入学編6
兄ほどではないにせよ、深雪の起床も十分に早い。普通の学生ならまだ夢の中にいる時間にはすでに、朝稽古から帰ってくる兄のために朝食の準備をしている。
帰ってきた達也を昭和の新妻のようにうやうやしく出迎えて、司波家の朝の団らんが始まる。とはいえ兄の方に、栄養補給の途中で話をするような遊びは無く。妹は妹で、兄が黙々と食べているのを遮るような真似はしない。従って穏やかな暁光の下で、小鳥の歌が聞こえるような静かな食事が続くことになる。
それでも、その空間に無機質な冷たさを感じるような者はいないだろう。深雪はこれ以上なく幸せそうに顔をほころばせていたし、鉄面皮の達也でさえ、どこか穏やかに笑んでいるような陰影を作っていた。
食事が終われば通学の時間である。AIに管理された鉄道網が無数の車両を同時管制する時代であるから、電車に乗り遅れるということは無い。それでもかなりの余裕をもって行動するのは、入学してすぐだから、というよりは、二人とも真面目であるからだろう。十代にしては異常なまでに。
そんなわけで悠々と高校前の駅に到着した二人だが、歩いているうちに次々と声を掛けられる。美月、エリカ、レオ。すでに数年来の付き合いのように並んでくる友人たちと談笑しながら歩いていく。
その横を小柄な人影がすり抜けていった。脚はすらりとしているが、それでも身長相応のもの。スピードは大股の足運びと、上下動のない高効率の回転から生じている。夜科紫は行進する軍人のように校門へと歩き去っていった。
「はええな。よっぽど体幹鍛えないと無理だろあの動き」
「両のつま先がほぼ一直線になる歩法ね。自然に身につくものじゃないわね」
レオが素直に感心すれば、エリカが剣士らしい目の付け所で分析を始める。
知れば知るほど、むしろ謎めいた部分が大きくなる娘だった。魔法科高校は魔法師を育てるという単一の目的のため設立された機関であるから、名前や日常でのしぐさなどから、ある程度の背景は読み取れる。
例えばレオなら名前から魔法師の国際結婚ということ、更には何らかの国家の意志が働いた結果生まれたと分かる。美月なら眼鏡という外見の特徴でその特異な体質を予想できる。
紫にはそれがない。非常に洗練された技能を持っているとはすぐ分かるが、その先からが見当もつかないのだ。著名な魔法師の家系に夜科という氏があるとは聞かない。誰かに師事している様子も見えない。隠されているのでなく、大きな断絶があるような手触りだった。
「声をかけるか」
「ええ~、いま?」
「可能ならいつでもいいはずだ」
エリカの気の進まなさそうな声は、友人一同の心中を代弁していた。なにしろ夜科紫の登校風景は、春ののほほんとした景観にそぐわない峻烈なもの。脇にいる人込みになど一瞥さえくれず、肩で風を切り一個の機械に徹する。朝早くから声をかけるのははばかられる気配だ。
だが達也にとって相手の気分や都合は大した問題ではない。いや、相手を不快にさせたことで起こる自身への不利益すらも二の次のことである。
彼にとって唯一絶対に守らねばならないのは、妹・司波深雪の安全であり、極論それ以外の全ては放棄しても構わない。物質にせよ、人間関係にせよ、である。
いくら速いといっても、魔法で加速しているわけでもない。達也の方が頭一つ以上長身なこともあり、すぐに追いついて要件を伝えられるはずだった。
先客が図らずもそれを邪魔した形になった。紫の前から来たので、達也たちとも正対している形になる。
声をかけたのは、紫より少し大人びて見える少女であった。つまり上級生だ。すっ、と通った眉根は、うら若い乙女の可愛らしさより、戦う者の凛々しさを強調している。細身ながら筋肉質な四肢は、鍛えこまれたアスリートのものだと一目で判じられた。
「おはよう。ちょっとお話してもいい?」
声も甘さのない涼しげなものだが、少女に黄色い悲鳴をあげさせるようなものではなく、あくまで女性らしい自然な柔らかさを保っている。年下の男なら誘われずとも自白剤を打たれたように喋りだすだろう。
しかしながら同性の、おまけにかなり気難しい部類に入る人種には、そういった魔術の類は効果薄である。事実紫は色の薄いまつげを揺らして、険のある視線を突き刺した。
それが嫉妬やら愛憎の入り混じるものでなく、単なる迷惑を厭うものであると分かって、先輩の少女は戸惑うように二の句をつぐむ。そういった対応をされる経験が少なかったのだろう。純真な傲慢さを突かれた反応だった。
「何の用、ですか?」
「あ、うん。あなたが夜科紫さんよね。この前凄い活躍だったって聞いて、何か武道でも修めているのかなって気になってね。良ければお話しさせてほしいんだけれど」
嘘を言っているふうではない。言葉は事実なのだろう。しかし聞くからに説明が足りていない。余計な情報を出さないようにしているのが見え見えだった。慣れていない宗教勧誘だ。
単なる友好目的の誘いさえ除けられる所を散々見ている達也たちにしてみれば、次の瞬間にはけんもほろろに追い返される先輩女子の姿が浮かぶのも仕方ない。
紫はしばし相手の顔を、正確にはその眼の奥をのぞき込んでいた。冷たい瞳。観察されていてうれしいものではない。
焦れた上級生の女子が重ねて問おうとしたが、その前に答えが返る。
「いつ?」
「え?えっと……」
「もうすぐ授業が始まるから、今は無理だけれど。他の時間はどうなの?」
「うーん、それじゃあ、放課後とかは大丈夫?」
「どこで?」
「図書館のカフェでいいかな」
「分かりました」
あっさりそう言ってのけて、ひらりと元の進路へと回頭する。淡白にしてもあんまりな反応に、上級生の少女はしばらく呆けていた。
帰ってきた達也を昭和の新妻のようにうやうやしく出迎えて、司波家の朝の団らんが始まる。とはいえ兄の方に、栄養補給の途中で話をするような遊びは無く。妹は妹で、兄が黙々と食べているのを遮るような真似はしない。従って穏やかな暁光の下で、小鳥の歌が聞こえるような静かな食事が続くことになる。
それでも、その空間に無機質な冷たさを感じるような者はいないだろう。深雪はこれ以上なく幸せそうに顔をほころばせていたし、鉄面皮の達也でさえ、どこか穏やかに笑んでいるような陰影を作っていた。
食事が終われば通学の時間である。AIに管理された鉄道網が無数の車両を同時管制する時代であるから、電車に乗り遅れるということは無い。それでもかなりの余裕をもって行動するのは、入学してすぐだから、というよりは、二人とも真面目であるからだろう。十代にしては異常なまでに。
そんなわけで悠々と高校前の駅に到着した二人だが、歩いているうちに次々と声を掛けられる。美月、エリカ、レオ。すでに数年来の付き合いのように並んでくる友人たちと談笑しながら歩いていく。
その横を小柄な人影がすり抜けていった。脚はすらりとしているが、それでも身長相応のもの。スピードは大股の足運びと、上下動のない高効率の回転から生じている。夜科紫は行進する軍人のように校門へと歩き去っていった。
「はええな。よっぽど体幹鍛えないと無理だろあの動き」
「両のつま先がほぼ一直線になる歩法ね。自然に身につくものじゃないわね」
レオが素直に感心すれば、エリカが剣士らしい目の付け所で分析を始める。
知れば知るほど、むしろ謎めいた部分が大きくなる娘だった。魔法科高校は魔法師を育てるという単一の目的のため設立された機関であるから、名前や日常でのしぐさなどから、ある程度の背景は読み取れる。
例えばレオなら名前から魔法師の国際結婚ということ、更には何らかの国家の意志が働いた結果生まれたと分かる。美月なら眼鏡という外見の特徴でその特異な体質を予想できる。
紫にはそれがない。非常に洗練された技能を持っているとはすぐ分かるが、その先からが見当もつかないのだ。著名な魔法師の家系に夜科という氏があるとは聞かない。誰かに師事している様子も見えない。隠されているのでなく、大きな断絶があるような手触りだった。
「声をかけるか」
「ええ~、いま?」
「可能ならいつでもいいはずだ」
エリカの気の進まなさそうな声は、友人一同の心中を代弁していた。なにしろ夜科紫の登校風景は、春ののほほんとした景観にそぐわない峻烈なもの。脇にいる人込みになど一瞥さえくれず、肩で風を切り一個の機械に徹する。朝早くから声をかけるのははばかられる気配だ。
だが達也にとって相手の気分や都合は大した問題ではない。いや、相手を不快にさせたことで起こる自身への不利益すらも二の次のことである。
彼にとって唯一絶対に守らねばならないのは、妹・司波深雪の安全であり、極論それ以外の全ては放棄しても構わない。物質にせよ、人間関係にせよ、である。
いくら速いといっても、魔法で加速しているわけでもない。達也の方が頭一つ以上長身なこともあり、すぐに追いついて要件を伝えられるはずだった。
先客が図らずもそれを邪魔した形になった。紫の前から来たので、達也たちとも正対している形になる。
声をかけたのは、紫より少し大人びて見える少女であった。つまり上級生だ。すっ、と通った眉根は、うら若い乙女の可愛らしさより、戦う者の凛々しさを強調している。細身ながら筋肉質な四肢は、鍛えこまれたアスリートのものだと一目で判じられた。
「おはよう。ちょっとお話してもいい?」
声も甘さのない涼しげなものだが、少女に黄色い悲鳴をあげさせるようなものではなく、あくまで女性らしい自然な柔らかさを保っている。年下の男なら誘われずとも自白剤を打たれたように喋りだすだろう。
しかしながら同性の、おまけにかなり気難しい部類に入る人種には、そういった魔術の類は効果薄である。事実紫は色の薄いまつげを揺らして、険のある視線を突き刺した。
それが嫉妬やら愛憎の入り混じるものでなく、単なる迷惑を厭うものであると分かって、先輩の少女は戸惑うように二の句をつぐむ。そういった対応をされる経験が少なかったのだろう。純真な傲慢さを突かれた反応だった。
「何の用、ですか?」
「あ、うん。あなたが夜科紫さんよね。この前凄い活躍だったって聞いて、何か武道でも修めているのかなって気になってね。良ければお話しさせてほしいんだけれど」
嘘を言っているふうではない。言葉は事実なのだろう。しかし聞くからに説明が足りていない。余計な情報を出さないようにしているのが見え見えだった。慣れていない宗教勧誘だ。
単なる友好目的の誘いさえ除けられる所を散々見ている達也たちにしてみれば、次の瞬間にはけんもほろろに追い返される先輩女子の姿が浮かぶのも仕方ない。
紫はしばし相手の顔を、正確にはその眼の奥をのぞき込んでいた。冷たい瞳。観察されていてうれしいものではない。
焦れた上級生の女子が重ねて問おうとしたが、その前に答えが返る。
「いつ?」
「え?えっと……」
「もうすぐ授業が始まるから、今は無理だけれど。他の時間はどうなの?」
「うーん、それじゃあ、放課後とかは大丈夫?」
「どこで?」
「図書館のカフェでいいかな」
「分かりました」
あっさりそう言ってのけて、ひらりと元の進路へと回頭する。淡白にしてもあんまりな反応に、上級生の少女はしばらく呆けていた。
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