第壱話
「なぁ」
不意にジークフリードは口を開いた。
大陸中央にある王都や、その主要部から伸びる街道。人々の生活の要である土地から遠く離れた小さな町。活気から隔絶された町の寂れた家で、特に決まった職にも就かず、生きるために最低限のことしかしない。
そんな怠惰極まる日々を送っていた、ある晩のことだった。
「ん?」
ジークフリードと並んで大きなソファに沈みながら、紅茶を啜っていた若い女性。金糸の長髪と碧眼が、ランプの淡い光を柔く弾く。ジークフリードの消え入るような小さな呼びかけも聞き漏らすことなく、振り向きざまにふわりと笑った。
その様子にジークフリードは苦笑する。当たり前といえば当たり前だ。
彼女……ヒルダは今まで、彼の言葉を聞き逃したことなど一度もない。
「今、ちょっといいかな」
ジークフリードは問いかけながら、しかし返ってくるであろう答えは最初から分かっていた。きっとヒルダは首を縦に振る。
「いいよ。何?」
予想通り、ヒルダは即座に肯定した。手に持っていたカップを静かにテーブルに置くと、身体を少しだけジークフリードの方に向けてジッと見つめてくる。
その透き通るような視線から逃げるように、ジークフリードはわずかに目を伏せた。
「……あのさ」
少し逡巡した後、言葉を紡ごうと開きかけた唇が震える。ひゅぅと甲高い音がして冷たい風が二人を撫でた。
気だるそうに目線を上げれば、古びて腐りかけた木の壁が見える。壁だけではなく天井も床も扉も、きっと昔は大樹の根を想わせる活き活きとした色を宿していただろうに、今では夕闇の中に沈むほど暗く醜い色をしていた。腐木の臭いにも慣れたものだ。
隙間風はもちろん、雨水を凌ぐのも精一杯。野生の魔物に襲われた日には全壊は免れないだろう。
出ばなを挫かれて何となく黙り込んでいると、風に絡んで魔物の遠吠えが薄らと聞こえた。平和になったものだ、とジークフリードは目を細める。昔は街中で狂暴化した魔物の唸り声が聞こえることなどざらだったというのに。
「どうしたの?」
不自然な沈黙に耐えられなくなったのか、ヒルダの方から続きを促してきた。悪い、と軽く詫びて少しだけ口の端を吊り上げる。
「ちょっと、昔話でもしないか?」
唐突すぎたか、ヒルダはキョトンと目を瞬かせた。無理もない。唐突だということはジークフリード自身が一番よくわかっている。
(……でも)
もう、話さなくてはいけない。
もう限界だと、この家も、自分の心も叫んでいる。
腑に落ちない表情ながらも耳を傾けたヒルダにジークフリードが軽く微笑み、それから二人はゆっくりと回顧し始めた。
もう、ずっと昔のこと。
不意にジークフリードは口を開いた。
大陸中央にある王都や、その主要部から伸びる街道。人々の生活の要である土地から遠く離れた小さな町。活気から隔絶された町の寂れた家で、特に決まった職にも就かず、生きるために最低限のことしかしない。
そんな怠惰極まる日々を送っていた、ある晩のことだった。
「ん?」
ジークフリードと並んで大きなソファに沈みながら、紅茶を啜っていた若い女性。金糸の長髪と碧眼が、ランプの淡い光を柔く弾く。ジークフリードの消え入るような小さな呼びかけも聞き漏らすことなく、振り向きざまにふわりと笑った。
その様子にジークフリードは苦笑する。当たり前といえば当たり前だ。
彼女……ヒルダは今まで、彼の言葉を聞き逃したことなど一度もない。
「今、ちょっといいかな」
ジークフリードは問いかけながら、しかし返ってくるであろう答えは最初から分かっていた。きっとヒルダは首を縦に振る。
「いいよ。何?」
予想通り、ヒルダは即座に肯定した。手に持っていたカップを静かにテーブルに置くと、身体を少しだけジークフリードの方に向けてジッと見つめてくる。
その透き通るような視線から逃げるように、ジークフリードはわずかに目を伏せた。
「……あのさ」
少し逡巡した後、言葉を紡ごうと開きかけた唇が震える。ひゅぅと甲高い音がして冷たい風が二人を撫でた。
気だるそうに目線を上げれば、古びて腐りかけた木の壁が見える。壁だけではなく天井も床も扉も、きっと昔は大樹の根を想わせる活き活きとした色を宿していただろうに、今では夕闇の中に沈むほど暗く醜い色をしていた。腐木の臭いにも慣れたものだ。
隙間風はもちろん、雨水を凌ぐのも精一杯。野生の魔物に襲われた日には全壊は免れないだろう。
出ばなを挫かれて何となく黙り込んでいると、風に絡んで魔物の遠吠えが薄らと聞こえた。平和になったものだ、とジークフリードは目を細める。昔は街中で狂暴化した魔物の唸り声が聞こえることなどざらだったというのに。
「どうしたの?」
不自然な沈黙に耐えられなくなったのか、ヒルダの方から続きを促してきた。悪い、と軽く詫びて少しだけ口の端を吊り上げる。
「ちょっと、昔話でもしないか?」
唐突すぎたか、ヒルダはキョトンと目を瞬かせた。無理もない。唐突だということはジークフリード自身が一番よくわかっている。
(……でも)
もう、話さなくてはいけない。
もう限界だと、この家も、自分の心も叫んでいる。
腑に落ちない表情ながらも耳を傾けたヒルダにジークフリードが軽く微笑み、それから二人はゆっくりと回顧し始めた。
もう、ずっと昔のこと。
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