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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第20話

「……ま、外堀からってのも悪くないか」
 好地山涼子は宙を見上げて呟き、それから直次だけに視線を向けた。ただの門下生のアビゲイルにも、見ず知らずのセーラー服の小娘にも用はないといった態度だ。
「忘れているかもしれないけど、わたしはこの古武術道場を壊して、住宅型有料老人ホームを建てたいの」
「覚えてる」
「へぇ……古武術なんかやってるわりには頭がいいじゃないの。ちゃんと覚えてたなんて……。ま、頭まで筋肉ってわけじゃないのね」
 いちいち気に障るしゃべり方をする女だった。
「それくらい覚えているし、頭がべつに悪いわけじゃない」
「そう?」
 好地山涼子は腕組みしたまま、ことさらゆっくりと道場の中を見回した。
 直次は、次にこの女がどんなことを言いだすか想像がついた。
「今日もがらがらね。道場としては活気がなくて困るけど、老人ホームならこれくらい静かなほうがいいかもね。脳みそが少しでもあるなら、使ったほうがいいわよ?」
「この道場が不景気だろうと、あんたには関係ない」
「あら、不景気だって認めるのね?」
 直次は頭に血が上っていることを自覚していた。兄の話をいきなり振られ、それからこのようにねちねちと嫌みを言われては、まだ若い直次では自分を抑えるのは難しい。
 直次の両手が、我知らずぎゅっと拳になる。板間に触れている素足にも力が入った。全身に力がみなぎり、次の瞬間爆発して、追い返すための言葉を発しようとした。
 だが、その機先を制して、好地山涼子は腕組みを時、ふいに柔らかな笑みを浮かべた。
「ごめんなさいね。気に障ったかしら?」
 居丈高に嫌みを言っていた姿から一転して、今度は下手に出られたので、直次は怒鳴ることもできず、口をつぐんだ。
「ついつい心配になって言い過ぎちゃったのよ。知ってるんでしょう? ここの道場主であるあなたのお母さんは、金策に走り回ってるのよ。子供でもわかるでしょうけど、道場生が家族をのぞけば外人がたったひとりだけしかいないんだもの、大変よね。それなのに、こんな広い土地を遊ばせておくなんて」
 直次が図星を突かれて黙っているのを、好地山涼子は観察しつつ、続けた。
「それに古武術なんて将来性がないし、実際、門下生だってご家族をのぞけばたったひとりきり。息子としても肩身が狭いでしょ? ねぇ、これは、あなた自身とその家族のためになる話なのよ?」
 古武術の将来性も、門下生が家族以外にひとりしかいないことも、直次は痛いほどよくわかっていることだった。だからこそ、言い返せない。
 まさに籠絡するような口調のこの女を警戒して、寿美花は、直次の手を軽く掴んだ。
 振り向く直次に、寿美花は心配そうな眼差しを向けた。
「直次くん……」
「……寿美花……アビー……」
 振り向いて、三人の視線が交わったが、直次は好地山涼子のほうを向いた。
「話だけ……話だけ聞いてみよう。どうせくだらない内容だろうが、聞くだけなら何も問題ない」
「良かったわぁ。話を聞いてくれる気になって」
 舌なめずりしそうな様子で、スーツ姿の女は微笑んだ。
「じゃあ、この前の質問の答えからいきましょうか?」
「この前?」
「ほら、老人ホームが儲かるって話をしたじゃない。その儲かる理由を説明しようとしたら、あなたのお母さんに遮られたのよ」
「ああ……そういえば……」
「あの時話そうとしたのは、今の社会の現状と、老人ホームの需要についてよ。もうすでに高齢者が増え続けて超高齢化社会が始まってるわ。二〇一二年にはいわゆる『団塊の世代』も六十五歳になったから、なおさら大変ね」
 団塊の世代や少子高齢化という言葉くらいなら、直次だって聞いたことがあったので頷いた。
「ところで、その需要が増え続ける老人ホームだけど、有料老人ホームの入居金や月額って、いくらくらいだか知ってるかしら? まあ、ピンキリではあるし、サービスの種類もいろいろあるんだけどね」
 いくらだろうか? 直次は考えたが、あまりにも接点のない世界で漠然とし過ぎて、まったく浮かばない。直次の祖父母は老人ホームのやっかいになることはなかったし、直次自身まだ若くて、老人ホームについてほとんど興味も関心もなかった。
 なんとなく老人が支払うのなら、それほど高くないような気がした。
 好地山涼子は、せっかちな性格らしく、解答を待たずに答えた。
「ま、ざっくり言うと、有料老人ホームの入居金は、数百万から数千万円ね」
「数千万っ?」
 驚きに声がかすれた。さすがにアビゲイルも驚いたらしく、その気配が伝わってくる。
「そうよ。高い方はね。安ければ数百万円のところもあるでしょうけど。――そして、月額は十五万から三十五万円くらい」
「……月額ってことは、月々十五万とか三十五万とか支払うのか?」
「ええ。ちなみに、あなたの驚いた入居金を支払えない利用者もいるから、そういう人が入りやすい入居金ゼロ円っていう有料老人ホームもあるわ」
「じゃあ、みんなそういうところに入るんじゃないか?」
「けど、入居金が安い分、月額が高いの。当然だけど、トータルすれば、たいして変わらないように計算されてる。まあ、入居金ゼロで、それなりにいい施設なら、月額三十万はかかるんじゃないかしら」
 直次は絶句した。想像を超えた世界だ。
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