ACT013 『捨てられた子』
四角い建物に近づくにつれ、空気に金属の粒子が混じっているのを感じた。冷たく鼻を突いてくる、あのにおいだ。モビルスーツのフレームが放つ、特有のにおい。そう考察した。
金属製の骨格が動く度に、それらは微妙に削られてしまい、空中に肺を痛めてしまいそうな酸味を帯びた微小な粒子を舞わせるのだ。
モビルスーツは、ここにある。おそらく、外装を取られた、スカスカの骨みたいな形で。
その入り口に着くと、警備の兵士たちが離れて行く。どういう意図があるのか?……警備の兵士たちでさえも、近づくことが許されていないのかもしれない。軍隊というのは、厳しい躾けにより機能している縦社会だ。
「ここは、格納庫なのか?」
「格納庫でもありますが、研究棟といった性格が強いでしょうか」
「研究棟ね」
「……百分は一見にしかずです。私の言葉で何を語るよりも、直接、ジュナ・バシュタ少尉の目で確認してもらえれば早いと思います」
「そうだな」
何を見せられるのかね?……期待と警戒と、そして緊張がごちゃ混ぜになった感覚のまま、ジュナ・バシュタはブリック・テクラートについて歩く。
研究棟の内部に入ると、さらに金属粒子の濃さが高くなる。彼女は嫌いではない。モビルスーツに対しては、好ましい印象を持っていた。
それはパイロットの本能のようなものなのだろう。
貧弱な体しかない自分に、空を飛ぶ力も、トラックさえも軽々と持ち上げる、18メートルの体格を与えてくれる―――その魅力を知れば、誰もがモビルスーツのパイロットになりたがる。ジュナは、そんな持論を有していた。
しかし、ブリック・テクラートは違うようだ。ハンカチで口元を押さえている。モビルスーツの放つオイルの香りも、ニューホンコン育ちには辛いのかもしれない。
「慣れないか」
「ええ。あまり、工場のにおいは好きではありません」
「金属の粉が、大量に舞っているからな」
「……少々では、健康に被害は起きないはずですが」
「そうだ。職業的に、モビルスーツを扱わなければ、どうということはない。そう教習を受けた。本当なのかは、知らないがな……」
においに苦しむブリック・テクラートを追い抜き、ジュナは研究棟の廊下を歩き始めた。迷うことはない。一本道に過ぎないからだ。
一歩進む度に、モビルスーツのフレームのにおいが強まっていき、やがて短い廊下が尽きる頃、開けた機械製造の場へと踊り出ていた。
天井までの高さは、およそ20メートル。奥行きは50メートルか。縦横50に、高さに20メートル……バラバラに配置されたモビルスーツの腕と脚、カラーリングが施されてもいない装甲たちがクレーンで吊されている。
そして、この空間の中央部に主役はいた。
腕と脚を外された、胴体と頭だけにされたモビルスーツが……そのモビルスーツは、皮を剥がれ、肉を削ぎ落とされた獣のようだ。
骨……フレームしかない。しかも、コクピットが収まるべき胸部には、大きな空洞があった。
スカスカ。
その印象を受けるが……ジュナ・バシュタは地球連邦軍所属のモビルスーツ・パイロットとして、興奮することを抑え切れてはいなかった。
「おい。コレは……っ」
翡翠色の瞳が、そのモビルスーツの頭部を見ていた。くり抜かれた胴体の上についている頭部には、独特の形状がある。
四つに枝分かれした角と、二つの翡翠色の目……そして、独特の口元。機能性重視で設計される連邦のモビルスーツの中でも、それは機能よりも象徴性を重視した形状であることは明白だ―――。
―――ジュナ・バシュタの目の前にあるモビルスーツ。その期待は、間違いなく、地球連邦軍で最も有名なモビルスーツである、『ガンダム』……その形状をしていた。
「―――ガンダムか。まさか、コイツに乗せてくれるというわけか?」
「そうです。これは、我々が計画している作戦において、最も重要なメソッドの一つ。このガンダムを乗りこなせるようになること。それが、ジュナ・バシュタ少尉に対する、我々のオーダーの一つです」
「……ミシェルは……私に、何をさせたいんだ……?」
「……『不死鳥狩り』」
「……は?」
「そのプロジェクトの名前が、それです」
「不死鳥……?神秘的な名前で、それだけに何も分からないわ……」
「『彼女』に会うための作戦です」
「……っ!!」
ジュナの瞳が獣のように見開かれていた。ニューホンコンで怪物のような人間たちを見て来たブリック・テクラートは、彼女が強化人間の一種であることを思い知らされていた。狂気を感じた。
そこには常人が見せることはない、何か衝動的で獣のような執着心―――ミシェルにもよく似た気配を感じさせられる。
「……リタに、会えるんだな!?」
「……ええ。そうなるはずです」
その結末がどうなるのか……ブリック・テクラートには予測がついていた。おそらくは、ハッピーエンドにはならない。少なくとも、常人の発想のなかにある、それにはならない。
だが、彼女たちにはどう映るのだろうか?
会いたいと、償いたいと、願い続けてきた彼女たちは?……リタ・ベルナルと出会えるのなら、彼女たちの魂は救われるというのだろうか?……そうかもしれない。そうかもしれませんが。
……ミシェルさま。貴方のお望みになる結末は、私から見れば…………いえ。貴方の願いを叶えることが、私の役目でしたね。
ブリック・テクラートは、たとえ自身が望まぬ結末であったとしても、ミシェル・ルオのために働くことを誓っている。ルオ商会の一員として、何よりも、彼女の秘書として。
「……ジュナ・バシュタ少尉。貴方は、このまま『不死鳥狩り』に参加しますか?それとも……我々が提供できる限りで、最も平和かつ安寧とした日々を送りますか?」
「…………決まっている。罪からは……逃れられやしないだろ」
ジュナはそう即答していた。彼女は、罪人だという自覚がある。罪悪感からは、逃れられることはないのだ。そうだ。
そのために……リタ・ベルナルに会うために、モビルスーツという『翼』を求めて来たのだから―――。
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