アニマルライフ2
もう6時。ここまでくると無心。何も考えられないし、考えたくない。ほら、あの緑の男もそう。ワピチにぶたれてからも変わらない。ベンチに座っているだけ。私と同じ。現れたときと同じ速度で公園の真ん中を突き抜けていったワピチ。表情はよく見えなか
ったけど、肩が尖っていた。追いかけることも声を発することもなく、緑の男もただ、私の前にいる。
そうか、あれはセミ。あの男はセミの抜け殻なのだ。あまりにも透明で、今にも消えてしまいそうな、もろい抜け殻。昆虫は残念ながら私の図鑑には載っていない。だからわからない。私は間違っていた。あのステキな緑色のジャケットに大きな翼を見た気がしただけ。あ
の人は自由なんかじゃない。
空っぽなのだ。ぶたれた原因がなんなのか知りたいし知りたくない。私がこうして仕事をさぼっている
理由を聞いてほしいし聞いてほしくないのと一緒。ワピチとの関係がただならぬものだということぐらい、昆虫専門外の私にだってわかる。「若いってだけでいいわよねー」と言われ続けた私にだって。
不思議だ。私は、あの男を救いたい。見ず知らずのあの男がかわいそうに思えてならない。抜け殻を両手で大事に包んで、あの向こう、狭い木々の下、土の中に仕舞ってあげたい。柵の端に追いやられ、四面楚歌の状態に陥っているこの私がなんで?
本当に不思議。
平和な公園の夕暮れは幸せなのに、今ここにいるのは脚の折れたフラミンゴとセミの抜け殻。1羽と1匹。
「リサ、おいリサ!」
それは私のことだろうか。はい、私はリサです。動物園では鈴木さんとかあいつとか呼ばれています。フラミンゴの群れから少し離れるとビッチとかヤリマンとか言われているらしいです。
「リサ、リサってば」
ああ、オカメインコが飛んでくるよ。
「リサどうしちゃったんだよ、ユイちゃんからリサがいなくなったってメール来てびっくりしてさ」
額に汗を浮かべるオカメインコは愛嬌がないからダメ。恵比寿へお戻り。「出先から吹っ飛んできたよ、ああよかった~心配した~」ピーチクパーチク耳触りな鳴き声をシカトして、バッグからマイセンを取り出すと「へ
え吸うんだ、知らなかった」とオカメインコが携帯灰皿を出してきた。気が利くね、インコのクセに。
「ここ公園だから1本だけな。ささっと吸わなきゃね」
唇に挟んだタバコにオカメインコが笑って火をつける。ラインストーンまみれの私のライターは火力が弱いから、フィルターが変色するまで時間がかかってしまう。今日はよく燃える。
タール10mg、ニコチン0.8mg。肺の奥の方まで吸い込むと、目がにじんだ。
「あの緑の人、どっかで見たことあんだよなあ、リサ知ってる?」
ぼんやりとした視界の中に、いつの間にか戻って来たワピチの姿が映る。やかましいオカメインコのせいで気づかなかった。
だけど、抜け殻もワピチも微動だにしない。固まったまま。
「ううん、知らない」
「俺、あの人テレビで観た気がするんだけどなあ」
抜け殻がゆっくり立ち上がった。ずっと座りっぱなしだったから、きっと膝がぱきっとなったはず。その愉快な音がここまで聞こえてこないのがなんだか残念。
「芸能人かな......あ、」
オカメインコが鳴くのをやめた。抜け殻が、ワピチに抱きついたから。違う、あれはしがみついているのだ。遠目でもワピチの腕の強さを感じる。息が苦しい。苦しくて苦しくて涙が出そう。
私は浅はかだった。抜け殻を生き返らせたいだなんて。私にできるわけがない。優しいワピチだから、ワピチにしかできないのだ。
「リサ、帰ろう」
しばらく黙っていたオカメインコが羽を差し出す。なんてつまらない温度なんだろう。でも私はこれを二度と離してはいけない。そんな気がする
「うん」
こっちもあっちも安っぽいドラマみたい。だけどいいや。
いいんだ。
私たちはおいしいエサを食べ、ねぐらに戻る。そのあと私はスマホの画面をタッチする
だろう。着信、メール、あれもこれもいっぱいだ。その中からキイロアナコンダやフラミンゴのリーダーを選んで、適当に嘘をついて、特
技の詫びでゆるしを乞う。
簡単なこと。どうってことない。半日のサボリくらい。
憧れの鳩は幻想だった。6時間の公園生活でそれを学んだ。
鳩も集団で同じところをぐるぐるしている。毛がボサボサで醜い子もいた。彼らも自由じゃない。
透明で呼吸が難しい動物園。それでもあの場所で私は守られている。
守られている。また苦しくて空っぽになったら、このオスにすがればいい。セミの抜け殻がそうであっ
たように、私も必死にしがみつけばいい。それも簡単なこと。たやすい。
帰り道、立ち寄ったコンビニで、セミの抜け殻がサッカーの監督だったと知ったとき、私もオカメインコもビックリしてうまく話ができなかった。もともと種別が違うのだから会話なんか通じるはずない。
それでもあの秘密を共有しているのが私たちだという事実が心を満たす。
所詮、私はニセモノの動物だ。かわいそうなフラミンゴを演じているだけの、バカな人間の女。ニセモノはニセモノらしく生きていくのがいい。それがいい。それしかない。愛情ひとつで生きたり死んだり。あの抜け殻も。かわいそうでかわいくて笑っちゃう。ああ、早くあの慣れた安いベッドに体を預けたい。
隣にオカメインコが並んだら、すかさず上に乗りあげて、私の元から絶対に飛び立たないように羽を切ってあげる。アメリカンバイソンみたいに突き上げられてもいい。今日はすごく感じてしまうだろう。オカメインコがかすれた声で勘弁してよと鳴くまでねだっちゃう。
ビッチだ?上等です。
そういえば、ワピチがケンカする原因は謎だと図鑑に書いてあった。あと、なわばりを宣言するときに騒ぐとも。
ならば大声で鳴いてやってほしい。あの男のためにも。
今晩、あの男がよく眠れますように。くだらない世界でみっともなく生きている私が祈るのは変かな?まあ、いいや。とにかく、私も抜け殻も、いつもより明日が来るのが遅ければいいな。せめて今日1日だけ。
ったけど、肩が尖っていた。追いかけることも声を発することもなく、緑の男もただ、私の前にいる。
そうか、あれはセミ。あの男はセミの抜け殻なのだ。あまりにも透明で、今にも消えてしまいそうな、もろい抜け殻。昆虫は残念ながら私の図鑑には載っていない。だからわからない。私は間違っていた。あのステキな緑色のジャケットに大きな翼を見た気がしただけ。あ
の人は自由なんかじゃない。
空っぽなのだ。ぶたれた原因がなんなのか知りたいし知りたくない。私がこうして仕事をさぼっている
理由を聞いてほしいし聞いてほしくないのと一緒。ワピチとの関係がただならぬものだということぐらい、昆虫専門外の私にだってわかる。「若いってだけでいいわよねー」と言われ続けた私にだって。
不思議だ。私は、あの男を救いたい。見ず知らずのあの男がかわいそうに思えてならない。抜け殻を両手で大事に包んで、あの向こう、狭い木々の下、土の中に仕舞ってあげたい。柵の端に追いやられ、四面楚歌の状態に陥っているこの私がなんで?
本当に不思議。
平和な公園の夕暮れは幸せなのに、今ここにいるのは脚の折れたフラミンゴとセミの抜け殻。1羽と1匹。
「リサ、おいリサ!」
それは私のことだろうか。はい、私はリサです。動物園では鈴木さんとかあいつとか呼ばれています。フラミンゴの群れから少し離れるとビッチとかヤリマンとか言われているらしいです。
「リサ、リサってば」
ああ、オカメインコが飛んでくるよ。
「リサどうしちゃったんだよ、ユイちゃんからリサがいなくなったってメール来てびっくりしてさ」
額に汗を浮かべるオカメインコは愛嬌がないからダメ。恵比寿へお戻り。「出先から吹っ飛んできたよ、ああよかった~心配した~」ピーチクパーチク耳触りな鳴き声をシカトして、バッグからマイセンを取り出すと「へ
え吸うんだ、知らなかった」とオカメインコが携帯灰皿を出してきた。気が利くね、インコのクセに。
「ここ公園だから1本だけな。ささっと吸わなきゃね」
唇に挟んだタバコにオカメインコが笑って火をつける。ラインストーンまみれの私のライターは火力が弱いから、フィルターが変色するまで時間がかかってしまう。今日はよく燃える。
タール10mg、ニコチン0.8mg。肺の奥の方まで吸い込むと、目がにじんだ。
「あの緑の人、どっかで見たことあんだよなあ、リサ知ってる?」
ぼんやりとした視界の中に、いつの間にか戻って来たワピチの姿が映る。やかましいオカメインコのせいで気づかなかった。
だけど、抜け殻もワピチも微動だにしない。固まったまま。
「ううん、知らない」
「俺、あの人テレビで観た気がするんだけどなあ」
抜け殻がゆっくり立ち上がった。ずっと座りっぱなしだったから、きっと膝がぱきっとなったはず。その愉快な音がここまで聞こえてこないのがなんだか残念。
「芸能人かな......あ、」
オカメインコが鳴くのをやめた。抜け殻が、ワピチに抱きついたから。違う、あれはしがみついているのだ。遠目でもワピチの腕の強さを感じる。息が苦しい。苦しくて苦しくて涙が出そう。
私は浅はかだった。抜け殻を生き返らせたいだなんて。私にできるわけがない。優しいワピチだから、ワピチにしかできないのだ。
「リサ、帰ろう」
しばらく黙っていたオカメインコが羽を差し出す。なんてつまらない温度なんだろう。でも私はこれを二度と離してはいけない。そんな気がする
「うん」
こっちもあっちも安っぽいドラマみたい。だけどいいや。
いいんだ。
私たちはおいしいエサを食べ、ねぐらに戻る。そのあと私はスマホの画面をタッチする
だろう。着信、メール、あれもこれもいっぱいだ。その中からキイロアナコンダやフラミンゴのリーダーを選んで、適当に嘘をついて、特
技の詫びでゆるしを乞う。
簡単なこと。どうってことない。半日のサボリくらい。
憧れの鳩は幻想だった。6時間の公園生活でそれを学んだ。
鳩も集団で同じところをぐるぐるしている。毛がボサボサで醜い子もいた。彼らも自由じゃない。
透明で呼吸が難しい動物園。それでもあの場所で私は守られている。
守られている。また苦しくて空っぽになったら、このオスにすがればいい。セミの抜け殻がそうであっ
たように、私も必死にしがみつけばいい。それも簡単なこと。たやすい。
帰り道、立ち寄ったコンビニで、セミの抜け殻がサッカーの監督だったと知ったとき、私もオカメインコもビックリしてうまく話ができなかった。もともと種別が違うのだから会話なんか通じるはずない。
それでもあの秘密を共有しているのが私たちだという事実が心を満たす。
所詮、私はニセモノの動物だ。かわいそうなフラミンゴを演じているだけの、バカな人間の女。ニセモノはニセモノらしく生きていくのがいい。それがいい。それしかない。愛情ひとつで生きたり死んだり。あの抜け殻も。かわいそうでかわいくて笑っちゃう。ああ、早くあの慣れた安いベッドに体を預けたい。
隣にオカメインコが並んだら、すかさず上に乗りあげて、私の元から絶対に飛び立たないように羽を切ってあげる。アメリカンバイソンみたいに突き上げられてもいい。今日はすごく感じてしまうだろう。オカメインコがかすれた声で勘弁してよと鳴くまでねだっちゃう。
ビッチだ?上等です。
そういえば、ワピチがケンカする原因は謎だと図鑑に書いてあった。あと、なわばりを宣言するときに騒ぐとも。
ならば大声で鳴いてやってほしい。あの男のためにも。
今晩、あの男がよく眠れますように。くだらない世界でみっともなく生きている私が祈るのは変かな?まあ、いいや。とにかく、私も抜け殻も、いつもより明日が来るのが遅ければいいな。せめて今日1日だけ。
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