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英雄幻葬譚

ジャンル: ハイ・ファンタジー 作者: konann
目次

第弐話

世界の変革期というものは、いつでも唐突に訪れる。

 元より人間と魔物が共存する世界。古来より非力な人間は技術や知識、あるいは魔術などを行使して、荒ぶる魔物から自分たちの領土を守るという生活を続けてきた。緊張感の漂う日々ではあったが、それでも何とか人間と魔物の均衡は保てていた。

しかし、その均衡は突如揺らいだ。

魔物達を統轄しその行動を制限する絶対的な力を持った存在が遥か東の山脈に生まれ出た。今まで現れたどんな魔物よりも知性に優れ、凶悪な存在。討伐に向かった王国の兵隊も魔術師たちも骸すら残さず灰と化し、人々の領土は大陸の隅まで縮小していく。人口は激減し、日に日に狂暴化していく魔物達によって人類の文明は衰退させられていった。

人の力では到底及ばない魔物。後にドラゴンと呼ばれたその存在は数百年も人々を蹂躙し続けた。

男として生まれた者は子供であろうと兵士として教育され、育てた農作物は配給として徴収され市民は飢える。すべてはやがて訪れるであろうドラゴンとの決戦のための下準備だとうわ言のように大人達は繰り返すが、すべては無駄な気休めなのだと子供たちですら悟っていた。

希望すらなく、滅びるのを待つだけとなった生活を数十年間も続けていた人間達に朗報が舞い込んだのは、いつもと変わらない秋の夕刻であった。

一人の青年がドラゴンを打ち倒し、その血を浴びて不老不死になったと。

その後、報を裏付けるように人間達の生活には自由が戻っていった。魔物は徐々に勢いを失い、人間の力でも退けられるほどに弱体化した。ドラゴンに抑圧されていた土地が解放され、人々の生活は再び機能し始めた。

 人はドラゴンを倒した青年を英雄と讃えた。神話に綴られる無敵の戦士を模して、王国から贈られた名はジークフリード。その名は不老不死という栄誉と共にいつまでもこの世界で輝き続けるのだ、と誰もが口を揃えてそう言った。


 ドラゴンが倒されてから早数年。

 青々しい緑が風にざわめく。踏み鳴らされた土の道を辿り、近衛の任から戻る途中のヒルダは穏やかな町の様子を静かに眺めていた。

今まではじっと地面ばかり見つめて泣いていた子供達も、今では広場を元気に駆け回り視線は空へ。家屋の竿には国へ献上する獣皮ではなく布団や衣服が吊り下げられている。萎びた木の実か錆びた剣しか売られていなかった露店には質のいい商品が沢山並び、街道外れのこの田舎町まで行脚してきた旅商人達の呼び込みで煩いほどに賑わっていた。

確かに平和になった、と他人事のようにヒルダは思った。ドラゴンの支配から解き放たれ、さしたる魔物達の脅威を感じないまま人間は暮らしている。着実に活気を取り戻しつつある人間に対し、ドラゴンに統轄されていた魔物達は指針を失い目に見えて沈静化している。人間にとって有史以来、現在が一番平和で和やかな時なのかもしれない。
 願ってやまなかった世界が、今手に入った。

(はず、なのに)

 ヒルダの表情は晴れなかった。

「ヒルダ!」

 はっとして目を見開く。その呼び名に、かつての彼の笑顔がつられて蘇った。

 まさか、と期待に脈打つ胸を深呼吸で鎮めて、声のした方へ顔を向けた。

 しかし。

「ちょっと見ていかないか? 新しい長槍が入荷してるんだ」

 そこにいたのは彼ではなかった。

 地面に布を広げただけの露店から、昔からの顔見知りの武器商人が人懐っこい笑顔で手を振っている。目に見えて肩を落としかけたヒルダだが、気を持ち直して笑顔を張り付けた。

 ヒルダ、というのは愛称だ。本名はブリュンヒルダ。王都への出稼ぎなどで知人はほとんどこの町には残っていないが、数少ない昔馴染みの人間は決まって彼女をヒルダと呼ぶ。

魔物もめったに暴れない今のご時世、武器商人もまともな商売ができないのだろう。若くして近衛として活躍しているヒルダを見かけるたび、ようやく客を見つけたとばかりに目を輝かせ声をかけてくる。実際、魔物が沈静化したことで商売あがったりなのは近衛も同じことで、武具を新調するほど仕事に恵まれているわけではないのだが。

ヒルダは背負っている長槍の柄に指を滑らせた。埃と返り血に塗れ長年の衝撃が蓄積されたヒルダの長槍は、薄汚れすでにボロボロになっている。改めて考えれば確かに今が変え時かもしれない……が。

「今日はお金がないので、また機会があったらお願いします」

結局差し障りのない返事で曖昧に誤魔化す。お金がないのは本当だ。そして何より、今は陽気に買い物などできる気分ではない。

「ん、そうか。残念だなぁ」

白銀製なんだけど、となおも食い下がってこようとする商人に微笑みながら頭を下げて。踵を返しかけたところで、商人の更なる声がヒルダを追った。

「そういやヒルダ。英雄様はどうしてる?」

英雄という単語を聞いた瞬間、ヒルダの心が不気味に流動した。翻しかけた身を硬直させて息を詰める。

理解しかねていると勘違いしたのか、ヒルダの返事を待たず商人がさらに言葉を重ねる。

「シグルスだよ。今は英雄ジークフリードだっけか」

ジークフリード、と無意識に口の中でその名を復唱していた。脳裏によぎるのは無造作な赤い猫毛と涼しげな金色の瞳。

「ドラゴン退治から帰ってきてから、まるで俺達から隠れるみたいに顔見せなくなっちまってさぁ。たまに見かけるけど、声かける前にどっか行っちまうし」

俺を見かけりゃ自分から近づいてきて挨拶してくれるくらい人懐っこい奴だったのになぁ、と名残惜しそうに呟く商人。ヒルダはそれを聞きながら、鋭い視線を虚空に向けてじっと黙っていた。

「ヒルダはあいつと仲良かっただろ。なんか知ってんじゃないかって思ってさ」

 その目に光るのは無責任な好奇心。仕方が無いこと、だが。

はぁ、と重く息をついてヒルダは視線をスッと商人に向けた。

 商人の言うとおり、英雄ジークフリードはヒルダの親友であり、戦友だった。幼い頃からこの町で共に育ち、共に武芸を学び、近衛として共に魔物からこの町を守ってきたパートナー。ドラゴンを倒しに行くとジークフリードが言い出した時はさすがに仰天し、滾々と説教と説得を繰り返し引き止め続けたヒルダだったが、最後には根負けし彼を信じて送り出した。

不安と心配で眠れない日々を過ごしたが、やがて自分の選択は正しかったと知る。ジークフリードは無事に、英雄となって帰ってきたのだから。

『シグルスが帰ってくるって信じて待ってるから』

旅立ち前の彼との会話がヒルダの胸に去来する。年甲斐もなくボロボロと涙を流して、人知れず旅立とうとした彼に縋りそうになる手を必死に押さえ込んでいた。

『辛くなったら無理せず帰ってきて。もし死んじゃったなら……、死んだって、あなたの口から直接聞くまで信じないから……! だから!』

『帰ってくるよ』

 自身に満ち溢れた目を細めて彼が笑ったことを鮮明に憶えている。
『勝って、必ず帰ってくる。だからそれまで、この町はお前に任せるから』

 互いが互いを確かに信頼していた。

自他共に認める絆の強さ。それを承知のうえでの問いかけだったのだろう。

ジークフリードはどうしているか、と。

(絆、なんて)

ヒルダの暗い笑みが、俯いた彼女自身の前髪に遮られた。

(彼がどうしているかって?)

にわかに顔を上げた彼女は引き攣った笑顔を浮かべたまま真実だけを口にした。

「わかりません」

その瞬間、心の中の霞は彼女の胸を突き破らんばかりに膨張する。

――お前には関係ないだろ。

同時に、数か月前に聞いた恐ろしい言葉が頭の中で鳴り響いた。
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