第6話
どれも似たような意味だが、彼女がそこまで念を押す気持ちはわかる。
死ぬ前にやりたいことを書きだしたら、たいていの人はノートがいっぱいになるくらい浮かんでくるだろう。
たとえば食べたい物。
もう二度と食べられないというのなら、最後にもう一度食べたい物がたくさん浮かぶことだろう。
仮に食べ物に興味がなくても、ゲームとかマンガとかアニメとか。
もっと一般的なものなら、会いたい人。いっしょに過ごしたい人。
けど。おれにはそんな物も人もない。
おれには好き嫌いというものがあまりなく、すべての食べ物は等しく好きで、等しく嫌いだ。さらにゲームもマンガもアニメもドラマも映画も、暇つぶし以上でも以下でもなく、入手困難となりつつあるいま、それを求めて町をさまようつもりもない。中にはそのために、暴徒の群れに突っこんでいった者もいたと噂を聞いたが。
「終末ということにこだわるからおかしいんだ」
おれは持論を語ることにした。
「おれは、これまでにもなにもなかった。無だ。……まあ生きるためにバイトをしていたが、それだってべつにしたくてやっていたわけじゃない。したくないという感情さえ浮かばなかったからしていたにすぎない」
おれの虚無的な言葉に、彼女は初めて震えた。ちょっとした恐怖を覚えたらしい。
「おれにも子供の頃には人並みになりたいもの、やりたいことがあったように思う」
「だったら――」
「けど。おれは失敗した。決定的に常に失敗した。
――〝なにをやっても達成できない〟。
それがおれなんだ。もしおれというものの魂になにか文字が刻みつけられているとしたら、まさにそれ。なにをやってもうまくいかない。達成できない。中途半端。やり遂げられない。成功しない」
いつのまにか入っていた肩の力を抜いて続ける。
「たとえばなんとなくだらだらと続けていたバイトにしても、もうビデオ店が壊滅的な打撃を受けて、続けることができなくなった」
「……もし」
少女はおずおずとスカートの上に行儀よく並べていた手の片方をあげた。
「もしよろしければ、わたし、そのビデオ店の売り子さんや客引きのようなお仕事をしてもいいですよ?」
「…………」
おれはため息を吐いた。
「危ない。危険だ。……というか、さっきもいったとおり、ビデオ店が壊滅的打撃を受けた。表現を変えるなら、ビデオ店だった場所が、一夜にして廃墟になったといった感じだ。もう貸すためのビデオもろくにない。あれはビデオ店とは呼ばない。ビデオ店跡にできたゴミ捨て場みたいなもんだ」
「……なるほど」
少女は神妙にうなずく。
「つまり、お兄さんは、わたしとこの部屋で残り二週間ほどをいっしょに過ごすということですか?」
「……まあ、それも悪くないな。どうせなにもすることはない。ある意味〝きみの依頼を達成する〟ということで、初めてなにかを、おれはやり遂げることができるかもしれない」
「あ! それは素敵な考え方ですね!」
彼女はなにがそんなに嬉しいのか、両手を打ちあわせてキャッキャッとひとりで笑っている。
*
それからおれと少女は、暇にまかせて語りあった。
おれの無目的ぶり。
彼女の父親がらみの話。
それら以外のことなら、本当にいろいろと話した。
「へー。お兄さんには、生き別れになったお姉さんがいるんですね。それにお母さんも。……そういえば少し前にちらりとそんなお話されてましたね」
「まあね。ほとんど覚えてないし、生き別れってほど仰々しい話じゃないさ」
「でもドラマチックですよー――あっ、ごめんなさい! ちゃかすつもりじゃなくて、本当に素敵な――ってこれも他人事みたいで」
マナはわたわたとあわてている。
この相澤マナという少女のことが、少しずつわかってきた。
第一印象や情報をまとめると、やっぱり彼女はどこぞのいいとこのお嬢様といったところなんだろう。父親は仕事が忙しくてろくに家にいないらしい。週に一度顔をあわせたら多いほうだという。彼女には家庭教師が三人もいたそうだ。勉強、行儀作法、ピアノでそれぞれひとりずつ。習い事までカウントすると相当数の先生がいたことになる。そんなところから彼女は、いまの外面をつくりあげていったらしい。
外面というと悪いいい方に聞こえるが、彼女にも年相応のところがあるとわかってきた。
おれはすっかりリラックスしてひじを枕にして、寝転がって話をしている。
ちなみに彼女は机をはさんだ向こう側で相変わらずちゃんと座っている。
お互いに会話が尽きない。
互いに、世界がこうなってしまったあと、こんなくだらない話をしたのはめずらしかったからだろう。ある意味、いまでは食べ物より貴重かも知れない。
「ただ、ちょっと思うな」
そんな気安さや、しゃべることの楽しさを感じていたためだろう、おれは口が軽くなっていた。
「思う? なにをですか?」
「母親に、産んでくれてありがとう、って伝えたいなって」
「…………はぁ」
彼女は、疑問形でもなく、うなずくでもなく、否定するでもなく、あいまいな顔で息を吐きだすようにした。
いまいち意味がわからないらしい。
「姉ちゃんにもさ、おれの姉でいてくれてありがとう、って伝えたいかなって」
「えっと……どういう意味ですか?」
死ぬ前にやりたいことを書きだしたら、たいていの人はノートがいっぱいになるくらい浮かんでくるだろう。
たとえば食べたい物。
もう二度と食べられないというのなら、最後にもう一度食べたい物がたくさん浮かぶことだろう。
仮に食べ物に興味がなくても、ゲームとかマンガとかアニメとか。
もっと一般的なものなら、会いたい人。いっしょに過ごしたい人。
けど。おれにはそんな物も人もない。
おれには好き嫌いというものがあまりなく、すべての食べ物は等しく好きで、等しく嫌いだ。さらにゲームもマンガもアニメもドラマも映画も、暇つぶし以上でも以下でもなく、入手困難となりつつあるいま、それを求めて町をさまようつもりもない。中にはそのために、暴徒の群れに突っこんでいった者もいたと噂を聞いたが。
「終末ということにこだわるからおかしいんだ」
おれは持論を語ることにした。
「おれは、これまでにもなにもなかった。無だ。……まあ生きるためにバイトをしていたが、それだってべつにしたくてやっていたわけじゃない。したくないという感情さえ浮かばなかったからしていたにすぎない」
おれの虚無的な言葉に、彼女は初めて震えた。ちょっとした恐怖を覚えたらしい。
「おれにも子供の頃には人並みになりたいもの、やりたいことがあったように思う」
「だったら――」
「けど。おれは失敗した。決定的に常に失敗した。
――〝なにをやっても達成できない〟。
それがおれなんだ。もしおれというものの魂になにか文字が刻みつけられているとしたら、まさにそれ。なにをやってもうまくいかない。達成できない。中途半端。やり遂げられない。成功しない」
いつのまにか入っていた肩の力を抜いて続ける。
「たとえばなんとなくだらだらと続けていたバイトにしても、もうビデオ店が壊滅的な打撃を受けて、続けることができなくなった」
「……もし」
少女はおずおずとスカートの上に行儀よく並べていた手の片方をあげた。
「もしよろしければ、わたし、そのビデオ店の売り子さんや客引きのようなお仕事をしてもいいですよ?」
「…………」
おれはため息を吐いた。
「危ない。危険だ。……というか、さっきもいったとおり、ビデオ店が壊滅的打撃を受けた。表現を変えるなら、ビデオ店だった場所が、一夜にして廃墟になったといった感じだ。もう貸すためのビデオもろくにない。あれはビデオ店とは呼ばない。ビデオ店跡にできたゴミ捨て場みたいなもんだ」
「……なるほど」
少女は神妙にうなずく。
「つまり、お兄さんは、わたしとこの部屋で残り二週間ほどをいっしょに過ごすということですか?」
「……まあ、それも悪くないな。どうせなにもすることはない。ある意味〝きみの依頼を達成する〟ということで、初めてなにかを、おれはやり遂げることができるかもしれない」
「あ! それは素敵な考え方ですね!」
彼女はなにがそんなに嬉しいのか、両手を打ちあわせてキャッキャッとひとりで笑っている。
*
それからおれと少女は、暇にまかせて語りあった。
おれの無目的ぶり。
彼女の父親がらみの話。
それら以外のことなら、本当にいろいろと話した。
「へー。お兄さんには、生き別れになったお姉さんがいるんですね。それにお母さんも。……そういえば少し前にちらりとそんなお話されてましたね」
「まあね。ほとんど覚えてないし、生き別れってほど仰々しい話じゃないさ」
「でもドラマチックですよー――あっ、ごめんなさい! ちゃかすつもりじゃなくて、本当に素敵な――ってこれも他人事みたいで」
マナはわたわたとあわてている。
この相澤マナという少女のことが、少しずつわかってきた。
第一印象や情報をまとめると、やっぱり彼女はどこぞのいいとこのお嬢様といったところなんだろう。父親は仕事が忙しくてろくに家にいないらしい。週に一度顔をあわせたら多いほうだという。彼女には家庭教師が三人もいたそうだ。勉強、行儀作法、ピアノでそれぞれひとりずつ。習い事までカウントすると相当数の先生がいたことになる。そんなところから彼女は、いまの外面をつくりあげていったらしい。
外面というと悪いいい方に聞こえるが、彼女にも年相応のところがあるとわかってきた。
おれはすっかりリラックスしてひじを枕にして、寝転がって話をしている。
ちなみに彼女は机をはさんだ向こう側で相変わらずちゃんと座っている。
お互いに会話が尽きない。
互いに、世界がこうなってしまったあと、こんなくだらない話をしたのはめずらしかったからだろう。ある意味、いまでは食べ物より貴重かも知れない。
「ただ、ちょっと思うな」
そんな気安さや、しゃべることの楽しさを感じていたためだろう、おれは口が軽くなっていた。
「思う? なにをですか?」
「母親に、産んでくれてありがとう、って伝えたいなって」
「…………はぁ」
彼女は、疑問形でもなく、うなずくでもなく、否定するでもなく、あいまいな顔で息を吐きだすようにした。
いまいち意味がわからないらしい。
「姉ちゃんにもさ、おれの姉でいてくれてありがとう、って伝えたいかなって」
「えっと……どういう意味ですか?」
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