智者たちのランチタイム
節は、大樹。
フォドラの大地に、アドラステア帝国が設立してより1180回目の春が到来した。
大樹の節は、フォドラ中央にそびえる山脈はその頂にある大修道院・ガルグ=マクにとって特別な意味を持つ。
大修道院に併設されている士官学校に、フォドラ各地の貴族の子弟、有能な平民の少年少女たちが集められ、女神の名の元、学問を学ぶ機会を与えるのだ。
その仕官学生たちが食事を取るガルグ=マクの食堂で、その日初めて顔を合わせる二人の青年がいた。
「これはリーガン公爵令息、お疲れ様です」
「お疲れ。お前さんがベストラ家のヒューベルトかい? つか堅いなぁ。将来はともかく、今は同じ学生だ。もう少し砕けてくれて構わないぜ?」
「性分でしてね。我が主と異なる旗を掲げておられる御仁とあらば、なおのことです」
「つれないねぇ。なんならお前さんが、俺の旗に靡いてくれるって選択肢もあるぜ?」
「お戯れを」
冗談にしても笑えない。
それほどの意味をこめて、実際の年齢より遥かに年長じみて見える青年、ヒューベルトは微笑を浮かべた──見た者の魂を切り裂かんとばかりに、冷たい笑みを。
凡徒であれば、その笑みひとつで胃に穴が空きかねない。ヒューベルト、この黒髪の青年は、主・フレスベルグ家家長エーデルガルドのためならば、いかような真似でもしてのけるともっぱらなのだ。
そしてその噂が真実であることを、冷たい笑みを向けられた麻色の髪をした青年は知っていた。
青年は、現在でこそこのガルグ=マクの学徒という身分でしかないが、ひとたび卒業してしまえば、フォドラを三分割する勢力がひとつ、レスター諸侯同盟を統括するリーガン家の当主なのだ。諜報員を駆使し、他勢力の有力者、並びに将来有力となるであろう者の人物リストなど、ここガルグ=マク士官学校に入学する以前より、脳内にすでに記録済みである。
名はクロードという。常日頃から当たり障りとつかみどころのない態度で過ごしており、感情を激させるということがほとんどない。凡俗が彼を見たならば、約束された将来に安寧し日々をいい加減に過ごしている貴族の坊や、と見る者すらいるだろう。
だが、真実は違う。
少し上流階級の人物鑑に通じている者ならば、彼、クロードをそのように侮ることなど、絶対にしない。
そのような危険な真似、できる筈がないのだ。クロードを安全でいい加減な人間と判断するのは、人肉の味を覚えた虎を、家で飼う猫だと判断するのに等しい。
そう、今この食堂で会した二人は、単にガルグ=マクの生徒が二人、顔を合わせたというのにとどまらない。それは将来、アドラステア帝国の影を司ることになる者と、レスター諸侯同盟領はおろかフォドラ全土をチェスの盤に見立てて策略遊戯に興ずることになる曲者の邂逅に他ならないのだった。
このガルグ=マク士官学校に編入された時から、これあるは当然予想できたはずだった。無論、ヒューベルトもクロードも心構えはしていたつもりではあったのだが、しかしいざこうして実現すると、互いに牽制せずにはいられない。アドラステア帝国はヒューベルト=フォン=ベストラの名も、レスター諸侯同盟はクロード=フォン=リーガンの名も、どちらにとっても無視するにはあまりにも相手の名が巨大すぎるものであったから。
互いに、フォドラの裏面を探り、多少の『真実』を知る者。下手な態度を見せては、後の禍根になりかねぬ。
事にヒューベルトは慎重であった。人に完璧はあり得ぬと承知の上で、なお人生に汚点を残したくないとの気持ち、人一倍の男である。自身の尊厳が許さないのは当然として、彼は自らの失態によって主を辱めてはならないという重責を、自らに課しているのだった。
そんな二人が、ガルグ=マクに入学して以来初めて、個々として会したのである。その光景を見ていた周囲の他生徒が想像もつかぬほど、二人の内世界は剣呑な敵愾心が渦増していた。
ただし生徒たちも、その敵愾心の厚さ、深さは知れずとも、二人の間に漂うただならぬ空気は敏感に感じ取れたのだろう。食堂であり、時間はそろそろ昼になろうという時刻、人込みはいや増していくばかりであったが、二人の周囲には生徒が近寄ろうとしなかった。
──そこに、
「こんにちわ、ヒューベルトさん、クロードさん。よろしければ、昼食ご一緒させてもらってもいいですか?」
と、一人の例外が穏やかな口調で入ってきた。
「貴殿は……確か、ロナート卿の?」
「青獅子組のアッシュ、だったっけ?」
ヒューベルトとクロードが、それぞれ今、二人の間に入ってきた少年の方に顔を向ける。
前述したように、凡人であればそのように言外で敵意を見えざる刃となして静かな剣戟を交わす二人の間に入ってくることなど、間に流れる異様な雰囲気を恐れて出来よう筈もない。
まして、このように朗らかな笑みを浮かべてなど!
「わあ、凄いなあ。お二人とも、僕のような一生徒の名前まで、一人一人網羅しているんですか?」
そのことも含めた視線を、ヒューベルトもクロードも、その相手に送った筈だった。しかしクロードからアッシュと呼ばれた少年は、視線に込められたそのような意味などまるで気づかない、といった体で驚いて見せている。
「一生徒? おやおや……」
「そいつぁ謙遜が過ぎるんじゃないか、青獅子のアッシュ? その名は、将来のファーガス王の側近候補の一人って聞いてるぜ?」
ヒューベルトは嘲笑に近い、クロードは呆れに近い微笑を、アッシュに送る。
「いいえ、とんでもない! そんな大層なものではありませんよ。将来なんて分かりませんし──少なくとも、ここでは僕は一人の生徒です。『お二人と同じ』。そして今、クロードさんが仰った『未来のファーガス王』になられる人も」
アッシュのその言葉に、ヒューベルトもクロードも一瞬のさらに半分の間、沈黙した。
──ここは生徒が学問を修得する学び舎であり、互いが研磨しあう場所。将来、重責を背負って立つ者も、つかの間の『子供の時間』を獲得する空間。その貴重な場所、何物にも代えがたい時間に、国家間の血生臭い争いに因を発するいざこざなど持ち込んでくれるな、と。
この、幼年をようやく脱したかと思えるようなあどけなさを顔に残すアッシュ少年は、告げているのだ。
ヒューベルトは、アッシュの言葉によって先立たせたその半瞬の沈黙の間に、一人の人物の姿を脳裏に閃かせていた。
黄昏色に彩られた可憐な少女、自身の主の姿を。
『ヒューベルト、ここでは私も貴方も一人の生徒。どうせ、一年後には私も貴方も、歩み往く道に敵対者の血でカーペットを敷かなければならない身。せめて、今だけでも楽しみましょう。最後の、子供の時間を』
クロードもまた、自国での貴族たちの顔、その自身の生活を脳裏に浮かべ、苦笑いを浮かべた。それこそ、幼少の頃から父の傍に侍り、海千山千の貴族たちとの化かし合いを見届けてきたクロードである。無邪気な子供の時間など、皆無に等しかった。
──ガルグ=マク風干し肉炒め。
二人が、半瞬の間に赴いた記憶の旅行から現実に返ってきた時、その意識の帰還を見計らうようにアッシュが自身の分とヒューベルト、クロードの3人分を机の上にそれを並べた。
「さあ、話はそこまでにして、食事にしましょう。僕たち、育ち盛りの食べ盛りですからね。お昼の時間は、しっかり食べないとですよね!」
アッシュの一言で意表を突かれ、すかさず食事。さらに偶然にも、出されたものはヒューベルト、クロードともに虫の好く料理であった。これでなお牽制し合う気には、ヒューベルトもクロードもなれなかった。
しかし、無駄な足掻きとでも言うべきか。そのまま丸め込まれるを潔しとせず、クロードはおどけてアッシュを見た。
「はておかしいな。今日のメニューはこれじゃないだろ?」
「ええ。僕が作りました。お二人と僕が、そして何よりお二人同士が仲良くなれますようにって、願いをこめて。──せめて、この学院生活の間だけでも」
「ほう。私とリーガン公爵令息に、貴方の作った料理を食べてみろ、と?」
ヒューベルトの冬のごとき視線に、アッシュはしかし変わらず春の朗らかな笑みで答える。
「はい。どうでしょう、僕の分とお二人の分。3人前を、それぞれ3分の1ずつわけあって食べると言うのは。とりあえず作り手の僕が、味見役で全皿の毒見をしますね」
「──いらないだろ、そんな真似。なあ、ヒューベルト卿?」
「……そうですな。そのような真似をさせては野暮と言うもの。毒見など不用、せっかくアッシュ殿が作ってくださった料理、せいぜい冷めない前にいただくといたしましょうか」
「あ、あとな。砕けろとはもう言わないが、リーガン公爵令息ってのはマジでやめてくれ。クロード、でいい。そっちだって、いちいちベストラ侯爵令息って言われてちゃ面倒だろ?」
「フフフ……了解しましたよ、クロード卿」
──毒殺なんかしないから大丈夫ですよ。
遠回しに告げられたアッシュのそんな言葉に、二人はそれぞれの言葉で不要、と告げた。このガルグ=マクで毒殺されるなどというありえないことを妄想し、存在しない死の影に恐れるような小さい肝は、次期アドラステア帝国皇帝の懐刀も次期レスター諸侯同盟の盟主も持ち合わせてはいない。
こうしてヒューベルトとクロードは、アッシュの用意した料理をもって、1年間の休戦協定を言外で結んだのだった。
──5年後。
フォドラがアドラステア帝国・ファーガス神聖王国・レスター諸侯同盟の3勢力で覇を争い、一向に動かず硬直状態となっていたとある日のこと。
誰も知らぬ。誰も分からぬ。森羅万象を見渡せる神の視座をもつ者のみ知ることができる出来事があった。
それはアドラステア帝国の影を司る者と、レスター諸侯同盟領はおろかフォドラ全土をチェスの盤に見立てて策略遊戯に興ずる曲者の話。
──5年前。はじめて、
『アドラステアの影の部分の支配者に』
『諸侯同盟の曲者に』
──食堂で出会い、互いに牽制しようとしたその矢先に、
『公爵に踊らされた哀れな男に』
『北の大将に』
──仕える、銀の髪の少年に、そのいがみ合いを止められた。今にして思えばあれは、
『若き時代の最後の年を』
『遊ぶための時間を』
──主・ディミトリに献上しようとした、あの青年の思惑だったのだろう、と。
同年同日同時刻、昼食の時刻。二人の男が二人ともに、5年前の同年同日同時刻の事柄と、一人の青年の姿。そしてその青年が用意していたものが、自分はおろか、相手の好みの料理であったと後に知ったことを思い出していたという、その事実をである。
──ファーガスに、智の人なしと、
『思っていましたが』
『聞いていたが』
──なかなか、どうして。
二人ともに、食事をとりつつ。
あどけなさ、純真さを売りとした『ファーガスの智』のその銀髪、そして微笑を思い浮かべ、苦笑いを浮かべるのだった。
フォドラの大地に、アドラステア帝国が設立してより1180回目の春が到来した。
大樹の節は、フォドラ中央にそびえる山脈はその頂にある大修道院・ガルグ=マクにとって特別な意味を持つ。
大修道院に併設されている士官学校に、フォドラ各地の貴族の子弟、有能な平民の少年少女たちが集められ、女神の名の元、学問を学ぶ機会を与えるのだ。
その仕官学生たちが食事を取るガルグ=マクの食堂で、その日初めて顔を合わせる二人の青年がいた。
「これはリーガン公爵令息、お疲れ様です」
「お疲れ。お前さんがベストラ家のヒューベルトかい? つか堅いなぁ。将来はともかく、今は同じ学生だ。もう少し砕けてくれて構わないぜ?」
「性分でしてね。我が主と異なる旗を掲げておられる御仁とあらば、なおのことです」
「つれないねぇ。なんならお前さんが、俺の旗に靡いてくれるって選択肢もあるぜ?」
「お戯れを」
冗談にしても笑えない。
それほどの意味をこめて、実際の年齢より遥かに年長じみて見える青年、ヒューベルトは微笑を浮かべた──見た者の魂を切り裂かんとばかりに、冷たい笑みを。
凡徒であれば、その笑みひとつで胃に穴が空きかねない。ヒューベルト、この黒髪の青年は、主・フレスベルグ家家長エーデルガルドのためならば、いかような真似でもしてのけるともっぱらなのだ。
そしてその噂が真実であることを、冷たい笑みを向けられた麻色の髪をした青年は知っていた。
青年は、現在でこそこのガルグ=マクの学徒という身分でしかないが、ひとたび卒業してしまえば、フォドラを三分割する勢力がひとつ、レスター諸侯同盟を統括するリーガン家の当主なのだ。諜報員を駆使し、他勢力の有力者、並びに将来有力となるであろう者の人物リストなど、ここガルグ=マク士官学校に入学する以前より、脳内にすでに記録済みである。
名はクロードという。常日頃から当たり障りとつかみどころのない態度で過ごしており、感情を激させるということがほとんどない。凡俗が彼を見たならば、約束された将来に安寧し日々をいい加減に過ごしている貴族の坊や、と見る者すらいるだろう。
だが、真実は違う。
少し上流階級の人物鑑に通じている者ならば、彼、クロードをそのように侮ることなど、絶対にしない。
そのような危険な真似、できる筈がないのだ。クロードを安全でいい加減な人間と判断するのは、人肉の味を覚えた虎を、家で飼う猫だと判断するのに等しい。
そう、今この食堂で会した二人は、単にガルグ=マクの生徒が二人、顔を合わせたというのにとどまらない。それは将来、アドラステア帝国の影を司ることになる者と、レスター諸侯同盟領はおろかフォドラ全土をチェスの盤に見立てて策略遊戯に興ずることになる曲者の邂逅に他ならないのだった。
このガルグ=マク士官学校に編入された時から、これあるは当然予想できたはずだった。無論、ヒューベルトもクロードも心構えはしていたつもりではあったのだが、しかしいざこうして実現すると、互いに牽制せずにはいられない。アドラステア帝国はヒューベルト=フォン=ベストラの名も、レスター諸侯同盟はクロード=フォン=リーガンの名も、どちらにとっても無視するにはあまりにも相手の名が巨大すぎるものであったから。
互いに、フォドラの裏面を探り、多少の『真実』を知る者。下手な態度を見せては、後の禍根になりかねぬ。
事にヒューベルトは慎重であった。人に完璧はあり得ぬと承知の上で、なお人生に汚点を残したくないとの気持ち、人一倍の男である。自身の尊厳が許さないのは当然として、彼は自らの失態によって主を辱めてはならないという重責を、自らに課しているのだった。
そんな二人が、ガルグ=マクに入学して以来初めて、個々として会したのである。その光景を見ていた周囲の他生徒が想像もつかぬほど、二人の内世界は剣呑な敵愾心が渦増していた。
ただし生徒たちも、その敵愾心の厚さ、深さは知れずとも、二人の間に漂うただならぬ空気は敏感に感じ取れたのだろう。食堂であり、時間はそろそろ昼になろうという時刻、人込みはいや増していくばかりであったが、二人の周囲には生徒が近寄ろうとしなかった。
──そこに、
「こんにちわ、ヒューベルトさん、クロードさん。よろしければ、昼食ご一緒させてもらってもいいですか?」
と、一人の例外が穏やかな口調で入ってきた。
「貴殿は……確か、ロナート卿の?」
「青獅子組のアッシュ、だったっけ?」
ヒューベルトとクロードが、それぞれ今、二人の間に入ってきた少年の方に顔を向ける。
前述したように、凡人であればそのように言外で敵意を見えざる刃となして静かな剣戟を交わす二人の間に入ってくることなど、間に流れる異様な雰囲気を恐れて出来よう筈もない。
まして、このように朗らかな笑みを浮かべてなど!
「わあ、凄いなあ。お二人とも、僕のような一生徒の名前まで、一人一人網羅しているんですか?」
そのことも含めた視線を、ヒューベルトもクロードも、その相手に送った筈だった。しかしクロードからアッシュと呼ばれた少年は、視線に込められたそのような意味などまるで気づかない、といった体で驚いて見せている。
「一生徒? おやおや……」
「そいつぁ謙遜が過ぎるんじゃないか、青獅子のアッシュ? その名は、将来のファーガス王の側近候補の一人って聞いてるぜ?」
ヒューベルトは嘲笑に近い、クロードは呆れに近い微笑を、アッシュに送る。
「いいえ、とんでもない! そんな大層なものではありませんよ。将来なんて分かりませんし──少なくとも、ここでは僕は一人の生徒です。『お二人と同じ』。そして今、クロードさんが仰った『未来のファーガス王』になられる人も」
アッシュのその言葉に、ヒューベルトもクロードも一瞬のさらに半分の間、沈黙した。
──ここは生徒が学問を修得する学び舎であり、互いが研磨しあう場所。将来、重責を背負って立つ者も、つかの間の『子供の時間』を獲得する空間。その貴重な場所、何物にも代えがたい時間に、国家間の血生臭い争いに因を発するいざこざなど持ち込んでくれるな、と。
この、幼年をようやく脱したかと思えるようなあどけなさを顔に残すアッシュ少年は、告げているのだ。
ヒューベルトは、アッシュの言葉によって先立たせたその半瞬の沈黙の間に、一人の人物の姿を脳裏に閃かせていた。
黄昏色に彩られた可憐な少女、自身の主の姿を。
『ヒューベルト、ここでは私も貴方も一人の生徒。どうせ、一年後には私も貴方も、歩み往く道に敵対者の血でカーペットを敷かなければならない身。せめて、今だけでも楽しみましょう。最後の、子供の時間を』
クロードもまた、自国での貴族たちの顔、その自身の生活を脳裏に浮かべ、苦笑いを浮かべた。それこそ、幼少の頃から父の傍に侍り、海千山千の貴族たちとの化かし合いを見届けてきたクロードである。無邪気な子供の時間など、皆無に等しかった。
──ガルグ=マク風干し肉炒め。
二人が、半瞬の間に赴いた記憶の旅行から現実に返ってきた時、その意識の帰還を見計らうようにアッシュが自身の分とヒューベルト、クロードの3人分を机の上にそれを並べた。
「さあ、話はそこまでにして、食事にしましょう。僕たち、育ち盛りの食べ盛りですからね。お昼の時間は、しっかり食べないとですよね!」
アッシュの一言で意表を突かれ、すかさず食事。さらに偶然にも、出されたものはヒューベルト、クロードともに虫の好く料理であった。これでなお牽制し合う気には、ヒューベルトもクロードもなれなかった。
しかし、無駄な足掻きとでも言うべきか。そのまま丸め込まれるを潔しとせず、クロードはおどけてアッシュを見た。
「はておかしいな。今日のメニューはこれじゃないだろ?」
「ええ。僕が作りました。お二人と僕が、そして何よりお二人同士が仲良くなれますようにって、願いをこめて。──せめて、この学院生活の間だけでも」
「ほう。私とリーガン公爵令息に、貴方の作った料理を食べてみろ、と?」
ヒューベルトの冬のごとき視線に、アッシュはしかし変わらず春の朗らかな笑みで答える。
「はい。どうでしょう、僕の分とお二人の分。3人前を、それぞれ3分の1ずつわけあって食べると言うのは。とりあえず作り手の僕が、味見役で全皿の毒見をしますね」
「──いらないだろ、そんな真似。なあ、ヒューベルト卿?」
「……そうですな。そのような真似をさせては野暮と言うもの。毒見など不用、せっかくアッシュ殿が作ってくださった料理、せいぜい冷めない前にいただくといたしましょうか」
「あ、あとな。砕けろとはもう言わないが、リーガン公爵令息ってのはマジでやめてくれ。クロード、でいい。そっちだって、いちいちベストラ侯爵令息って言われてちゃ面倒だろ?」
「フフフ……了解しましたよ、クロード卿」
──毒殺なんかしないから大丈夫ですよ。
遠回しに告げられたアッシュのそんな言葉に、二人はそれぞれの言葉で不要、と告げた。このガルグ=マクで毒殺されるなどというありえないことを妄想し、存在しない死の影に恐れるような小さい肝は、次期アドラステア帝国皇帝の懐刀も次期レスター諸侯同盟の盟主も持ち合わせてはいない。
こうしてヒューベルトとクロードは、アッシュの用意した料理をもって、1年間の休戦協定を言外で結んだのだった。
──5年後。
フォドラがアドラステア帝国・ファーガス神聖王国・レスター諸侯同盟の3勢力で覇を争い、一向に動かず硬直状態となっていたとある日のこと。
誰も知らぬ。誰も分からぬ。森羅万象を見渡せる神の視座をもつ者のみ知ることができる出来事があった。
それはアドラステア帝国の影を司る者と、レスター諸侯同盟領はおろかフォドラ全土をチェスの盤に見立てて策略遊戯に興ずる曲者の話。
──5年前。はじめて、
『アドラステアの影の部分の支配者に』
『諸侯同盟の曲者に』
──食堂で出会い、互いに牽制しようとしたその矢先に、
『公爵に踊らされた哀れな男に』
『北の大将に』
──仕える、銀の髪の少年に、そのいがみ合いを止められた。今にして思えばあれは、
『若き時代の最後の年を』
『遊ぶための時間を』
──主・ディミトリに献上しようとした、あの青年の思惑だったのだろう、と。
同年同日同時刻、昼食の時刻。二人の男が二人ともに、5年前の同年同日同時刻の事柄と、一人の青年の姿。そしてその青年が用意していたものが、自分はおろか、相手の好みの料理であったと後に知ったことを思い出していたという、その事実をである。
──ファーガスに、智の人なしと、
『思っていましたが』
『聞いていたが』
──なかなか、どうして。
二人ともに、食事をとりつつ。
あどけなさ、純真さを売りとした『ファーガスの智』のその銀髪、そして微笑を思い浮かべ、苦笑いを浮かべるのだった。
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