第10話
「あん? やめたまえ?」
男たちが凶悪な表情で睨みつけると、サンタはその視線を避けるように、さっと目を斜め下にそらした。
「……や、やめたほうが……いいじゃないかなあ……できれば……あっ、ここの商品ちょっと足りないな、奥から在庫持って来なきゃ……」
どうやらすぐそばの店の店員だったらしく、去っていった。
「なにアレ? ウケる。やめたほうがいいなじゃないかなーだってさ」
「ウケるウケる!」
寿美花は、ぐったりとして腕から力を抜いた。
(クリスマスなのになんて日なの……サンタにも見捨てられちゃうし……)
老人ホームは大ピンチで、こうして買い物に来ても踏んだり蹴ったりだ。
思わず目尻に涙が浮かぶ。あと、数秒すれば冷たい頬を熱い雫が流れたことだろう。
その時――
からん、ころん。
そんな妙な音が聞こえてきた。
思わず視線を向けると、変わった格好をした同い年くらいの少年が、こちらに向かってゆっくりと歩いてきていた。白い柔道着と黒い袴という寒そうな格好なのに、平然としているところを見ると相当体が強いらしい。
上下共にぼろぼろで、そのうえ袴には茶色い染みができて汚れている。
聞き慣れない音は、下駄の音であった。よく見れば、普通の下駄より高く、歯が一本しかない。
だが、まったく不安定な様子はなくて、まっすぐに歩いてくる。
明らかにこちらに近づいて来ていた。
襲われている少女と、暴漢たちというわかりやすい構図に割って入った日向直次は、ひとつため息を吐いた。クリスマスなのに彼女がいないやけっぱちの男ふたりに、少女が絡まれているという状況だ。
馬鹿馬鹿しい。男たちは直次を睨んでくるものの、明らかに何か格闘技をやっていそうなこっちを見てすでに腰が引けている。
「嫌がってるじゃないか。手を放せ」
「あん? てめえにはカンケーねーだろっ! やるってんなら相手になるぜぇ?」
「後悔することになるぞ?」
直次がそう言うと、男たちが唾を飲みこむのがわかった。直次がゆっくりと袴の裾をめくって軽く持ち上げる。そこには真新しい茶色い染みがあった。
「犬の糞があった水たまりで、この袴はびっしょりと濡れているぞ。この糞まみれの足で蹴りを受けたくなければ、去れ」
確かに袴が糞のような色で汚れているのを見て、男たちの顔に嫌悪が浮かぶ。
直次は回し蹴りをして、ピッと、汚れた水を男たちの顔に飛ばした。男たちの表情が固まった。一瞬後、男たちは絶叫した。
「うげええ、きたねええ! おむつなんかと比較にならねえくらい、きたねええっ!」
「俺潔癖症なのにー!」
男たちは少女の手を放し、一目散に逃げていった。きっと帰ってシャワーでも浴びるのだろう。一件落着だ。
ジャージ姿の少女は、まだしばらく茫然としていた。こうもあっさりと助けられて、あっけに取られているらしい。もしくは、その助けられ方が予想外すぎたのか。
「……あ、ありがとう?」
なぜか疑問形で、少女は感謝の言葉を述べた。そして、すぐさま手を前に突き出した。
「あっ。でも近づかないでね」
直次はさすがに少しショックだった。それが表情に出ていたらしく、少女は慌てた。
「ありがとう。本当に助かったわ」
今度はちゃんとお礼を言った。
「いや、別にたいしたことじゃない」
会話が途切れ、なんとなくふたりは下を向くと、レジ袋が落ちたままになっていることに気づいた。
「あっ」
少女が拾いはじめたので、直次も手伝った。だが、レジ袋がおむつでいっぱいなのに気づいて、直次は手を止めた。
それに気づいた少女が急に赤くなり、まるで言い訳するようにまくし立てた。
「こ、これは違うのっ! 全部うちの施設にいるおじいちゃんやおばあちゃんの物だから――だから、別に私が使うんじゃ……っ!」
「それは、まあ、わかるよ……こんなにたくさんあるし、きみが使う物じゃないってことくらい」
「そ……そうよね。……なんでわたし、こんなに慌てたんだろう?」
まだ恥じらうように頬を赤らめている少女は、首を傾げている。同級生などに冷やかされても受け流せたのに、と不思議がった。
拾い終えたレジ袋を、少女は持った。
「ところで、変わった格好をして、こんなところで何をしていたの?」
「えっ……まあ、ランニングかな……。ちょっと休憩してたけど。それと、これは古武術の稽古衣なんだ」
直次は軽く腕を上げて、柔道着の脇の辺りを摘んで見せた。そこには汗の跡――に見せかけた水がつけられている。
「へえー古武術……ん? ――ッ! 隠れてっ!」
少女はいきなり直次の手を引っ張って、建物の陰に隠れようとした。
「えっ……おいっ!」
手を引かれるままに、直次は狭い路地に入り込んだ。路地というよりも、建物と建物の間にたまたま空いたスペースと言ったほうが正解だろう。
もしかして、さっきの連中が仲間を大勢連れて戻ってきたのか? そんな想像が直次の脳裏をかすめた。
だが、そんな思考はすぐさま消し飛んだ。思わず飛びこんだ建物の隙間は想像以上に狭く、ぎゅうと、少女の柔らかな体が押しつけられてくる。大量のおむつの入ったレジ袋が邪魔で、向かい合うように密着したまま、直次は身動きできない。少女の吐息が鼻先をかすめ、直次の顔は赤くなった。
男たちが凶悪な表情で睨みつけると、サンタはその視線を避けるように、さっと目を斜め下にそらした。
「……や、やめたほうが……いいじゃないかなあ……できれば……あっ、ここの商品ちょっと足りないな、奥から在庫持って来なきゃ……」
どうやらすぐそばの店の店員だったらしく、去っていった。
「なにアレ? ウケる。やめたほうがいいなじゃないかなーだってさ」
「ウケるウケる!」
寿美花は、ぐったりとして腕から力を抜いた。
(クリスマスなのになんて日なの……サンタにも見捨てられちゃうし……)
老人ホームは大ピンチで、こうして買い物に来ても踏んだり蹴ったりだ。
思わず目尻に涙が浮かぶ。あと、数秒すれば冷たい頬を熱い雫が流れたことだろう。
その時――
からん、ころん。
そんな妙な音が聞こえてきた。
思わず視線を向けると、変わった格好をした同い年くらいの少年が、こちらに向かってゆっくりと歩いてきていた。白い柔道着と黒い袴という寒そうな格好なのに、平然としているところを見ると相当体が強いらしい。
上下共にぼろぼろで、そのうえ袴には茶色い染みができて汚れている。
聞き慣れない音は、下駄の音であった。よく見れば、普通の下駄より高く、歯が一本しかない。
だが、まったく不安定な様子はなくて、まっすぐに歩いてくる。
明らかにこちらに近づいて来ていた。
襲われている少女と、暴漢たちというわかりやすい構図に割って入った日向直次は、ひとつため息を吐いた。クリスマスなのに彼女がいないやけっぱちの男ふたりに、少女が絡まれているという状況だ。
馬鹿馬鹿しい。男たちは直次を睨んでくるものの、明らかに何か格闘技をやっていそうなこっちを見てすでに腰が引けている。
「嫌がってるじゃないか。手を放せ」
「あん? てめえにはカンケーねーだろっ! やるってんなら相手になるぜぇ?」
「後悔することになるぞ?」
直次がそう言うと、男たちが唾を飲みこむのがわかった。直次がゆっくりと袴の裾をめくって軽く持ち上げる。そこには真新しい茶色い染みがあった。
「犬の糞があった水たまりで、この袴はびっしょりと濡れているぞ。この糞まみれの足で蹴りを受けたくなければ、去れ」
確かに袴が糞のような色で汚れているのを見て、男たちの顔に嫌悪が浮かぶ。
直次は回し蹴りをして、ピッと、汚れた水を男たちの顔に飛ばした。男たちの表情が固まった。一瞬後、男たちは絶叫した。
「うげええ、きたねええ! おむつなんかと比較にならねえくらい、きたねええっ!」
「俺潔癖症なのにー!」
男たちは少女の手を放し、一目散に逃げていった。きっと帰ってシャワーでも浴びるのだろう。一件落着だ。
ジャージ姿の少女は、まだしばらく茫然としていた。こうもあっさりと助けられて、あっけに取られているらしい。もしくは、その助けられ方が予想外すぎたのか。
「……あ、ありがとう?」
なぜか疑問形で、少女は感謝の言葉を述べた。そして、すぐさま手を前に突き出した。
「あっ。でも近づかないでね」
直次はさすがに少しショックだった。それが表情に出ていたらしく、少女は慌てた。
「ありがとう。本当に助かったわ」
今度はちゃんとお礼を言った。
「いや、別にたいしたことじゃない」
会話が途切れ、なんとなくふたりは下を向くと、レジ袋が落ちたままになっていることに気づいた。
「あっ」
少女が拾いはじめたので、直次も手伝った。だが、レジ袋がおむつでいっぱいなのに気づいて、直次は手を止めた。
それに気づいた少女が急に赤くなり、まるで言い訳するようにまくし立てた。
「こ、これは違うのっ! 全部うちの施設にいるおじいちゃんやおばあちゃんの物だから――だから、別に私が使うんじゃ……っ!」
「それは、まあ、わかるよ……こんなにたくさんあるし、きみが使う物じゃないってことくらい」
「そ……そうよね。……なんでわたし、こんなに慌てたんだろう?」
まだ恥じらうように頬を赤らめている少女は、首を傾げている。同級生などに冷やかされても受け流せたのに、と不思議がった。
拾い終えたレジ袋を、少女は持った。
「ところで、変わった格好をして、こんなところで何をしていたの?」
「えっ……まあ、ランニングかな……。ちょっと休憩してたけど。それと、これは古武術の稽古衣なんだ」
直次は軽く腕を上げて、柔道着の脇の辺りを摘んで見せた。そこには汗の跡――に見せかけた水がつけられている。
「へえー古武術……ん? ――ッ! 隠れてっ!」
少女はいきなり直次の手を引っ張って、建物の陰に隠れようとした。
「えっ……おいっ!」
手を引かれるままに、直次は狭い路地に入り込んだ。路地というよりも、建物と建物の間にたまたま空いたスペースと言ったほうが正解だろう。
もしかして、さっきの連中が仲間を大勢連れて戻ってきたのか? そんな想像が直次の脳裏をかすめた。
だが、そんな思考はすぐさま消し飛んだ。思わず飛びこんだ建物の隙間は想像以上に狭く、ぎゅうと、少女の柔らかな体が押しつけられてくる。大量のおむつの入ったレジ袋が邪魔で、向かい合うように密着したまま、直次は身動きできない。少女の吐息が鼻先をかすめ、直次の顔は赤くなった。
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