第16話
「テレビは大きいのがうちにありましたけど、見てません――というよりも、見る暇がないです。別に見ちゃいけないといわれてるわけじゃありませんけど。マンガとかアニメとかも同様で、時間がないから見れないだけで、見てはいけないと命令はされてません」
この現代社会。あらゆる情報を遮断するのは不可能。そこで、そういう方針をとったのだろう。マナの父親の教育方針がわかった気がした。なるほど、家庭教師に習い事がいっぱいか。
マナは遠くを見る目をする。
右手が海で、左手が林だったり住宅があったり。
マナはそのどこも見ていない瞳でいう。
「パパがどういうことを望んでいるかはわかってます。ですから、いい子にしてました」
なるほど。
聡い子だ。本当に。
父親の意図に気づいたうえで、それに乗っかっていたわけか。
「でも、いい子にしても、――いいえ、きっといい子として長いあいだ過ごして、従順な娘として生きてきた結果、わたしの話を聞かなくてもいいと思うようになったのかもしれません」
「…………そうかな?」
おれはあまり親子の愛情を疑うようなことをいいたくなくて少しぼかした。
「そうです。……マナの一番いて欲しいときに、パパはいつもいません」
言葉が途中でつまり、少女の目から涙が落ちる。
そうだ。
そりゃそうだ。
胸のうちでうなずき、おれは少女の涙から目をそらして前方を向く。
――この終末の世界。
物騒な世界。
あとわずかで終わる世界。
…………そんな大切な、黄金などよりずっとずっと貴重になった最後の時間を、いっしょに過ごしたい。そう、こんな小さな娘が思う相手といえば、普通に考えて親兄弟などだろう。次が親友とか。
けど。
彼女は、こんなおれみたいな見知らぬフリーターなんかと旅を続けている。逃避行を続けている。
愛犬といっしょに過ごしたいために。父親の放った追っ手から逃れて。
…………本当なら、助けてほしいんだろうな、父親に。
なのに。
父親は逆に、むしろマナの大切なものを、愛犬を、捨てさせようとしている。それは動物を捨てるという倫理観の問題だけでなく、マナの〝お友達と別れること〟を繰り返すという悲しみを繰り返させることに他ならない。
*
音がした。
始め、その音がなんの音かわからなかった。
人工の音だということだけはわかる。
やがて、それがバイクの排気音だと気づいた。
きっと半月前ならすぐ気づけただろうが、ここ最近というもの、自動車もバイクもどんどん走っているものが減って、その走行音さえ聞きかないのがあたりまえになっていた。
そんなバイク。
それに乗った男が、こっちに向かってくる。
季節外れの海パン。
――あれは!?
旅の初日におれたちを襲おうとしたやつらのひとり。あのブロックで邪魔をしていたやつらだ。
「お兄さん!」
マナもさすがに気づいた。
まだ距離はある。
が。
さえぎる物もない海岸沿いの直線。
「マナ! とりあえず全力で走るぞ!」
おれの黒い自転車とマナの赤い自転車は、急激に迫ってくる海パンのバイクから逃げようとする。
やつはご丁寧に金属バット持参だった。それを振りかぶっている。すれ違いざまにでも一撃加えるつもりなんだろう。
「くっそ!」
どうする!? 海パン男のバイクが乗りいれられない浜辺におりるか。この堤防から飛び降りれば。だが、それでも逃げ切れるとは思えない。かといってこのまま自転車でバイクから逃げるなど……!!
「ヒャッホォォオオー!! おれが一番乗りだァアア!」
その声に背筋が凍る。
理由はふたつ。その声の近さと、一番乗りということは仲間が他にいるということ。
恐怖心から足が鈍り、うしろを振り返った。
それと、やつのにやけづらが間近に迫るのは同時だった。
「ヒャッハー!」
気持ちよさそうに奇声をあげて、おれの頭めがけてバットを思いきり振ってきた。
ごっ!
という鈍い音。
おれは思わずぐらりと揺れた。
痛みよりも、恐怖。
走行状態だったため、思いきりアスファルトに頭から突っこむ。
「がっ!」
頭、続けて背中としたたかに打つ。背中を打ったとき悲鳴ではなく、口から肺の空気が漏れた。ひたいが割れそうな痛みがすぐさま襲う。
おれの自転車が転がる音が派手に響いた。
「ちっ。あぶねえなー」
バイクのブレーキの音。
おれの自転車と体をさけるためだろう、バイクが止まる。
「マナ、逃げろおおおおおおお!!」
おれは視界が半分ふさがった状態で叫ぶ。落ちていた石が目に直撃したのか、それとも血が流れて目がふさがったのかはわからない。どちらにせよ、おれがいまマナにできるのは叫ぶことくらいだ。
「ひゃっ!?」
奇妙な声をあげて、海パン男はバイクにまたがったままマナを見た。
マナは、自転車を止めていた。
まずっ!
おれは自分の自転車のかごにあるピンクのランドセルにテツを入れていた。彼女の愛犬!
「まずい!」
マナは、もしかしたらここまで戻ってきてしまうかもしれない。
この現代社会。あらゆる情報を遮断するのは不可能。そこで、そういう方針をとったのだろう。マナの父親の教育方針がわかった気がした。なるほど、家庭教師に習い事がいっぱいか。
マナは遠くを見る目をする。
右手が海で、左手が林だったり住宅があったり。
マナはそのどこも見ていない瞳でいう。
「パパがどういうことを望んでいるかはわかってます。ですから、いい子にしてました」
なるほど。
聡い子だ。本当に。
父親の意図に気づいたうえで、それに乗っかっていたわけか。
「でも、いい子にしても、――いいえ、きっといい子として長いあいだ過ごして、従順な娘として生きてきた結果、わたしの話を聞かなくてもいいと思うようになったのかもしれません」
「…………そうかな?」
おれはあまり親子の愛情を疑うようなことをいいたくなくて少しぼかした。
「そうです。……マナの一番いて欲しいときに、パパはいつもいません」
言葉が途中でつまり、少女の目から涙が落ちる。
そうだ。
そりゃそうだ。
胸のうちでうなずき、おれは少女の涙から目をそらして前方を向く。
――この終末の世界。
物騒な世界。
あとわずかで終わる世界。
…………そんな大切な、黄金などよりずっとずっと貴重になった最後の時間を、いっしょに過ごしたい。そう、こんな小さな娘が思う相手といえば、普通に考えて親兄弟などだろう。次が親友とか。
けど。
彼女は、こんなおれみたいな見知らぬフリーターなんかと旅を続けている。逃避行を続けている。
愛犬といっしょに過ごしたいために。父親の放った追っ手から逃れて。
…………本当なら、助けてほしいんだろうな、父親に。
なのに。
父親は逆に、むしろマナの大切なものを、愛犬を、捨てさせようとしている。それは動物を捨てるという倫理観の問題だけでなく、マナの〝お友達と別れること〟を繰り返すという悲しみを繰り返させることに他ならない。
*
音がした。
始め、その音がなんの音かわからなかった。
人工の音だということだけはわかる。
やがて、それがバイクの排気音だと気づいた。
きっと半月前ならすぐ気づけただろうが、ここ最近というもの、自動車もバイクもどんどん走っているものが減って、その走行音さえ聞きかないのがあたりまえになっていた。
そんなバイク。
それに乗った男が、こっちに向かってくる。
季節外れの海パン。
――あれは!?
旅の初日におれたちを襲おうとしたやつらのひとり。あのブロックで邪魔をしていたやつらだ。
「お兄さん!」
マナもさすがに気づいた。
まだ距離はある。
が。
さえぎる物もない海岸沿いの直線。
「マナ! とりあえず全力で走るぞ!」
おれの黒い自転車とマナの赤い自転車は、急激に迫ってくる海パンのバイクから逃げようとする。
やつはご丁寧に金属バット持参だった。それを振りかぶっている。すれ違いざまにでも一撃加えるつもりなんだろう。
「くっそ!」
どうする!? 海パン男のバイクが乗りいれられない浜辺におりるか。この堤防から飛び降りれば。だが、それでも逃げ切れるとは思えない。かといってこのまま自転車でバイクから逃げるなど……!!
「ヒャッホォォオオー!! おれが一番乗りだァアア!」
その声に背筋が凍る。
理由はふたつ。その声の近さと、一番乗りということは仲間が他にいるということ。
恐怖心から足が鈍り、うしろを振り返った。
それと、やつのにやけづらが間近に迫るのは同時だった。
「ヒャッハー!」
気持ちよさそうに奇声をあげて、おれの頭めがけてバットを思いきり振ってきた。
ごっ!
という鈍い音。
おれは思わずぐらりと揺れた。
痛みよりも、恐怖。
走行状態だったため、思いきりアスファルトに頭から突っこむ。
「がっ!」
頭、続けて背中としたたかに打つ。背中を打ったとき悲鳴ではなく、口から肺の空気が漏れた。ひたいが割れそうな痛みがすぐさま襲う。
おれの自転車が転がる音が派手に響いた。
「ちっ。あぶねえなー」
バイクのブレーキの音。
おれの自転車と体をさけるためだろう、バイクが止まる。
「マナ、逃げろおおおおおおお!!」
おれは視界が半分ふさがった状態で叫ぶ。落ちていた石が目に直撃したのか、それとも血が流れて目がふさがったのかはわからない。どちらにせよ、おれがいまマナにできるのは叫ぶことくらいだ。
「ひゃっ!?」
奇妙な声をあげて、海パン男はバイクにまたがったままマナを見た。
マナは、自転車を止めていた。
まずっ!
おれは自分の自転車のかごにあるピンクのランドセルにテツを入れていた。彼女の愛犬!
「まずい!」
マナは、もしかしたらここまで戻ってきてしまうかもしれない。
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