トマトは熟れても食べられず
デートだなんていっても所詮、買い出し。青臭いガキじゃあるまいし、いまさらドキドキなんてしてたまるか。せいぜい、使いっぱしりとしてこきつかってやる。わざと重たい調味料や野菜、果物を選んでやる。胸のなかでそう、唱えるだけでさっきまでの動揺は吹き飛んだようだった。今さら、デートぐらいで動揺するなんてあり得ない。デートじゃねえし。出かける言い訳じゃないけどなんとか、必死に冷静さを取り戻そうとしていたときだった。
「あ、このトマト。ここで買ってるんですか?」
突然声かけられて、ちょっとお高いスーパーにいることを思い出した。野菜売り場で妙に仰々しく、名前が長いブランドトマトを手にしてニコニコ嬉しそうに聞いてくる。
「あ、いや安いとこのを使ってるよ」ま、いいトマトを使えるほど大層な店じゃないしな。んーと、ここじゃスパイスだけな。と、いうと不思議そうに揺れた瞳がぱっと輝いてみえた。
「マジですか?サラダのトマトめちゃ美味しかったからどっか特別なの選んでるんだと思ってましたよ」
サラダのトマトって付け合わせだよな。そんなのに、いいトマト使えねぇよ。
「お前さ、うまいトマトの見分け方知ってる?」
あまりにトマトを誉めるのでつい、うっかりあつく語ってしまう。糖度が高いトマトの裏側にできる星の話。たいして興味ないハズの野菜のうんちくを、くるくる変わる表情で楽しそうに聞いてくれるのが、新鮮だった。
「お前、料理すきなの?」
ただの相づちなのだろうと、うっかり本音を口に出してしまう。料理好きなようには見えなかったけど。
「あぁ。そりゃ美味しいものの話は好きですよ。それにね。うんちくは講義のいろんな場面で使えるんですよ。引き出しは多いほどいい。興味がわく話、そうではない話どんな話でも、惹き付けられるようにしておくんです」
しょうもない話でも和ませてガッツリ本題を入れてね、緩急重要なんすよ。と、恥ずかしそうに頭を掻いている横顔が、生徒達を思っているのか、目が急に柔らかく優しく揺れている。
「トマトも講義になるんだな」
うまいトマトの見分け方なんて、ベテラン主婦ぐらいなら知ってる雑学だ。そのうちいつの間にか習得するものなんだろうけど。あの美声で、オレの話したトマトの話がいつか聞こえてくるのだろうか。
「楽しみだな」
ポカポカ陽気の昼下がりに、コーヒーの香りと一緒に聞こえてくることを想像したら、自然と笑みがこぼれてしまう。気がつくとトマトを二人でのぞきこんで手を握っている形になっていた。
あと数センチで、重なりあいそうな唇は、意地悪く離れていき耳元で囁くとニヤリと笑った。
「ねぇ、圭さんって呼んでいい?」
たたみかけるように、手元のトマトにも意識がいくようにわざとそらしたように囁いた。
「ねぇトマト、つぶれちゃうよ」
ねぇ。そう、言われた瞬間我にかえって勢いよくトマトを床にてたきつけてしまった。
「あーぁ。もったいない」
おまっ。わざとヤりやがっただろうが。勢いに任せて怒鳴ってやろうと思うのに、なかなか言葉にならない。ぐるぐる頭のなかで言いたいことが渦巻いている。気がつくとお互い潰れたトマトを見つめて手をつないでいる状態だ。何食わぬ顔で、今度はそっと背中をなぞってきた。
「いつまでも食べ頃なのをそのままにしとくのはもったいないよ」
トマトも人も。すべての言葉を言い終わる前に、ゾクリと震えが走った。なぞられた場所があつい。まるでトマトみたいだ、いとおしそうに言われると余計に腹が立つ。
「だれのせいだよ」
いい年したおっさんがと、笑われてもどうしようもない。ただ、ただ青臭いガキみたいに恥ずかしくて仕方がなかった。頭のなかで勝手に抱いた幻想と現実はあまりに違いすぎるハズなのに、それでも全くかまわなかった。自分勝手な失恋は、していなかったのかもしれない。
「俺のせいでいいの?」
待ってましたとばかりに嬉しそうに笑うと、余計腹が立つ。なんで、そんなに余裕なんだよ。ひとつひとつにアタフタしている自分が、情けなくて悔しい。真っ赤なトマトは早々に降参しましたと白旗をあげている。慌てた店員が無惨に床に転がっていたトマトを回収していく。床はさっきのトマトの残骸を忘れたかのようにピカピカに磨かれていた。なぜだろう、オレだけ置いてきぼりを食らった気がする。それでも、今日買い足さなければならない食材を頭のなかで思い出していた。激安スーパーのタイムセールは刻一刻と近づいている。
「トマト」
真っ赤な顔した自分を想像すると、耳まで熱くなる。まるで自分のようだなぁと思いながらも、心が落ち着くまでなんとか絞り出した言葉は、小さくて涼しげな顔をしたアイツにはまるで届いていにいようにも思えた。そばで、あぁと呟いたということは聞こえたのかもしれない。タイムセールですね、という言葉も少し弱々しい。まるで、あと一歩のところを邪魔されたからとでも言うように。名残惜しそうに残念そうに、きこえてくるのは、決してオレのせいだけではないと思う。
つづく
「あ、このトマト。ここで買ってるんですか?」
突然声かけられて、ちょっとお高いスーパーにいることを思い出した。野菜売り場で妙に仰々しく、名前が長いブランドトマトを手にしてニコニコ嬉しそうに聞いてくる。
「あ、いや安いとこのを使ってるよ」ま、いいトマトを使えるほど大層な店じゃないしな。んーと、ここじゃスパイスだけな。と、いうと不思議そうに揺れた瞳がぱっと輝いてみえた。
「マジですか?サラダのトマトめちゃ美味しかったからどっか特別なの選んでるんだと思ってましたよ」
サラダのトマトって付け合わせだよな。そんなのに、いいトマト使えねぇよ。
「お前さ、うまいトマトの見分け方知ってる?」
あまりにトマトを誉めるのでつい、うっかりあつく語ってしまう。糖度が高いトマトの裏側にできる星の話。たいして興味ないハズの野菜のうんちくを、くるくる変わる表情で楽しそうに聞いてくれるのが、新鮮だった。
「お前、料理すきなの?」
ただの相づちなのだろうと、うっかり本音を口に出してしまう。料理好きなようには見えなかったけど。
「あぁ。そりゃ美味しいものの話は好きですよ。それにね。うんちくは講義のいろんな場面で使えるんですよ。引き出しは多いほどいい。興味がわく話、そうではない話どんな話でも、惹き付けられるようにしておくんです」
しょうもない話でも和ませてガッツリ本題を入れてね、緩急重要なんすよ。と、恥ずかしそうに頭を掻いている横顔が、生徒達を思っているのか、目が急に柔らかく優しく揺れている。
「トマトも講義になるんだな」
うまいトマトの見分け方なんて、ベテラン主婦ぐらいなら知ってる雑学だ。そのうちいつの間にか習得するものなんだろうけど。あの美声で、オレの話したトマトの話がいつか聞こえてくるのだろうか。
「楽しみだな」
ポカポカ陽気の昼下がりに、コーヒーの香りと一緒に聞こえてくることを想像したら、自然と笑みがこぼれてしまう。気がつくとトマトを二人でのぞきこんで手を握っている形になっていた。
あと数センチで、重なりあいそうな唇は、意地悪く離れていき耳元で囁くとニヤリと笑った。
「ねぇ、圭さんって呼んでいい?」
たたみかけるように、手元のトマトにも意識がいくようにわざとそらしたように囁いた。
「ねぇトマト、つぶれちゃうよ」
ねぇ。そう、言われた瞬間我にかえって勢いよくトマトを床にてたきつけてしまった。
「あーぁ。もったいない」
おまっ。わざとヤりやがっただろうが。勢いに任せて怒鳴ってやろうと思うのに、なかなか言葉にならない。ぐるぐる頭のなかで言いたいことが渦巻いている。気がつくとお互い潰れたトマトを見つめて手をつないでいる状態だ。何食わぬ顔で、今度はそっと背中をなぞってきた。
「いつまでも食べ頃なのをそのままにしとくのはもったいないよ」
トマトも人も。すべての言葉を言い終わる前に、ゾクリと震えが走った。なぞられた場所があつい。まるでトマトみたいだ、いとおしそうに言われると余計に腹が立つ。
「だれのせいだよ」
いい年したおっさんがと、笑われてもどうしようもない。ただ、ただ青臭いガキみたいに恥ずかしくて仕方がなかった。頭のなかで勝手に抱いた幻想と現実はあまりに違いすぎるハズなのに、それでも全くかまわなかった。自分勝手な失恋は、していなかったのかもしれない。
「俺のせいでいいの?」
待ってましたとばかりに嬉しそうに笑うと、余計腹が立つ。なんで、そんなに余裕なんだよ。ひとつひとつにアタフタしている自分が、情けなくて悔しい。真っ赤なトマトは早々に降参しましたと白旗をあげている。慌てた店員が無惨に床に転がっていたトマトを回収していく。床はさっきのトマトの残骸を忘れたかのようにピカピカに磨かれていた。なぜだろう、オレだけ置いてきぼりを食らった気がする。それでも、今日買い足さなければならない食材を頭のなかで思い出していた。激安スーパーのタイムセールは刻一刻と近づいている。
「トマト」
真っ赤な顔した自分を想像すると、耳まで熱くなる。まるで自分のようだなぁと思いながらも、心が落ち着くまでなんとか絞り出した言葉は、小さくて涼しげな顔をしたアイツにはまるで届いていにいようにも思えた。そばで、あぁと呟いたということは聞こえたのかもしれない。タイムセールですね、という言葉も少し弱々しい。まるで、あと一歩のところを邪魔されたからとでも言うように。名残惜しそうに残念そうに、きこえてくるのは、決してオレのせいだけではないと思う。
つづく
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