すずらん美容室2話
(3)
後藤と達海は幼馴染みである。
達海の職場で自宅でもある、裏道の袋小路「すずらん美容室」、その入口に後藤の家はある。
商店街の中にありながら、後藤家は代々ごく一般的なサラリーマンだ。
両親は健在だが、父親の多額の退職金と多種の年金を糧に、両親は自由自在に方々飛び回っている。帰宅するのはせいぜい盆と正月ぐらいだ。
後藤が実家暮らしを送るのは、職場の大学院に近いからがその理由である。
繰り返すが後藤と達海は幼馴染みである。
小学校から高校まで同じだ。二人そろって地元である。
後藤39歳、達海35歳。4歳の差である。
中学からは互い違いになる。
幼い頃は「コウちゃん」「タッケ」とコロコロ子犬のように戯れていたが、後藤が中学にあがると達海は「あいつ」になり、達海が中学にあがると後藤は「あの人」で、後藤が高校生になると達海は存在しなくなり、達海が高校生になる頃には後藤はすでに商店街から消えていた。
地方の国立大学、都心の大学院を出て、サラリーマンと講師生活を経て、後藤が再び准教授の肩書きを携え、この街に戻ってきたときには、今度は達海が消えていた。
理美容の専門学校を卒業し、美容師修業であちこち転々とし、父親の旅立ちをきっかけに達海もこの街に帰って来た、というわけである。
「あーよかった、開いてた」
「だって朝『開けとけ』って言ってたじゃん」
「悪い悪い、研究資料が見つからなくてな」
「今日の夕飯、オゴリね、お前の」
「ああ。好きなものご馳走するよ、お前の」
今では「お前」と呼び合う仲である。
たびたび繰り返すがすずらん美容室は裏道の袋小路にあり、後藤の家はその入口に建つ。
シャッター通り化した商店街のメインストリート、その奥側の一番端に、背を向けるようにして後藤の家はある。後藤家のわきの細道を進んでいくと達海の家で行き止まりだ。
イメージしてほしい。
正面を向いた達海の顔をすずらん美容室とする。達海の鼻が前述の細道である。達海の両耳にはそれぞれご近所さん、そこから数軒の店舗が建ち並び、そして左耳の最後が後藤家だ。
つまり、達海の家と後藤の家は見つめ合っているような格好である。
「しっかし、お前も図々しいよね」
「?」
「お前さ、こうやって毎回毎回、俺にヒゲ剃らせるでしょ?」
「……」
「ホントはやっちゃだめなんだよ、理容は」
「……ん」
「金もらってないから、まあ、いいっちゃいいんだけど」
「……」
今、後藤は達海にヒゲを剃られている。だからしゃべれない。
「俺は一言もお前にひげ剃ってくれなんて、頼んだ覚えはないぞ」と言いたいが、口を開いたら怪我をするので黙っている。剃刀のするどい刃で皮膚が切れてしまう。
怪我するのは何も口周りだけではない。
まぶたをおろしたまま、後藤は考える。
――この関係に変化は必要か。
――変化前後にどのようなメリットとデメリットが生じるのか。
――メリットは俺にとって本当のメリットになりうるか。
――生じるデメリットへの対応策は。
――そもそも何を持ってして変化と言うのか。
――果たして俺という人間は何者か。
――人間とは、人類とは何なのだ。
――この世界における人類とは何ぞや――。
つまり、後藤は面倒くさい男なのである。
そうさせているのは後藤が培ってきた歴史であり、そこに付随する知識であり、現在身を置く環境でもある。
「ほら、俺ってうまいじゃん?」
「……」
「永田屋のおっさんとか笠さんにもやってくれーって頼まれる」
「……」
「専門外なのにね。あ、このモミアゲんとこ残しておくから。そのほうがいいよ」
「……」
「ここがあると顔が引き締まって見えんだよ」
「……」
「お前顔長いし」
「!」
達海は自信家である。経験や技術に裏打ちされた自信だ。
先に記したとおり、達海は己の魅力を知り尽くしている。かつ人の魅力をいかすことにも長けている。
「でも、金払うって頼まれても、俺はやらないけどさ」
「……」
「お前しかさ」
「……」
「なんとか言えよ後藤……って、今しゃべれねーよな」
「……」
後藤は思うのだ。
――たゆたうこの種の沈黙は、決して好ましいものではない。
しかし変化はもっとよろしくない。
やはり変化などあってはならない。
ああ、蒸しタオル当てられててよかった――と。
すなわち、後藤はターキー野郎である。
(4)
――あらやだー!タケちゃん!
――おばちゃん今日も気合い入ってるね、その髪型。バブルの頃みたい。
――あらやだー!そんなに褒めてもだめよ!おばちゃん人妻だから!
――あ、後藤だ。ほらおばちゃん、後藤来た。
――あらやだー!コウくん!おばちゃんいい話あるから!
――いやあ、会議終わってからにしましょうか、ハハハハハ
――そう言って、どうせまたタケちゃんとこっそり帰っちゃうんでしょ!
――いやいや、今日はちゃんといますよ、明日休みなのでハハハハハ
――あらやだ!それなら今日潰すわよ!私コウくんでもいいんだから!人妻だけど!
――それは光栄だなハハハハハ
――あらやだー!
さて商店街の会議である。正しくは会議という名の商店会員の飲み会である。
2か月に1回、商店街の面々が居酒屋に集まり、商店街に活気を取り戻す方法について話し合うのだ。今日がその日である。
「今流行りのゆるキャラはどうか?我々の組織の中でもそういう案が出てきている」
「なるほどな、すずらん通りだから、花の妖精か?」
「妖精が見えるわきゃねぇだろう」
「そう、妖精は透明であるべきだよ」
「透明っちゃー、笠野さんとこのスープこそ透明だよな!」
「俺がこだわってるのはいかにスープを透明にするか、麺はどうでもいい」
「ゆるキャラって髪あんの?」
「まずは市民の意識調査と統計に基づき、」
参加メンバーは回毎に多少のバラつきはあるものの、役所の産業振興課の村越を進行役に、魚河岸永田の兄弟とその兄の娘の有里、婦人衣料ジーノの吉田、こけし屋黒田の黒田、俺のラーメンの笠野、すずらん美容室の達海、そしてアドバイザーとして後藤が迎えられている。また、暇を持て余した近所のおばちゃんたちが代わる代わる口を挟みにやってくる。
「ほかにいいアイデアがあればどうぞ」
「まあ村越いいから飲めよ、ほら後藤くんも飲め」
「はあ、ありがとうございます」
「お父さん、先生にあんまり飲ませちゃだめよ!」
「兄貴いいから飲ませちまえ!後藤くんは理屈っぽくてかなわねぇ!」
「なークローそっちの皿取ってくんない?」
「テメェが取りに来いよ!」
「おい達海よく聞け。スープで大事なのは岩塩と水だ」
「ああ、ボクはラーメンが口に合わない体質なのさ」
「あらやだー!おばちゃんジーノちゃんでもいいのよ人妻だけど!」
このように毎回有効な結論を見いだせないまま、今日もまた一人二人と酒に敗北し、酔いつぶれてしまうのだ。
「おい後藤、後藤ってば」
「ん?」
「ズラかろうぜ」
「……そうだな」
そして今日もまた、後藤と達海はぐだぐだの宴の場からこっそり退散する。
「ああ、食ったー、飲んだー」
「ホントだな、腹がキツイ」
「お前ちょっと太っただろ?」
「どうかな?」
「太ったって、だってウエストがさー……」
「ひゃあ!やめろ!おい!くすぐったい!」
「ほらほらー」
「やめろ達海!はははっ……は」
「……」
「……」
「……」
「……な、」
「……」
「……」
「……」
「……た、」
「あ、流れ星」
「え?どこだ?」
「教えなーい、後藤なんかに」
「……」
「知ってるくせに」
「?」
「俺の願い事」
「……」
「バーカ」
「……」
「後藤のバーカ、アホ、マヌケ」
「おい、なんだよそれ」
「馬面」
「!」
「……俺さー、」
「……あ、ああ」
「……いや、なんでもねー」
「……」
「……あ!いいこと思いついちゃった」
「……な、なんだ?」
「今度の商店街夏祭りの企画」
「……どういう企画なんだ?」
「教えないもんねー」
「な!」
「村越んとこ戻ろーっと」
「お、おい!達海!」
「じゃーね、馬面くん」
「……」
一人取り残された後藤は、酔いが回った頭で必死に考える。
――達海は、やっぱり俺のこと――
街路灯の下に立ちすくむその姿は、野良犬さながら。
哀愁に満ちているのである。
後藤と達海は幼馴染みである。
達海の職場で自宅でもある、裏道の袋小路「すずらん美容室」、その入口に後藤の家はある。
商店街の中にありながら、後藤家は代々ごく一般的なサラリーマンだ。
両親は健在だが、父親の多額の退職金と多種の年金を糧に、両親は自由自在に方々飛び回っている。帰宅するのはせいぜい盆と正月ぐらいだ。
後藤が実家暮らしを送るのは、職場の大学院に近いからがその理由である。
繰り返すが後藤と達海は幼馴染みである。
小学校から高校まで同じだ。二人そろって地元である。
後藤39歳、達海35歳。4歳の差である。
中学からは互い違いになる。
幼い頃は「コウちゃん」「タッケ」とコロコロ子犬のように戯れていたが、後藤が中学にあがると達海は「あいつ」になり、達海が中学にあがると後藤は「あの人」で、後藤が高校生になると達海は存在しなくなり、達海が高校生になる頃には後藤はすでに商店街から消えていた。
地方の国立大学、都心の大学院を出て、サラリーマンと講師生活を経て、後藤が再び准教授の肩書きを携え、この街に戻ってきたときには、今度は達海が消えていた。
理美容の専門学校を卒業し、美容師修業であちこち転々とし、父親の旅立ちをきっかけに達海もこの街に帰って来た、というわけである。
「あーよかった、開いてた」
「だって朝『開けとけ』って言ってたじゃん」
「悪い悪い、研究資料が見つからなくてな」
「今日の夕飯、オゴリね、お前の」
「ああ。好きなものご馳走するよ、お前の」
今では「お前」と呼び合う仲である。
たびたび繰り返すがすずらん美容室は裏道の袋小路にあり、後藤の家はその入口に建つ。
シャッター通り化した商店街のメインストリート、その奥側の一番端に、背を向けるようにして後藤の家はある。後藤家のわきの細道を進んでいくと達海の家で行き止まりだ。
イメージしてほしい。
正面を向いた達海の顔をすずらん美容室とする。達海の鼻が前述の細道である。達海の両耳にはそれぞれご近所さん、そこから数軒の店舗が建ち並び、そして左耳の最後が後藤家だ。
つまり、達海の家と後藤の家は見つめ合っているような格好である。
「しっかし、お前も図々しいよね」
「?」
「お前さ、こうやって毎回毎回、俺にヒゲ剃らせるでしょ?」
「……」
「ホントはやっちゃだめなんだよ、理容は」
「……ん」
「金もらってないから、まあ、いいっちゃいいんだけど」
「……」
今、後藤は達海にヒゲを剃られている。だからしゃべれない。
「俺は一言もお前にひげ剃ってくれなんて、頼んだ覚えはないぞ」と言いたいが、口を開いたら怪我をするので黙っている。剃刀のするどい刃で皮膚が切れてしまう。
怪我するのは何も口周りだけではない。
まぶたをおろしたまま、後藤は考える。
――この関係に変化は必要か。
――変化前後にどのようなメリットとデメリットが生じるのか。
――メリットは俺にとって本当のメリットになりうるか。
――生じるデメリットへの対応策は。
――そもそも何を持ってして変化と言うのか。
――果たして俺という人間は何者か。
――人間とは、人類とは何なのだ。
――この世界における人類とは何ぞや――。
つまり、後藤は面倒くさい男なのである。
そうさせているのは後藤が培ってきた歴史であり、そこに付随する知識であり、現在身を置く環境でもある。
「ほら、俺ってうまいじゃん?」
「……」
「永田屋のおっさんとか笠さんにもやってくれーって頼まれる」
「……」
「専門外なのにね。あ、このモミアゲんとこ残しておくから。そのほうがいいよ」
「……」
「ここがあると顔が引き締まって見えんだよ」
「……」
「お前顔長いし」
「!」
達海は自信家である。経験や技術に裏打ちされた自信だ。
先に記したとおり、達海は己の魅力を知り尽くしている。かつ人の魅力をいかすことにも長けている。
「でも、金払うって頼まれても、俺はやらないけどさ」
「……」
「お前しかさ」
「……」
「なんとか言えよ後藤……って、今しゃべれねーよな」
「……」
後藤は思うのだ。
――たゆたうこの種の沈黙は、決して好ましいものではない。
しかし変化はもっとよろしくない。
やはり変化などあってはならない。
ああ、蒸しタオル当てられててよかった――と。
すなわち、後藤はターキー野郎である。
(4)
――あらやだー!タケちゃん!
――おばちゃん今日も気合い入ってるね、その髪型。バブルの頃みたい。
――あらやだー!そんなに褒めてもだめよ!おばちゃん人妻だから!
――あ、後藤だ。ほらおばちゃん、後藤来た。
――あらやだー!コウくん!おばちゃんいい話あるから!
――いやあ、会議終わってからにしましょうか、ハハハハハ
――そう言って、どうせまたタケちゃんとこっそり帰っちゃうんでしょ!
――いやいや、今日はちゃんといますよ、明日休みなのでハハハハハ
――あらやだ!それなら今日潰すわよ!私コウくんでもいいんだから!人妻だけど!
――それは光栄だなハハハハハ
――あらやだー!
さて商店街の会議である。正しくは会議という名の商店会員の飲み会である。
2か月に1回、商店街の面々が居酒屋に集まり、商店街に活気を取り戻す方法について話し合うのだ。今日がその日である。
「今流行りのゆるキャラはどうか?我々の組織の中でもそういう案が出てきている」
「なるほどな、すずらん通りだから、花の妖精か?」
「妖精が見えるわきゃねぇだろう」
「そう、妖精は透明であるべきだよ」
「透明っちゃー、笠野さんとこのスープこそ透明だよな!」
「俺がこだわってるのはいかにスープを透明にするか、麺はどうでもいい」
「ゆるキャラって髪あんの?」
「まずは市民の意識調査と統計に基づき、」
参加メンバーは回毎に多少のバラつきはあるものの、役所の産業振興課の村越を進行役に、魚河岸永田の兄弟とその兄の娘の有里、婦人衣料ジーノの吉田、こけし屋黒田の黒田、俺のラーメンの笠野、すずらん美容室の達海、そしてアドバイザーとして後藤が迎えられている。また、暇を持て余した近所のおばちゃんたちが代わる代わる口を挟みにやってくる。
「ほかにいいアイデアがあればどうぞ」
「まあ村越いいから飲めよ、ほら後藤くんも飲め」
「はあ、ありがとうございます」
「お父さん、先生にあんまり飲ませちゃだめよ!」
「兄貴いいから飲ませちまえ!後藤くんは理屈っぽくてかなわねぇ!」
「なークローそっちの皿取ってくんない?」
「テメェが取りに来いよ!」
「おい達海よく聞け。スープで大事なのは岩塩と水だ」
「ああ、ボクはラーメンが口に合わない体質なのさ」
「あらやだー!おばちゃんジーノちゃんでもいいのよ人妻だけど!」
このように毎回有効な結論を見いだせないまま、今日もまた一人二人と酒に敗北し、酔いつぶれてしまうのだ。
「おい後藤、後藤ってば」
「ん?」
「ズラかろうぜ」
「……そうだな」
そして今日もまた、後藤と達海はぐだぐだの宴の場からこっそり退散する。
「ああ、食ったー、飲んだー」
「ホントだな、腹がキツイ」
「お前ちょっと太っただろ?」
「どうかな?」
「太ったって、だってウエストがさー……」
「ひゃあ!やめろ!おい!くすぐったい!」
「ほらほらー」
「やめろ達海!はははっ……は」
「……」
「……」
「……」
「……な、」
「……」
「……」
「……」
「……た、」
「あ、流れ星」
「え?どこだ?」
「教えなーい、後藤なんかに」
「……」
「知ってるくせに」
「?」
「俺の願い事」
「……」
「バーカ」
「……」
「後藤のバーカ、アホ、マヌケ」
「おい、なんだよそれ」
「馬面」
「!」
「……俺さー、」
「……あ、ああ」
「……いや、なんでもねー」
「……」
「……あ!いいこと思いついちゃった」
「……な、なんだ?」
「今度の商店街夏祭りの企画」
「……どういう企画なんだ?」
「教えないもんねー」
「な!」
「村越んとこ戻ろーっと」
「お、おい!達海!」
「じゃーね、馬面くん」
「……」
一人取り残された後藤は、酔いが回った頭で必死に考える。
――達海は、やっぱり俺のこと――
街路灯の下に立ちすくむその姿は、野良犬さながら。
哀愁に満ちているのである。
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