第22話
わたしは神社に併設された寺に入ると、数珠をつけた手をていねいに合わせた。――次に、胸元で十字を切り、ロザリオをにぎりしめる。賽銭を投げ忘れていたので七福神がついた金色の財布から硬貨を一枚取りだすと投げた。感触から十円か百円かどっちかだと思うが、確認しなかった。もう終末まで残り二週間を切った。いまさら多少の散財に意味などない。
わたしは宗教家だ。
元教師だったが、失敗し、教師仲間からも侮蔑され、やがていじめられっ子が夏休みをはさんで不登校に陥るように、わたしは二学期から無断欠勤を繰り返し、二週間もすれば同僚からの連絡はこなくなり、さらに一ヶ月もすると一通の封筒がきて、ちょっとした手続きをしに中学の事務室を訪れると、それでわたしは教師でもなんでもなくなっていた。
……そして、わたしは新興宗教に出会った。
まさに神のお導き。
わたしが入った宗教は、すべての人々の幸福を永遠に願うもの――だったのだが、その宗教は例の〝終末騒ぎ〟で三々五々に分裂してしまった。いや、より手広く拡大したというべきだろうか。
多くの人々にとって宗教とは、対岸に存在する建造物のように、見えているけど、直接ふれることのないものだと思う。
それは〝終末騒ぎ〟のあと、激変した。
率直にいうと、この世界の終わりからわたしだけは逃げられるという、そういう宗教がはやり始めたのだ。
まあ古典的な壺の購入を勧めるところから、祈りを捧げるだけでオッケーだというところまで。金を、物を、土地を、悪徳新興宗教家たちは巻きあげまくっていった。
需要が増えると、供給源も増えるものらしい。
たぶんそのにわか宗教家たちは、文字が新聞の身だしなみに大きな、世界の宗教がこれ一冊で丸わかり的なハウツー本さえろくに読まずに、教祖となったのだろう。
……かくいうわたしだって人のことはいえない。
いわゆる〝終末宗教〟――終末騒動あとにできた宗教――にもハマってしまったクチだ。
わたしの入信していたそこでは、あらゆる神は等しく、あらゆる神はありがたいという話のもと、神社仏閣や教会の品々、果ては世界各地に点在する様々な神話をモチーフにしたお土産品や招き猫の置物といったものまで、まるでスーパーマーケットのように展示し、売りだしていた。
わたしはそこでロザリオと数珠と七福神のついた金色の財布を買った。他にもいろいろあったのだが、安売りをしていた物――といっても、普段の値段を考えれば目玉が飛び出るような価格の品物――を買った。
そして宗教家を自認することとなった。
金はない。
教師を辞めたあと、せいぜい日雇いの仕事くらいしかしていない。それに教師はわずか数ヶ月続けただけなので貯金などないも同然。
友人もいまはいない。
わたしには数少ない友人が、たったふたりだけいた。
だが――
ふたりとももうこの世にはいない。
いまの世の中ではめずらしくないこと――というか日常茶飯事なのだが、ひとりは自殺し、もうひとりは事故死した。
自殺した友人は、暴徒と化した民衆によって、恋人が目の前で暴行と陵辱を受け、あげくに絞め殺されたのを見て、ビルから飛び降りて死んだ。ちなみに友人の死体は、わたしが近くの公園に埋葬した。一週間経っても、誰も動かしもしなかったからだ。
もうひとりの友人。事故死した彼は、とある会社のロゴの入った車に跳ねられた。ロゴの名前もナンバーもわたしはその場にいっしょにいたので見ていたのだが、結局犯人は捕まっていない――というか捕まることはないだろう。
…………まあ、どのみち死刑――というかこの惑星自体があと半月足らずでぐちゃぐちゃになるのだが。
善人も悪人もひとしく死刑と決まると、どうせなら悪いことをやりたくなる人間が多いらしい。
だが。
わたしは、自らに宗教家であることを課した。
続けられない、ということが、わたしの業のようなものだとするなら、その業を断ち切りたいと思った。
だから、たとえ腹の虫がぐうぐうと鳴ることになっても、賽銭の金をけちるつもりはない。
祈る。
ただ祈る。
それだけがわたしに許された唯一のおこないなのだ。
*
目的もなくふらふらと歩いたわたしは、海沿いの道に出た。
ゆるく蛇行した道。
誰が組んだのかブロックが二段ほど組んである。
めずらしくもない。
通せんぼをして、通行税と称して、金や物、もしくは女を差しだせという暴漢の類はあとを絶たない。――いや、いまの世の中、女も子供も老人も狂っている。
老人が子供を襲い、小さな子供が老人を返り討ちにしたのを見たり、女同士がストリートファイトをしているのを見たこともある。どちらもどちらか一方が死ぬまで続くほど凄惨な争いだった。
「水……」
わたしは口を動かした。
自分がのどが乾いてるということに気づいたのだが、どこに蛇口があるのかわからない。
わたしは宗教家だ。
元教師だったが、失敗し、教師仲間からも侮蔑され、やがていじめられっ子が夏休みをはさんで不登校に陥るように、わたしは二学期から無断欠勤を繰り返し、二週間もすれば同僚からの連絡はこなくなり、さらに一ヶ月もすると一通の封筒がきて、ちょっとした手続きをしに中学の事務室を訪れると、それでわたしは教師でもなんでもなくなっていた。
……そして、わたしは新興宗教に出会った。
まさに神のお導き。
わたしが入った宗教は、すべての人々の幸福を永遠に願うもの――だったのだが、その宗教は例の〝終末騒ぎ〟で三々五々に分裂してしまった。いや、より手広く拡大したというべきだろうか。
多くの人々にとって宗教とは、対岸に存在する建造物のように、見えているけど、直接ふれることのないものだと思う。
それは〝終末騒ぎ〟のあと、激変した。
率直にいうと、この世界の終わりからわたしだけは逃げられるという、そういう宗教がはやり始めたのだ。
まあ古典的な壺の購入を勧めるところから、祈りを捧げるだけでオッケーだというところまで。金を、物を、土地を、悪徳新興宗教家たちは巻きあげまくっていった。
需要が増えると、供給源も増えるものらしい。
たぶんそのにわか宗教家たちは、文字が新聞の身だしなみに大きな、世界の宗教がこれ一冊で丸わかり的なハウツー本さえろくに読まずに、教祖となったのだろう。
……かくいうわたしだって人のことはいえない。
いわゆる〝終末宗教〟――終末騒動あとにできた宗教――にもハマってしまったクチだ。
わたしの入信していたそこでは、あらゆる神は等しく、あらゆる神はありがたいという話のもと、神社仏閣や教会の品々、果ては世界各地に点在する様々な神話をモチーフにしたお土産品や招き猫の置物といったものまで、まるでスーパーマーケットのように展示し、売りだしていた。
わたしはそこでロザリオと数珠と七福神のついた金色の財布を買った。他にもいろいろあったのだが、安売りをしていた物――といっても、普段の値段を考えれば目玉が飛び出るような価格の品物――を買った。
そして宗教家を自認することとなった。
金はない。
教師を辞めたあと、せいぜい日雇いの仕事くらいしかしていない。それに教師はわずか数ヶ月続けただけなので貯金などないも同然。
友人もいまはいない。
わたしには数少ない友人が、たったふたりだけいた。
だが――
ふたりとももうこの世にはいない。
いまの世の中ではめずらしくないこと――というか日常茶飯事なのだが、ひとりは自殺し、もうひとりは事故死した。
自殺した友人は、暴徒と化した民衆によって、恋人が目の前で暴行と陵辱を受け、あげくに絞め殺されたのを見て、ビルから飛び降りて死んだ。ちなみに友人の死体は、わたしが近くの公園に埋葬した。一週間経っても、誰も動かしもしなかったからだ。
もうひとりの友人。事故死した彼は、とある会社のロゴの入った車に跳ねられた。ロゴの名前もナンバーもわたしはその場にいっしょにいたので見ていたのだが、結局犯人は捕まっていない――というか捕まることはないだろう。
…………まあ、どのみち死刑――というかこの惑星自体があと半月足らずでぐちゃぐちゃになるのだが。
善人も悪人もひとしく死刑と決まると、どうせなら悪いことをやりたくなる人間が多いらしい。
だが。
わたしは、自らに宗教家であることを課した。
続けられない、ということが、わたしの業のようなものだとするなら、その業を断ち切りたいと思った。
だから、たとえ腹の虫がぐうぐうと鳴ることになっても、賽銭の金をけちるつもりはない。
祈る。
ただ祈る。
それだけがわたしに許された唯一のおこないなのだ。
*
目的もなくふらふらと歩いたわたしは、海沿いの道に出た。
ゆるく蛇行した道。
誰が組んだのかブロックが二段ほど組んである。
めずらしくもない。
通せんぼをして、通行税と称して、金や物、もしくは女を差しだせという暴漢の類はあとを絶たない。――いや、いまの世の中、女も子供も老人も狂っている。
老人が子供を襲い、小さな子供が老人を返り討ちにしたのを見たり、女同士がストリートファイトをしているのを見たこともある。どちらもどちらか一方が死ぬまで続くほど凄惨な争いだった。
「水……」
わたしは口を動かした。
自分がのどが乾いてるということに気づいたのだが、どこに蛇口があるのかわからない。
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