第4話
「カヤ?」
ローレンツ二世が言った。カヤは我知らず父の上に身を投げ出すようにしていたのだ。カヤは無意識のうちに、風の打擲から父を守ろうとしていた。
けれど、彼女が想像したような風による攻撃はなかった。ただ赤いボールが赤い花びらに変わっただけだ。
「どうしたの? カヤ?」
王妃は驚いた。アンネローゼとヒルデも驚いている。
「こわかったの? こわかったの?」
シャルロットが心配して声をかけてくれた。
「ごめんなさい」
カヤはみんなに謝り、シャルロットにちょっと微笑んだ。続けて何か上手い言い訳を言おうと口を開いた。
だが、シャルロットの巻き毛についた赤い花びらを見て、絶句した。
赤い花びらはカヤの想像通り《風(ヴィント)》によって、薄くスライスされた赤いボール。
想像を超えていたのは、その鋭利な切り口。そして、花びらの数。まして一瞬で行ったとなると、ピエロの力は信じられないほど高い。伝説の竜使いの巫女のように。
「ええ……」カヤは、シャルロットの問いかけに呟いた。
アンネローゼはため息を吐いた。
「いい? カヤ。……あなたはこの由緒正しきエーヴィヒ王国の王女よ。この国は邪悪な蛮族や小汚い流浪の民を追い払って、やっとつくられた清潔で神聖で平和な国なの。……あなたに私やヒルデやお父様のように、武勇にも優れろとは言いません。けど、せめてもう少ししゃんとなさい! しゃんと!」
腹立たしげにそう言うアンネローゼを、ヒルデも王妃も、国王さえも止めなかった。
カヤはもう一度謝った。けど、心ここにあらずという状態だ。
《風(ヴィント)》……単純といえば単純だけど、とカヤは思った。だからこそ、あれほど自在に使いこなすのは難しい……まだ《暴風(シュトゥルムヴィント)》を適当に放つ方がよほど簡単だろう。
乱世では曲芸や舞に乗せて暗殺を謀ることがあった。また弾圧された民が、歌や踊りの振りをして、武術や力を磨いた例もある。
ピエロの去った後、ナイフ投げのアッフェと名乗った異様に手の長い小男と、バニーガールの衣装を着た美女が現れた。
ナイフ投げが始まった。壁際に立たせている美女に向かって、小男はナイフを投げる。
ただ投げるだけだが、その投げ方が凄い。
早いし、無造作――そう見える投げ方をしている。
バニーガールに背を向けたまま手だけをしならせるように投げる。歩きながら投げる。走りながら投げる。その間、ろくすっぽバニーガールの位置を確認しないのだ。
そしてバニーガールはときおりいたずらっぽい目を観客席に向けて、片手をあげてみせたり、片足をあげてみせたり、顔を動かしてみせたりした。
音楽に合わせて、くねくねと踊っているバニーガール。その彼女に、紙一重でナイフを刺さらないように投げる小男。
音楽に合わせているんだわ。
カヤはそう思った。
一種の踊りのようにして。バニーガールの動きも脚本通りなのだろう。観客にはバニーガールが気まぐれで片手をあげたり、体をずらしたりしているように見えるが。
けど、ピエロのナイフの腕は本物だった。早いし、どのような体勢からでも寸分違わず狙い通りに投げている。
次に人体切断マジックが始まった。
鏡を使ったトリックだろう、とカヤは思った。
棺のような箱に入れられたバニーガールに向かって、ギロチンのような大きな刃を押し込んでいく。シャルロットは、一つ刃が棺に押し込められるたびに悲鳴を上げているが、アンネローゼは「ふん。子供騙しね」と呟いていた。その割にはほんのりと頬が染まっている。
さらに、バニーガールを使った瞬間移動の芸。
この方法はカヤには分からなかった。
疑問に思っていると、クスクスとすぐ近くで笑声がした。
アンネローゼとヒルデだ。
「ね。あんなので騙せると思っているのかしら」
「そうそう。……ほら、仕草がちょっと違うわ」
言われてカヤは気づいた。
瞬間移動したのではない。ただ同じバニーガールの格好をした双子を使っただけなのだ。
王妃は苦笑して、ふたりの娘に言った。
「ああいうイタズラは、あなた達の独壇場でしたものね」
そう言われて、アンネローゼはちょっと憤然とした様子で言った。
「そんなことありませんわ、お母様」
ヒルデはただくすくす笑っている。
「入れ替わりなんて最近はしていません」
舞台はちょうどショーが変わる時間で、そのため会話が始まっている。
「そうだな、最近はな」
と、ローレンツ二世が言うと、アンネローゼは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「でも、お父様の見分け方はお見事でしたわ」
ヒルデが感心したように言った。
「私は血の気が引きましたよ」王妃が言った。「いきなり剣と槍を持ってこいだなんておっしゃるんですから」
カヤはその話を初めて聞いた。なんでも入れ替わりを見破るために、ローレンツ二世は、アンネローゼとヒルデに、剣と槍をそれぞれ手に取らせて、演武を行わせたらしい。
ローレンツ二世が言った。カヤは我知らず父の上に身を投げ出すようにしていたのだ。カヤは無意識のうちに、風の打擲から父を守ろうとしていた。
けれど、彼女が想像したような風による攻撃はなかった。ただ赤いボールが赤い花びらに変わっただけだ。
「どうしたの? カヤ?」
王妃は驚いた。アンネローゼとヒルデも驚いている。
「こわかったの? こわかったの?」
シャルロットが心配して声をかけてくれた。
「ごめんなさい」
カヤはみんなに謝り、シャルロットにちょっと微笑んだ。続けて何か上手い言い訳を言おうと口を開いた。
だが、シャルロットの巻き毛についた赤い花びらを見て、絶句した。
赤い花びらはカヤの想像通り《風(ヴィント)》によって、薄くスライスされた赤いボール。
想像を超えていたのは、その鋭利な切り口。そして、花びらの数。まして一瞬で行ったとなると、ピエロの力は信じられないほど高い。伝説の竜使いの巫女のように。
「ええ……」カヤは、シャルロットの問いかけに呟いた。
アンネローゼはため息を吐いた。
「いい? カヤ。……あなたはこの由緒正しきエーヴィヒ王国の王女よ。この国は邪悪な蛮族や小汚い流浪の民を追い払って、やっとつくられた清潔で神聖で平和な国なの。……あなたに私やヒルデやお父様のように、武勇にも優れろとは言いません。けど、せめてもう少ししゃんとなさい! しゃんと!」
腹立たしげにそう言うアンネローゼを、ヒルデも王妃も、国王さえも止めなかった。
カヤはもう一度謝った。けど、心ここにあらずという状態だ。
《風(ヴィント)》……単純といえば単純だけど、とカヤは思った。だからこそ、あれほど自在に使いこなすのは難しい……まだ《暴風(シュトゥルムヴィント)》を適当に放つ方がよほど簡単だろう。
乱世では曲芸や舞に乗せて暗殺を謀ることがあった。また弾圧された民が、歌や踊りの振りをして、武術や力を磨いた例もある。
ピエロの去った後、ナイフ投げのアッフェと名乗った異様に手の長い小男と、バニーガールの衣装を着た美女が現れた。
ナイフ投げが始まった。壁際に立たせている美女に向かって、小男はナイフを投げる。
ただ投げるだけだが、その投げ方が凄い。
早いし、無造作――そう見える投げ方をしている。
バニーガールに背を向けたまま手だけをしならせるように投げる。歩きながら投げる。走りながら投げる。その間、ろくすっぽバニーガールの位置を確認しないのだ。
そしてバニーガールはときおりいたずらっぽい目を観客席に向けて、片手をあげてみせたり、片足をあげてみせたり、顔を動かしてみせたりした。
音楽に合わせて、くねくねと踊っているバニーガール。その彼女に、紙一重でナイフを刺さらないように投げる小男。
音楽に合わせているんだわ。
カヤはそう思った。
一種の踊りのようにして。バニーガールの動きも脚本通りなのだろう。観客にはバニーガールが気まぐれで片手をあげたり、体をずらしたりしているように見えるが。
けど、ピエロのナイフの腕は本物だった。早いし、どのような体勢からでも寸分違わず狙い通りに投げている。
次に人体切断マジックが始まった。
鏡を使ったトリックだろう、とカヤは思った。
棺のような箱に入れられたバニーガールに向かって、ギロチンのような大きな刃を押し込んでいく。シャルロットは、一つ刃が棺に押し込められるたびに悲鳴を上げているが、アンネローゼは「ふん。子供騙しね」と呟いていた。その割にはほんのりと頬が染まっている。
さらに、バニーガールを使った瞬間移動の芸。
この方法はカヤには分からなかった。
疑問に思っていると、クスクスとすぐ近くで笑声がした。
アンネローゼとヒルデだ。
「ね。あんなので騙せると思っているのかしら」
「そうそう。……ほら、仕草がちょっと違うわ」
言われてカヤは気づいた。
瞬間移動したのではない。ただ同じバニーガールの格好をした双子を使っただけなのだ。
王妃は苦笑して、ふたりの娘に言った。
「ああいうイタズラは、あなた達の独壇場でしたものね」
そう言われて、アンネローゼはちょっと憤然とした様子で言った。
「そんなことありませんわ、お母様」
ヒルデはただくすくす笑っている。
「入れ替わりなんて最近はしていません」
舞台はちょうどショーが変わる時間で、そのため会話が始まっている。
「そうだな、最近はな」
と、ローレンツ二世が言うと、アンネローゼは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「でも、お父様の見分け方はお見事でしたわ」
ヒルデが感心したように言った。
「私は血の気が引きましたよ」王妃が言った。「いきなり剣と槍を持ってこいだなんておっしゃるんですから」
カヤはその話を初めて聞いた。なんでも入れ替わりを見破るために、ローレンツ二世は、アンネローゼとヒルデに、剣と槍をそれぞれ手に取らせて、演武を行わせたらしい。
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