第15話
ふいにアスラム王子とエスカリテの顔が険しくなった。同時に後ろを振り返った。エスカリテは一瞬で鞭を手に取っている。
ふたりの背後に立っていたのはナハトだった。
ナハトは帰りの遅いスイのことが気になってさがしに来たのだ。
アスラム王子とナハトの視線がぶつかり合う。
アスラム王子は強張った声でスイに聞いた。
「もしかして、……スイの言っていた狼かな?」
「はい」
スイはアスラム王子の言葉にうなずいた。
アスラム王子は、魔王ファランクスに率いられた魔物たちと戦うために組織された聖王騎士団の最高責任者である。そして、聖王騎士団の目的は創設以来まったく変わっていない。悪しき魔物を討ち滅ぼし、地上に恒久的な平和をもたらすこと。
アスラム王子はナハトに向かって言った。
「魔物の分際で、聖王騎士団直轄地である聖王の森へ踏み込んだか。直轄地への無断進入の罪により聖王騎士団団長として貴様を処分する!」
(処分する……ナハトを…………)
スイは血の気が引いた。
「ここで戦うのはなんだから、近くに人の入らない深い森がある。そちらに来てもらえるかな」
冷ややかに命じるアスラム王子。ナハトの背後にはエスカリテが回っている。
「いいだろう」
ナハトはうなずいた。
「案内する。こっちだ」
アスラム王子はしばらくナハトを見ていたが、さっさと先頭に立って歩き出した。
《ナ、ナハト……》
スイは、彼女にしかできない特定の相手にだけ声を聞かせる《ウィス》の力で、ナハトにだけ話しかけた。
ナハトは無言だった。
エスカリテはしばらくナハトのゆっくりとした歩みにあわせて、背後を歩いていたが、アスラム王子がエスカリテを呼んだので、エスカリテは小走りにアスラム王子のもとに駆けつけた。
エスカリテの眉は不審そうに寄っている。アスラム王子の行動にいくつか不審な点を覚えているのだ。
スイもエスカリテ以上に眉を寄せて顔をはっきりとしかめていた。
《バカナハト。なにが「いいだろう」よ。処分されるのよ》
ナハトはエスカリテとアスラム王子がだいぶ前を歩くのを見てから、口を閉じたまま慎重に、自分にさえ聞こえないほど小さな魔物の言葉を話した。
《心配するな》
ナハトはそう言ったあと、アスラム王子とエスカリテの後ろ姿を確認するように見ていた。まさかこれほど小さなつぶやきが前を歩く人間のアスラム王子やエスカリテに聞こえるとは思えなかったが。魔物の言葉を理解する人間は《ウィス》の他にも魔道士たちがいる。魔法を使って、魔物の言葉を理解し、話すのだ。アスラム王子やエスカリテのように魔物相手の戦いを生業とする人間は、ほぼ間違いなく、この魔法を習得している。
ナハトは相手が相手だけに慎重に対応していた。へたをすると、一番やっかいな敵の懐に飛び込んでしまったのかもしれないのだ。しかし、それは同時に情報を引き出すチャンスでもあった。
ナハトは相変わらず小声で言った。
《スイ、ちゃんと聞こえるか?》
《うん。聞こえてる。大丈夫。ナハトにだけ聞こえるように話すんだよね》
スイは多少雑音混じりとはいえ、きちんとナハトの声を聞いている。
《そうだ、それでいい。……俺の追っている敵の仲間は、ほぼ間違いなく聖王都フィラーンの人間だ。それも俺様に不意打ちとはいえ傷を負わせることができるほどの優秀な魔道士や兵士をそろえられるくらいの権力をもったな。そんな人間はそう多くない。聖王騎士団なら魔物である俺を討つ動機もその力も十分にある》
《……だ、だったら……》
《大丈夫だ。心配するな。いけ好かない野郎だが本当にお前に危害を加えるつもりはないらしい。それに街にも被害を出さないつもりらしい。……それならこっちも好都合だ。周りを気にせずに力が使えるのなら絶対に負けはしない》
スイはナハトの確信のこもった口調に、仕方なくうなずいた。
《ところで、ナハト。いくつか不思議に思ったんだけど……どうしてアスラムさんはナハトを一目見て狼だってわかったんだろう? それに魔物の言葉で話しているんだからアスラムさんにもエスカリテさんにも聞こえないんじゃないの?》
《ほんとにお前は何も知らんのだな……》
ナハトはあきれる。
スイが自信満々で、うん、と大きくうなずいたので、ナハトは苦笑するしかなかった。
《いいか? 魔物を相手に戦う聖王騎士団だ。それが魔物の言葉はわかりません。なんてことあると思うか?》
《そっか、それに魔物の本当の姿もわかるんだね》
《…………》
ナハトが黙り込む。その紅い瞳は真剣な光をたたえていた。
《それは、まあ、……できる者もいるだろうが…………》
ナハトの口調はかなり歯切れが悪い。
《できるの? できないの?》
子供が親に何かをねだるようにスイの言葉には容赦がない。
《できる者もいる。……が、一目見て、となると、……想像以上に食えない野郎かもしれないな、このクソ騎士団長》
ふいにアスラム王子の肩がぴくりと動いた。
ふたりの背後に立っていたのはナハトだった。
ナハトは帰りの遅いスイのことが気になってさがしに来たのだ。
アスラム王子とナハトの視線がぶつかり合う。
アスラム王子は強張った声でスイに聞いた。
「もしかして、……スイの言っていた狼かな?」
「はい」
スイはアスラム王子の言葉にうなずいた。
アスラム王子は、魔王ファランクスに率いられた魔物たちと戦うために組織された聖王騎士団の最高責任者である。そして、聖王騎士団の目的は創設以来まったく変わっていない。悪しき魔物を討ち滅ぼし、地上に恒久的な平和をもたらすこと。
アスラム王子はナハトに向かって言った。
「魔物の分際で、聖王騎士団直轄地である聖王の森へ踏み込んだか。直轄地への無断進入の罪により聖王騎士団団長として貴様を処分する!」
(処分する……ナハトを…………)
スイは血の気が引いた。
「ここで戦うのはなんだから、近くに人の入らない深い森がある。そちらに来てもらえるかな」
冷ややかに命じるアスラム王子。ナハトの背後にはエスカリテが回っている。
「いいだろう」
ナハトはうなずいた。
「案内する。こっちだ」
アスラム王子はしばらくナハトを見ていたが、さっさと先頭に立って歩き出した。
《ナ、ナハト……》
スイは、彼女にしかできない特定の相手にだけ声を聞かせる《ウィス》の力で、ナハトにだけ話しかけた。
ナハトは無言だった。
エスカリテはしばらくナハトのゆっくりとした歩みにあわせて、背後を歩いていたが、アスラム王子がエスカリテを呼んだので、エスカリテは小走りにアスラム王子のもとに駆けつけた。
エスカリテの眉は不審そうに寄っている。アスラム王子の行動にいくつか不審な点を覚えているのだ。
スイもエスカリテ以上に眉を寄せて顔をはっきりとしかめていた。
《バカナハト。なにが「いいだろう」よ。処分されるのよ》
ナハトはエスカリテとアスラム王子がだいぶ前を歩くのを見てから、口を閉じたまま慎重に、自分にさえ聞こえないほど小さな魔物の言葉を話した。
《心配するな》
ナハトはそう言ったあと、アスラム王子とエスカリテの後ろ姿を確認するように見ていた。まさかこれほど小さなつぶやきが前を歩く人間のアスラム王子やエスカリテに聞こえるとは思えなかったが。魔物の言葉を理解する人間は《ウィス》の他にも魔道士たちがいる。魔法を使って、魔物の言葉を理解し、話すのだ。アスラム王子やエスカリテのように魔物相手の戦いを生業とする人間は、ほぼ間違いなく、この魔法を習得している。
ナハトは相手が相手だけに慎重に対応していた。へたをすると、一番やっかいな敵の懐に飛び込んでしまったのかもしれないのだ。しかし、それは同時に情報を引き出すチャンスでもあった。
ナハトは相変わらず小声で言った。
《スイ、ちゃんと聞こえるか?》
《うん。聞こえてる。大丈夫。ナハトにだけ聞こえるように話すんだよね》
スイは多少雑音混じりとはいえ、きちんとナハトの声を聞いている。
《そうだ、それでいい。……俺の追っている敵の仲間は、ほぼ間違いなく聖王都フィラーンの人間だ。それも俺様に不意打ちとはいえ傷を負わせることができるほどの優秀な魔道士や兵士をそろえられるくらいの権力をもったな。そんな人間はそう多くない。聖王騎士団なら魔物である俺を討つ動機もその力も十分にある》
《……だ、だったら……》
《大丈夫だ。心配するな。いけ好かない野郎だが本当にお前に危害を加えるつもりはないらしい。それに街にも被害を出さないつもりらしい。……それならこっちも好都合だ。周りを気にせずに力が使えるのなら絶対に負けはしない》
スイはナハトの確信のこもった口調に、仕方なくうなずいた。
《ところで、ナハト。いくつか不思議に思ったんだけど……どうしてアスラムさんはナハトを一目見て狼だってわかったんだろう? それに魔物の言葉で話しているんだからアスラムさんにもエスカリテさんにも聞こえないんじゃないの?》
《ほんとにお前は何も知らんのだな……》
ナハトはあきれる。
スイが自信満々で、うん、と大きくうなずいたので、ナハトは苦笑するしかなかった。
《いいか? 魔物を相手に戦う聖王騎士団だ。それが魔物の言葉はわかりません。なんてことあると思うか?》
《そっか、それに魔物の本当の姿もわかるんだね》
《…………》
ナハトが黙り込む。その紅い瞳は真剣な光をたたえていた。
《それは、まあ、……できる者もいるだろうが…………》
ナハトの口調はかなり歯切れが悪い。
《できるの? できないの?》
子供が親に何かをねだるようにスイの言葉には容赦がない。
《できる者もいる。……が、一目見て、となると、……想像以上に食えない野郎かもしれないな、このクソ騎士団長》
ふいにアスラム王子の肩がぴくりと動いた。
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