第7話
《どこか行くの?》
今回の戦の最大の功労者スイにむかって、ナハトはつっけんどんに応じた。
《どこでもいいだろ……》
《そうはいかない》
とスイは答えて、ナハトの前にあらわれた。
それを見て、ナハトはぎょっとした。
スイの隠れていた場所がさっきザッパーたちが逃走した方向と同じだったのだ。
《お、おい……まさか…………》
またもやイヤな予感が的中しそうで、ナハトは口ごもった。
あっさりとスイが言った。
《うん。実は見られた。……おっきな獅子さんに》
《――――ッッ!》
ナハトはもう何もいう気力も失ったのか、いきなりぐったりと倒れて、そのまま丸くなって寝てしまった。
今回の戦の最大の功労者であるスイも夜中に起こされてしかも疲れ切っていたので、ナハトのお腹を枕にして、眠りだした。
《俺様はベッドでも枕でもないぞ》
《知ってる》
スイはまぶたを閉じた。寝息を立てるほんの少し前に、つぶやくように言った。
《だって親友だもん》
《…………》
スイが寝たのをナハトは確認すると、ふん、と面白くなさそうに鼻をならしてから、自分のしっぽをスイの上にふとんをかけるように置いてやった。
とりあえずザッパーとその一味を捕まえるまで、スイを守ることに決めた。姫君を守る忠実な騎士のように。
ナハトが眠りに落ちる前に見たのは、なぜか数年前に出会ったあの少年の顔だった。活動的な黒い瞳が印象的な少年。その顔がふいにスイの顔に変わった。笑顔をうかべている。
目を閉じたまま、ふん、と面白くなさそうに鼻を鳴らした。ニッと、その口元に笑みが浮かんだ。人間が見たら驚いて腰を抜かす笑顔。しかし、ナハトは驚かない相手をみつけた。夢の中で、悪くない気分だ、とごくごくひかえめな感想をつぶやいた。
こうして聖王グリムナードと魔王ファランクスの戦いにもなかった特殊な戦いの戦端が開いた。一方は、ナハトとスイ。魔物と人間のコンビという、これまでになかったもの。ナハトの追う敵と敵が生み出したある物をめぐる戦い。その戦端がこんな辺鄙な場所で開かれたということは後世の優秀な歴史家たちでさえ知る由もないことだろう。この戦いがどれほど広がるか、それともほとんど未然に食い止めることができるのか。それはナハトとスイ次第であった。
聖歴一九二年、四月――。やっと花々が咲き誇りだした大地でまた戦乱の兆しが見え始めていた。
早朝。パルスの森。
朝日が空を染め上げ、森の中もうっすらと明るさを増す。弱い日差しに照らし出される巨大な爪痕、深々と突き刺さった数え切れないほどの矢。昨夜の戦いの激しさが窺えた。
そんな森の中でふいに、くしゅん、と可愛らしい声がした。
声の主は、巨大な黒い狼を枕に、その狼の大きなしっぽを布団代わりに眠っている。まだ四月になったばかりで、朝はとくに寒い。ナハトを背中にして寝ているスイは、眠りながら無意識のうちにナハトのしっぽをぎゅっと抱きしめた。
ナハトはもうだいぶ前に目を覚ましていた。寝ているスイを起こさないようにじっとしている。傷はもうない。回復した魔力で癒したのだ。
自分ももう一眠りするかと思ったが、ふいに、きゃん、と可愛らしい悲鳴をあげた。
スイが寝惚けてナハトのしっぽに噛みついたのだ。
ふとん代わりはともかく朝食がわりにされてはたまらない。
ナハトは無造作に立ち上がった。
いきなり枕をひっこぬかれたようなスイは、勢いよく地面に頭をぶつけた。
スイは茶色がかった黒髪の下にこぶができていないか確かめるようになでた。黒目がちな瞳でナハトを見る。
《こら。痛いじゃない》
スイは口を動かしていない。テレパシーのように会話していた。これができる人間を《ウィス》と人々は呼び、忌み嫌っていた。しかし、魔物たちにとってみれば《ウィス》のように会話するのが当たり前。ナハトも口を閉じたまま無造作に答える。
《そりゃあ、こっちのセリフだ!》
憮然とした調子でナハトがそう言うと、スイは意味がわからずきょとんとした。それから舌に絡まった黒い毛を指でつまんで取り除いた。けっこうな本数だ。
スイは唾液に濡れた黒い毛をふしぎそうに眺めている。
スイは茶色がかった毛をしている。
ナハトは黒い毛をしている。
ナハトはしばらくじっとりとスイを紅玉色の瞳でみつめていた。
真相に気づいたスイはナハトに謝った。
《気にするな。育ち盛りのガキは大食らいと決まっているからな》
ガキ、という言葉にスイは多少カチンときたが、さすがにさっきのは自分が悪かったので殊勝にしている。それでも一応十五なのだから、ガキ呼ばわりされるのは気になる。
《ガキじゃありません》
子供のように頬を膨らませて反論するスイ。
それを見て、ナハトはあきれたように言う。
《そういうところがガキなんだ》
とにべもない。
《ところで、近くに泉があるといったな?》
《うん。この前くんできた水もそこから。すぐ近くだよ》
今回の戦の最大の功労者スイにむかって、ナハトはつっけんどんに応じた。
《どこでもいいだろ……》
《そうはいかない》
とスイは答えて、ナハトの前にあらわれた。
それを見て、ナハトはぎょっとした。
スイの隠れていた場所がさっきザッパーたちが逃走した方向と同じだったのだ。
《お、おい……まさか…………》
またもやイヤな予感が的中しそうで、ナハトは口ごもった。
あっさりとスイが言った。
《うん。実は見られた。……おっきな獅子さんに》
《――――ッッ!》
ナハトはもう何もいう気力も失ったのか、いきなりぐったりと倒れて、そのまま丸くなって寝てしまった。
今回の戦の最大の功労者であるスイも夜中に起こされてしかも疲れ切っていたので、ナハトのお腹を枕にして、眠りだした。
《俺様はベッドでも枕でもないぞ》
《知ってる》
スイはまぶたを閉じた。寝息を立てるほんの少し前に、つぶやくように言った。
《だって親友だもん》
《…………》
スイが寝たのをナハトは確認すると、ふん、と面白くなさそうに鼻をならしてから、自分のしっぽをスイの上にふとんをかけるように置いてやった。
とりあえずザッパーとその一味を捕まえるまで、スイを守ることに決めた。姫君を守る忠実な騎士のように。
ナハトが眠りに落ちる前に見たのは、なぜか数年前に出会ったあの少年の顔だった。活動的な黒い瞳が印象的な少年。その顔がふいにスイの顔に変わった。笑顔をうかべている。
目を閉じたまま、ふん、と面白くなさそうに鼻を鳴らした。ニッと、その口元に笑みが浮かんだ。人間が見たら驚いて腰を抜かす笑顔。しかし、ナハトは驚かない相手をみつけた。夢の中で、悪くない気分だ、とごくごくひかえめな感想をつぶやいた。
こうして聖王グリムナードと魔王ファランクスの戦いにもなかった特殊な戦いの戦端が開いた。一方は、ナハトとスイ。魔物と人間のコンビという、これまでになかったもの。ナハトの追う敵と敵が生み出したある物をめぐる戦い。その戦端がこんな辺鄙な場所で開かれたということは後世の優秀な歴史家たちでさえ知る由もないことだろう。この戦いがどれほど広がるか、それともほとんど未然に食い止めることができるのか。それはナハトとスイ次第であった。
聖歴一九二年、四月――。やっと花々が咲き誇りだした大地でまた戦乱の兆しが見え始めていた。
早朝。パルスの森。
朝日が空を染め上げ、森の中もうっすらと明るさを増す。弱い日差しに照らし出される巨大な爪痕、深々と突き刺さった数え切れないほどの矢。昨夜の戦いの激しさが窺えた。
そんな森の中でふいに、くしゅん、と可愛らしい声がした。
声の主は、巨大な黒い狼を枕に、その狼の大きなしっぽを布団代わりに眠っている。まだ四月になったばかりで、朝はとくに寒い。ナハトを背中にして寝ているスイは、眠りながら無意識のうちにナハトのしっぽをぎゅっと抱きしめた。
ナハトはもうだいぶ前に目を覚ましていた。寝ているスイを起こさないようにじっとしている。傷はもうない。回復した魔力で癒したのだ。
自分ももう一眠りするかと思ったが、ふいに、きゃん、と可愛らしい悲鳴をあげた。
スイが寝惚けてナハトのしっぽに噛みついたのだ。
ふとん代わりはともかく朝食がわりにされてはたまらない。
ナハトは無造作に立ち上がった。
いきなり枕をひっこぬかれたようなスイは、勢いよく地面に頭をぶつけた。
スイは茶色がかった黒髪の下にこぶができていないか確かめるようになでた。黒目がちな瞳でナハトを見る。
《こら。痛いじゃない》
スイは口を動かしていない。テレパシーのように会話していた。これができる人間を《ウィス》と人々は呼び、忌み嫌っていた。しかし、魔物たちにとってみれば《ウィス》のように会話するのが当たり前。ナハトも口を閉じたまま無造作に答える。
《そりゃあ、こっちのセリフだ!》
憮然とした調子でナハトがそう言うと、スイは意味がわからずきょとんとした。それから舌に絡まった黒い毛を指でつまんで取り除いた。けっこうな本数だ。
スイは唾液に濡れた黒い毛をふしぎそうに眺めている。
スイは茶色がかった毛をしている。
ナハトは黒い毛をしている。
ナハトはしばらくじっとりとスイを紅玉色の瞳でみつめていた。
真相に気づいたスイはナハトに謝った。
《気にするな。育ち盛りのガキは大食らいと決まっているからな》
ガキ、という言葉にスイは多少カチンときたが、さすがにさっきのは自分が悪かったので殊勝にしている。それでも一応十五なのだから、ガキ呼ばわりされるのは気になる。
《ガキじゃありません》
子供のように頬を膨らませて反論するスイ。
それを見て、ナハトはあきれたように言う。
《そういうところがガキなんだ》
とにべもない。
《ところで、近くに泉があるといったな?》
《うん。この前くんできた水もそこから。すぐ近くだよ》
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