として大変に優れている。客足も順調だ。
しかし達海のもとには若い客が寄り付かない。
なぜなら達海は気にしていないからだ。
美容室には、いわゆる流行やスタイリッシュなどと呼ばれる時代性がいる。
達海はそこにこだわらない。たとえ代替わりしても、肩肘張らない、居心地の良い空間だとご婦人方が集い慕う。
つまり現状に満足しているのだ。
さらに達海が慕われるのはその見た目である。
達海はいわゆるイケメンである。さらに達海は人の魅力をいかすことにも、自分の魅力をいかすことにも長けている。だからご婦人方が奇声を発してやってくる。
すずらん美容室とは、そういう店なのである。
――やあ、テレビの前のお友だち!さて今日の不思議は何だろう?みんなのフシギに、この科学マンが答えるぞ!もしもーし。
――モシモシ!
――キミのお名前教えてくれるかな?
――スズキゲンキ!いちねんせーでーす!
――お、ゲンキくんは元気いっぱいだ!科学マンも元気が出てきたぞ!さあゲンキくん、どんな不思議を知りたいんだ?科学マンに聞かせてくれ!
――えっとーあのー……雪男はいますかあ?
――とってもいい質問だね!それじゃあゲンキくん、この科学マンが答えよう!雪男はねー…
「おーい科学マン。その質問俺が答えてやんよ」
幼児向け番組に大声で話しかけているのは達海猛、35歳。
「雪男、ここにいるって」
その達海が指差しニヤニヤ見下ろすのが後藤恒生、39歳。
「え?俺か?お前なあ、失礼だろうが」
「だって、お前、雪男みたいじゃん」
二人は幼馴染み。
大きなお友だちだ。
「ほら、髪もボサボサ、ヒゲもボーボーだし、どっから見ても雪男でしょ」
「しょうがねぇだろ、いろいろ立て込んでたんだよ」
「研究ばっかやってると、お前、ホントに雪男になっちゃうぜ」
「だからこうしてここに来たんだよ!もう、頼むよ、講義始まる!」
「へーへーかしこまりましたー」
達海が剃刀を手にする。
後藤はまぶたを閉じる。
ドーナツ化現象真っ只中の商店街、その裏道の袋小路に、達海が店長を勤める「すずらん美容室」はある。
もともと達海の母親が経営していたが、病で父親があちらへ旅立って数ヵ月後、「傷心した人は、北へ向うの」という言葉とこの店を残し、母親もまたヘルシンキへと旅立った。
「しかし、おばさんも変わってるよな。北って言えば普通は龍飛崎あたりだろう」
「変わってるとか、お前に言われたくねーって」
「俺は極めて普通だ」
「は?よく言えんねお前。そんなだから学生も寄ってこねーんだよ」
「いいや、それは違う。俺の講義を真剣に聞いてくれる学生だっているんだ」
「どーせ永田さんとこの有里だけだろ?」
「……」
「お堅い大学院で女の子少ないからって、こんなにボサボサボーボーにしてたら、嫁だってこねーよ」
「お互いさまだ」
「俺はモテモテだもん。ほら、さっそく来たぜ」
――今日はタケちゃんに盛ってもらおうかしら!
――あらやだー!夜の蝶になるつもり?
――あんたなんか夜の蛾でしょ!
――あらやだー!
店の窓がご婦人方の奇声でピシピシ震える。その音に反応した後藤が、目を見開いたので、達海は剃刀をはずした。
「わ!あの人たち来るなら先に言えよ!」
「しらねーよ、ウチ予約制じゃねーし」
「とりあえず俺、もう行くから!また来る!」
「はいはい、いってらっしゃい」
「夜、ちゃんと開けとけよ!」
「わかったから早く行けって。お見合いすすめられる前に」
――あらやだー!コウくん!
――あ、どうも!
――コウくんちょっと待って!おばちゃんいい話あるから!
――また今度ハハハハハハ
すずらん美容室の午後は、大概かしましい。
(2)
「雪男」こと後藤は、大学院の准教授である。
具体的には「公共政策大学院」と呼ばれる重々しい学び舎で、公共政策、経済政策、政治行政、社会生活創生、コミュニティ共生といった、これまた堅苦しいカリキュラムのうち「地域共創と社会づくり」という仰々しい講義を請け負い、希望と野望に満ちあふれる若者たちに指導している。
後藤は研究者として大変に優れている。キャリアステップも順調だ。
しかし後藤のもとには学生が寄り付かない。
なぜなら後藤は学生たちからナメられているからだ。
大学院には、研究家と実務家の二種類の学者がいる。
学生たちは後者を「先生」と呼び、尊敬する。
この「先生」は、各省庁から出向の形を取り、現在「先生」をしている。
つまり現場経験者なのだ。
若者たちは現場を先生というフィルターを通して体感し目指すべき姿を重ねる。
座学ばかりの、机上の空論ばかりの「後藤先生」に用はない。
さらに後藤がナメられるのはその見た目である。
後藤は己の容姿に興味がない。学問を究める者ならではの好奇心の強さは持ち合わせている。だが、容姿にだけ興味がないのだ。それで「ボサボサのボーボー」なのである。
そんな後藤を「ボサボサのボーボー」と称した達海はすずらん美容室の店長である。
具体的には、ご婦人方相手に奇抜なパーマをあてたり、大胆に切ったり、それなりに整えたり、こんもり盛ったり、どす黒い噂話や生々しい艶話を聞かされたりしている。
達海は美容師として大変に優れている。客足も順調だ。
しかし達海のもとには若い客が寄り付かない。
なぜなら達海は気にしていないからだ。
美容室には、いわゆる流行やスタイリッシュなどと呼ばれる時代性がいる。
達海はそこにこだわらない。たとえ代替わりしても、肩肘張らない、居心地の良い空間だとご婦人方が集い慕う。
つまり現状に満足しているのだ。
さらに達海が慕われるのはその見た目である。
達海はいわゆるイケメンである。さらに達海は人の魅力をいかすことにも、自分の魅力をいかすことにも長けている。だからご婦人方が奇声を発してやってくる。
すずらん美容室とは、そういう店なのである。
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