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私は犬と生きていく

ジャンル: その他 作者: コツリス
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妄想~統合失調症~風連の死

 それからも父と母の喧嘩は続いた。喧嘩をしていない日は無いと言って良かった。私はますます塞ぎ混むようになり、部屋から出る回数も減っていった。二階の自室に籠って何をしているかと言えば、空想の世界に飛んでいるのだった。
本当は私は幸せな家庭の幸せな子供で、家族皆で楽しく暮らしている想像に浸ったり、どこか遠い異国へ旅して楽しい思いをしたり、砂漠に意識を飛ばしてそこから煌めく星を眺めたりした。
 
 思っていた以上に空想で遊ぶことは楽しくて、私はどんどん意識の深みへと潜って行った。そのうち、自然と映像が浮かぶようになり、妄想の中で人と話をしたりもするようになった。私は妄想の世界に嵌まり込み、食事を摂る事も、お風呂に入る事も億劫になって来た。母が
 
「ご飯よ。いい加減降りてきなさい!」
 
と怒鳴っても、
 
「食べたくない」
 
とだけ答えて、部屋から出なかった。そのうち、私は一日のほとんどを妄想の中で過ごすようになった。例外は風連の散歩だけだった。そんな状態がしばらく続くと、母が意を決したように言った。
 
「あんた、おかしいわよ。病院へ行きましょう」
 
 私は無理矢理精神科へ連れていかれた。診察室へ入ると中年のよく日に焼けた医師が笑顔で迎えた。
 
「お母さんの話だと、幻覚とか幻聴が有るそうだけど」
 
「……はい。有ります」
 
「それは何時からかな?」
 
「三ヶ月くらい前からです」
 
「ふーん。そうなった原因は分かる?」
 
私はしばらく考えた。父が低所得でケチなせいで、とは言えなかった。それを言ったところで何かが変わるのか? 医者が大金を恵んでくれるとでもいうのだろうか? 
 
「分かりません」
 
「そうか……。じゃあこの質問用紙に答えを書き込んで。その結果を見てまた来てもらうから」
 
 私は薄い質問用紙を渡された。用紙には、例えば
 
 「女性が夜道で痴漢にあったが、服装は露出度の高いものだった。悪いのは誰か?」
 
といったようなものだった。私は百位の質問の答えを次々に書き込んでいった。
 
「終わりました」
 
「有り難う。来週もまた簡単なテストをするから、また来て下さい」
 
医師はにこやかに笑った。



 次の週。今度はロールシャッハテストや、絵を描くテストを受けた。木の絵を描いてください、と言われたので、私はおざなりにヤシの木を書いた。
 
 診断の結果が出た。医師はノートパソコンに打ち込まれたデータを見ながら、
 
「統合失調症ですね」
 
と告げた。
 
「おそらく遺伝的にドーパミンの出る量が多いか、受容体の数が多いんですね。受容体に蓋をする薬を出しますから、毎日必ず飲んでください」
 
 統合失調症……。私は心の中で呟いた。話には聞いたことがあったが、まさか自分がそうだとは。
 
「毎日、どういうふうに過ごしていますか?」
 
「学校へ行く以外は特に何も。犬の散歩が楽しいのでそれは毎日しています」
 
「そう。体を動かすことは良いことだから、それは続けてね」
 
「有り難うございました」
 
「お大事に」
 
 私は家に帰って薬を飲み、部屋で一人静かに考えた。これで妄想も無くなるのだろうか。だとしたら、私はこれから何を楽しみに過ごせば良いのだろう? 空想の世界で遊ぶことさえ出来なくなる、と思うと私は泣きたくなった。悲しい現実から逃避できる唯一の手段だったのに。だが、前もそうだったが、涙は出なかった。
 
 夕方になり、風連の散歩の時間が来た。そうだった、私には風連がいるのだ。そう思うと不思議と力が湧いてくる。
 
 風連はいつもと変わらず、元気に散歩の催促をしていた。私はいつものように支度をして、風連と出かけた。既に季節は冬になっており、日も落ちてすっかり暗くなっていた。吹雪いていたが、散歩が辛いと思うことはなかった。
 
 それからの私は空想の世界で遊ぶことも無く、ただひたすら風連への愛を胸に日々を過ごした。




  ある日から風連の様子がおかしくなった。散歩中に脚の痛みを訴えて悲鳴を上げ、うずくまった。しばらくすると何事もなかったかの様にまた歩き出す。そしてまたうずくまる、といった具合だった。
 
 そんな事が続いたので獣医に連れて行った。脚に異常は無かった。
 
「腎不全による毒素が体に回って関節が痛むんですね。点滴をしましょう」
 
と、獣医は言う。風連は皮下点滴を受けることになった。背中に針を射される。背中にコブが出来た。点滴の液が溜まったのだ。
 
「定期的に点滴を受けに来て下さい」
 
 点滴を受けた後は、しばらく風連の具合は良くなった。だがじきにまた脚を引きずるようになる。点滴を受け、そしてまた具合が悪くなる、を繰り返した。
 
 ある日、もう寝たきりで動けなかった風連が、突然むくりと起き上がり、眼をキラキラさせて、部屋の中へ入れろと催促する。居間へ入れてやると、部屋中歩いて周りを眺め、部屋続きのキッチンも一通り眺めて回った。そしてガックリと力尽きた。横たわって弱々しく鳴き、私を呼んだ。そばに行って撫でてやると、一瞬苦しそうな顔をした後、動かなくなった。
 
 風連は死んだ。この事実は私を揺さぶった。私は二階の部屋へ行き、両親に見つからないように膝を抱えて泣いた。嗚咽と言って良かった。今度は涙が出た。
 
 風連が死んで以来、私は脱け殻のように日々を送った。両親は相変わらず喧嘩を続けていた。進路を決める時期になって、私は父に大学に行きたい、と申し出た。父は、
 
「どこにそんな金がある!」
 
と切れた。私は進学を諦めて働くことにした。
 
 東京に出て、校正の仕事に就いた。何年か働き、年頃になると両親が結婚を進めてきたがする気にはなれなかった。昔の写真を見る限り、結婚当初の父と母は幸せそうに写っている。それが、時が経てば修羅場を演じるようになるのだ。私はそんなのは絶対に御免だ。そうだ、いずれまた犬を飼おう。私は人間を愛する心は作れなかったが、犬への愛だけは有るのだ。私は犬と生きていく。
 
 
 
 

 
 
 
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