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私は犬と生きていく

ジャンル: その他 作者: コツリス
目次

父と母~風連

 私の家は貧乏だ。父は化学工場の作業員で、当然の事ながら必死に働く割には給料は安かった。そのせいか、父はケチである。母だってホテルの従業員として働いていたが、彼女が自分の稼ぎから幾ばくかを使って服などを買うと、父は烈火のごとく怒るのである。
 
「この野郎、また服なんか買いやがって! 服なら他にもあるだろう。無駄遣いするな!」
 
と怒鳴りながら母を殴る。母にだって言い分がある。
 
「だって私は接客業なのよ! 街でお客さんに会った時にみすぼらしい格好で居るわけにいかないでしょう!」
 
 こんな具合に喧嘩は始まり、やがて殴り合いになるのだった。そんな時、私は飼っている柴犬、風連の所へ避難する。風連はドキドキした眼差しで、外から喧嘩が繰り広げられている居間の様子に耳を傾けていた。心臓がバクバクいっている。こんな天使の様に純真な風連が、我が家に来たばっかりに不安とストレスに晒されねばならないとは、不憫である。
 
「大丈夫だよ、お前の事で喧嘩してるんじゃないからね。私が付いているよ」
 
そう言いながら、私は風連の頭を優しく撫でてやった。風連はつぶらな瞳で私を見つめる。
 
「風連。私がこの家で耐えていられるのはお前のお陰よ」
 
私は無理やり笑顔を作った。この家では、こうして風連と一緒に居る時が私の唯一の安らぎなのだった。
 
 その日も父と母は言い争っていた。
 
 「何だ、この魚の焼き方は! 生焼けじゃないか。俺は魚は良く焼いたやつが好きなんだ!」
 
「何よ! 私だって仕事帰りでゆっくり作る時間なんて無いのよ! そんなに言うんなら自分で焼けば良いでしょ!」
 
激しい怒鳴り合いに怯えた私は、居たたまれなくなってガチャン、と箸を置き、衝動的に外へ飛び出した。
 
「人から食事を作ってもらっておいて、文句を言うなんて。そんなに怒ることないじゃない! 母さんも母さんだわ、父さんの好みは分かっている事なんだから、もっと気を付ければ良いのに。どうして二人とも私が安らかに食事をする時間をくれないのかしら。私は何だってこんな二人の間に生まれたんだろう?」
 
私は怒りとも悲しみともつかない思いを腹に抱えながら、近所中を歩き回った。涙は出なかった。自分が何処をどう歩いているのかも分からなかったが、そうするしか無かったのだ。脚がクタクタになるまで歩き回って、私は帰宅した。家に帰ると、
 
「何故皆とご飯を食べないんだ! 自分勝手だ!」
 
と父が怒る。私は
 
「具合悪いから」
 
とだけ言って、部屋へ引きこもった。



 それからずっと、私はどんよりと気分の晴れない日々を送っていた。高校はいわゆる進学校だったので、勉強だけはしていたが、友達は居なかった。皆進学の事に夢中で、仲間とつるんで遊んだりすることが無かったのだ。私の激しい孤独感は風連だけが埋め合わせてくれていた。
 
 風連はしょっちゅう聞こえてくる父と母の怒号をじっと聞き続けているとはいえ、父にも母にも愛想を振り撒いていた。彼は家族であるという、ただそれだけで人間の性癖によって差別したりはしないのだ。私はそんな風連を偉大だと思い、愛おしいと思った。次に生まれ変わるなら犬が良い。
 
 散歩の時間になると、風連は庭に面している居間のガラス戸をバリバリと引っ掻きながら、催促の甘えた声を上げる。私は急いで外套を着込み、糞取り袋を用意する。その間、興奮した風連は嬉しそうに走り回っていた。
 
 鎖を散歩用の引き綱に変えると、待ってましたとばかりに風連は走り出す。私は家から離れられる解放感でウキウキしながら、風連と走った。空を見上げると、澄みきった青空に鱗雲が並んでいる。下に目をやると枯れ草が風にたなびいていた。秋の風が心地よく、私の憂鬱な心を洗い流してくれるかの様である。風連の、キリリと巻いた尻尾を左右に振りながらキビキビ歩く姿も、クルクル回ってから神妙な顔をして糞をする姿も、草むらに隠れている虫を狐飛びして捕まえる様子も、全てがただ愛らしい。なんという純粋な命の輝きだろうか! ここには完璧な世界が有るのである。
 
 私は心行くまで風連との散歩を堪能した。川の土手で綱を外した風連が走り回る姿を眺めながら、出来ることならこのまま家へは帰りたくない、と思った。この爽やかな秋晴れの空気の中で、このままずっと風連とこうしていたい。この素晴らしい世界に比べたら、他は皆ごみ屑の様なものだ。私はこのささやかで美しい世界を誰にも壊されたくなかった。
 
 
 
 

 
 
 
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