第2話
その小学生くらいの幼い少女、幼女といってもよさそうな彼女は、信号待ちしていた。
赤信号だから止まって横断歩道の前で待つ。うん。交通ルールに従えば正しい。
けど、いまは非常事態。というか、もう人類の終わりが始まっている終末の世界。時速百二十キロで走った軽が反対車線につっこんで、スタントのように対向車に乗りあげて浮かびあがることさえある(というか目撃した。嘘みたいな光景)。誰も信号など守りはしない。
それなのに、その少女は、律儀に青に変わるのを待ってから、車やバイクの排気音さえ聞こえない横断歩道を歩きだした。
おれは両手にコンビニの袋を持っていた。マンガ雑誌(先々週号くらいのやつ。マンガもあの〝終わりの始まり〟の放送以来新しいものは出ていない)に、飲料水にカップ麺をいくつか。
気づけばビニール袋をぶらさげて、少女に向かって歩きだしていた。
気になったし、いまどきこんな少女がひとりで歩いていたら、間違いなくひどい目にあうだろう。若い男だけでなく、女も老人も子供も危険だ。実録! キレる人類! 笑えない現実。
「こんにちは」
おれはとりあえずあいさつした。無気力な声。……べ、べつに人類が滅亡するから無気力になったんじゃないんだからねっ? くだらない冗談を浮かべながら声をかけた。いつもおれの脳の中にあるのはくだらないことばかり。
「……こんにちは」
きちんと返事があった。
いきなり声をかけられてびっくりした様子だったが、少女は丁寧に頭までさげた。
しっかりと頭をさげて腰を折るあたり、いいとこのお嬢様なのかもしれない。なにせこの〝空白地帯〟の横断歩道の信号さえ変わるのを待つほどなのだ。だいたい巨大隕石報道前だって、誰もいない交差点なんて、老若男女適当に渡っているのをしょっちゅう見かけたものだ。
少女は犬を持っていた。
小さな犬。綿菓子のようにふわふわ。全体的に焦げ茶っぽい毛。つぶらな目。……なんという犬種かは知らない。なんとなく上品そうな犬で、雑種でないのはわかる。室内犬? とかいうやつだろうか。見るからに足腰が弱そうな犬だった。
少女のほうも、おれの頭のてっぺんから爪先まで観察した。そしてその目がビニール袋から透けている商品にとまるのがわかる。マンガか飲み物か食い物か、どれにひかれたのかは知らないが、どうやらご所望らしい。
おれのほうも少女の観察を続けていた。
この辺で有名な私立小学校の制服を着ている。背中にはピンク色のランドセル。なんか形がカッコイイ。おれが十五年くらい前に背負っていたランドセルに比べて。ブランド物なのだろう。
しわひとつない紺の制服に、傷ひとつないランドセル。落ち着いた雰囲気から察するに、たぶん高学年だと思う。おれの高学年の頃といったら、ランドセルは傷だらけのぺちゃんこだったものだが。別に買い換えたというわけじゃないなら、よっぽど上品に扱っているんだろう。
「……お兄さんは、お暇ですか?」
おじさんと、この年頃の少女なら呼んでもいい年齢だが、少女はお兄さんと呼んでくれた。二十七歳の男は十七歳の乙女なみに気難しい。気難しいおれは〝お兄さん〟と呼ばれて気をよくした。
てっきり食料を分けてほしいというのかと思ったが、なにやら違うようだ。
「暇かと問われたら暇かな」
脳裏に、がらんとしたレンタルビデオ店を思いうかべる。二十四時間営業で、おれが高校卒業してから職を転々としては、その合間の就職活動期間中に食い扶持を稼ぐために働かせてもらったお店だ。もうその店に客はひとりもこないようになった。なにせレンタルDVDの棚も、昔懐かしの名作コーナーのビデオの棚(二束三文で買ったビデオテープの叩き売りともいう)も、がらがらのぐちゃぐちゃなのだ。盗むだけならまだしも、誰かが店内でビデオテープでキャンプファイヤーをやり、ついでに別のやつかもしれないが棚の耐久テストを金属バットかなにかでおこなったらしかった。十年近くお世話になったレンタルビデオ店はアメリカを襲うハリケーンにでもあったように、めちゃくちゃになってしまった。それでもやることもないので、毎日レジに立っているが。というわけで、おれは実質無職だ。フリーター改め無職。
「お暇なのでしたら、わたしのお話を聞いて頂けないでしょうか?」
街頭での宗教勧誘のような丁寧口調。
とはいえ、さすがに小学生が勧誘員ということもないだろう。ちなみに、あの隕石報道以来、宗教は全盛期を迎えている。自分達だけは助かる的なやつ。選民思想的宗教が跋扈し、すごいありさま。ちなみにおれは興味ない。
少女はピンクのランドセルを路上におろすと、ごそごそと中をあさる。昔なつかしの縦笛や筆箱や体育シューズなどが出てきそうな感じだったが、小さなペットボトルに菓子パンに缶詰に携帯用救急セットなど実用的な物がきれいに整理整頓されてランドセルの中に収まっていた。
なるほど。この子は年齢より頭がいい。
赤信号だから止まって横断歩道の前で待つ。うん。交通ルールに従えば正しい。
けど、いまは非常事態。というか、もう人類の終わりが始まっている終末の世界。時速百二十キロで走った軽が反対車線につっこんで、スタントのように対向車に乗りあげて浮かびあがることさえある(というか目撃した。嘘みたいな光景)。誰も信号など守りはしない。
それなのに、その少女は、律儀に青に変わるのを待ってから、車やバイクの排気音さえ聞こえない横断歩道を歩きだした。
おれは両手にコンビニの袋を持っていた。マンガ雑誌(先々週号くらいのやつ。マンガもあの〝終わりの始まり〟の放送以来新しいものは出ていない)に、飲料水にカップ麺をいくつか。
気づけばビニール袋をぶらさげて、少女に向かって歩きだしていた。
気になったし、いまどきこんな少女がひとりで歩いていたら、間違いなくひどい目にあうだろう。若い男だけでなく、女も老人も子供も危険だ。実録! キレる人類! 笑えない現実。
「こんにちは」
おれはとりあえずあいさつした。無気力な声。……べ、べつに人類が滅亡するから無気力になったんじゃないんだからねっ? くだらない冗談を浮かべながら声をかけた。いつもおれの脳の中にあるのはくだらないことばかり。
「……こんにちは」
きちんと返事があった。
いきなり声をかけられてびっくりした様子だったが、少女は丁寧に頭までさげた。
しっかりと頭をさげて腰を折るあたり、いいとこのお嬢様なのかもしれない。なにせこの〝空白地帯〟の横断歩道の信号さえ変わるのを待つほどなのだ。だいたい巨大隕石報道前だって、誰もいない交差点なんて、老若男女適当に渡っているのをしょっちゅう見かけたものだ。
少女は犬を持っていた。
小さな犬。綿菓子のようにふわふわ。全体的に焦げ茶っぽい毛。つぶらな目。……なんという犬種かは知らない。なんとなく上品そうな犬で、雑種でないのはわかる。室内犬? とかいうやつだろうか。見るからに足腰が弱そうな犬だった。
少女のほうも、おれの頭のてっぺんから爪先まで観察した。そしてその目がビニール袋から透けている商品にとまるのがわかる。マンガか飲み物か食い物か、どれにひかれたのかは知らないが、どうやらご所望らしい。
おれのほうも少女の観察を続けていた。
この辺で有名な私立小学校の制服を着ている。背中にはピンク色のランドセル。なんか形がカッコイイ。おれが十五年くらい前に背負っていたランドセルに比べて。ブランド物なのだろう。
しわひとつない紺の制服に、傷ひとつないランドセル。落ち着いた雰囲気から察するに、たぶん高学年だと思う。おれの高学年の頃といったら、ランドセルは傷だらけのぺちゃんこだったものだが。別に買い換えたというわけじゃないなら、よっぽど上品に扱っているんだろう。
「……お兄さんは、お暇ですか?」
おじさんと、この年頃の少女なら呼んでもいい年齢だが、少女はお兄さんと呼んでくれた。二十七歳の男は十七歳の乙女なみに気難しい。気難しいおれは〝お兄さん〟と呼ばれて気をよくした。
てっきり食料を分けてほしいというのかと思ったが、なにやら違うようだ。
「暇かと問われたら暇かな」
脳裏に、がらんとしたレンタルビデオ店を思いうかべる。二十四時間営業で、おれが高校卒業してから職を転々としては、その合間の就職活動期間中に食い扶持を稼ぐために働かせてもらったお店だ。もうその店に客はひとりもこないようになった。なにせレンタルDVDの棚も、昔懐かしの名作コーナーのビデオの棚(二束三文で買ったビデオテープの叩き売りともいう)も、がらがらのぐちゃぐちゃなのだ。盗むだけならまだしも、誰かが店内でビデオテープでキャンプファイヤーをやり、ついでに別のやつかもしれないが棚の耐久テストを金属バットかなにかでおこなったらしかった。十年近くお世話になったレンタルビデオ店はアメリカを襲うハリケーンにでもあったように、めちゃくちゃになってしまった。それでもやることもないので、毎日レジに立っているが。というわけで、おれは実質無職だ。フリーター改め無職。
「お暇なのでしたら、わたしのお話を聞いて頂けないでしょうか?」
街頭での宗教勧誘のような丁寧口調。
とはいえ、さすがに小学生が勧誘員ということもないだろう。ちなみに、あの隕石報道以来、宗教は全盛期を迎えている。自分達だけは助かる的なやつ。選民思想的宗教が跋扈し、すごいありさま。ちなみにおれは興味ない。
少女はピンクのランドセルを路上におろすと、ごそごそと中をあさる。昔なつかしの縦笛や筆箱や体育シューズなどが出てきそうな感じだったが、小さなペットボトルに菓子パンに缶詰に携帯用救急セットなど実用的な物がきれいに整理整頓されてランドセルの中に収まっていた。
なるほど。この子は年齢より頭がいい。
※会員登録するとコメントが書き込める様になります。