ACT005 『輸送機の中で』
自室に戻り、荷物をまとめる。モビルスーツのパイロットの特典である個室からもオサラバだ。私物など、すぐに片付く。幾つかの本と、数着の私服。それでお終いだ。ペンから毛布から歯ブラシまで、全ては地球連邦軍からの支給品だった。
軍隊っていうのは、最大の消費者だってことがあらためて分かる。軍隊から支給されていなかったモノは、本当にわずかだ。段ボールで作られた箱に詰められる程度のものである。
「……昇進か」
普段ならば、もっと喜ばしいことだろう。少尉?……なれるとは思っていなかった。出世には、それほど興味もなかったし……このまま、日々を過ごして行ければ、それで良かったのかもしれないが―――。
―――いや。そうでもない。
鏡を見る。鏡に映った自分は、唇の端が切れて赤くなっている。殴られたみたいだ。まあ、どうでもいい。そんなことは、どうでもいい……自分は、追い詰められている。『奇跡の子供たち』を探しているヤツに、近寄られている。
それなのに。
それなのに、怯えてはいない。
恐怖も有りはする。有りはするが……それよりも、好奇心が勝っている。より精確にこの感情を表現すれば、好奇心というよりも……再会への道筋が見えたことへの、安堵。なのかもしれない。
『奇跡の子供たち』を探しているのなら……会えるかもしれないのだ。彼女に。もう一人の裏切り者は……どうでもいいが。あの子には、会いたいのだ。自分が裏切ってしまった、あの子には……会わなければならない……っ。
首からぶら下がる、羽根のネックレス。それを見つめていることに気がつく。全裸で寝るときも、女同士でしているときも、絶対に外すことはない、それ。
父の形見。
そして、自分たちの絆の証。
……あるいは、裏切り者の印なのかもしれないが。
「何だって、いいさ。とにかく……会えるかもしれない。なら、行くしかない。死にたくはない。頭をいじくられるのはイヤだ……でも。それよりも、罪滅ぼしが……したいんだよ、私は……きっと……」
会えるなら。
赦されるのだろうか?
……赦されたなら、どうなるのだろうか?
……赦されなかったら……どうすればいいのだろうか。
吐き気がするほど、胃が痛くなる……体がわずかに上気して、フワフワと重心がふらついている。自分は、不安定になっているのだ。
構わないさ。今は……分かっている。私は、自分が死ぬことよりも、罪の深さに怯えてきていた。
死ねば。
死ねば、罪を償えないから。
だから、そのためだけに生き抜こうとして来ていた。
心臓が鼓動を早め、ジュナ・バシュタは胃袋からの逆流を感じる。トイレに走り、そこで嘔吐いた……ゲエゲエと……粘っこい体液だけを吐く。昨晩から食べていないから、何も吐くモノがない。
便座に手を置きながら、ジュナは立ち上がる。軍がくれたコップで、甘酸っぱくなった口をすすぎ……翡翠色の瞳を細くして鋭くする。愛想を悪くしてみた。
「……なんだ、いつもの私じゃないか」
問題なく、愛想の悪い女を演じられそうだと安心する。吐いたり、喜んだり、怯えたり、安心したり。何とも不安定極まる状態ではあるが―――それでも意志は揺るがない。
ジュナ・バシュタ少尉は、制服に着替えると……私物の入った段ボールを小脇に抱えたまま、宿舎からほど近い、モビルスーツ格納庫へと向かう。
愛機として長らく乗って来たジェガンが立っている。愛着は多い。自分を一人前のパイロットにしてくれた機体なのだから。多くの経験を稼がせてくれた。並以上のパイロットだと胸を張って言えるほどには……。
段ボールを足下に置いて、敬礼する。すぐに終わる。あのジェガンも、すでに彼女の相棒ではない。誰かが乗るだろう。新しく配属されるパイロットか、ジュナの部下であった誰かが……。
別れの儀式は終わる。これで、もう格納庫には用はない。どうしても来たかったというわけでもない。パイロットたちの部屋からは、そこに直通するしかない設計であり、格納庫に隣接する形で滑走路があるからだ。
彼女が乗る輸送機もそこに待機していた。
「軍曹、どちらへ?」
ジュナがレズビアンだと知らない、哀れな整備士が声をかけてくる。背が高くて、腕力が強そうだが。女じゃないから、ジュナは彼のことを肉のカタマリ以上の価値で見てやることは出来なかった。
……ああ、整備士としての腕前は中の中だという認識はある。そこそこマジメで、それなりの才能。どこにでもいる凡人だが、一定の仕事をしてくれる駒は、組織においては信頼が小さくはない。悪くない人員だ。
「出世した。オーストラリアに栄転だ」
「そ、そんな!?」
「世話になった。今後も職務に励むといい」
「……軍曹の座らないジェガンのシートなんか、何の価値もねえっすよ!!」
どういう意味なのか、深くは考えないコトにした。ジュナは自分用のジェガンに一瞥をくれる。海上用の装備を施された、汎用性の高い連邦軍の量産型モビルスーツだ。
伝説のガンダムと設計の系譜は一緒だとか、一部、重なっているだとか……そんなハナシもあるが、それが真実なのかはジュナは知らない。
興味はない。
いや、あえて避けて来た。
ガンダムは……ニュータイプの乗るモビルスーツだからだ。『奇跡の子供たち』と結びつきかねない存在だ。そんなものに、誰が興味を抱くものか……そう考えていた。今は、少し違っているけど……。
……輸送機に乗り、座席に座り込んだジュナは、離陸時間まで二時間半もあることを幸いだと思った。大佐から与えられた宿題をこなすには、ちょうどいい。『奇跡の子供たち』の記事に……ニュータイプの論文。
あえて避けて来た情報たちだが……自分の周囲の環境に変化が訪れた。彼女へと至るかもしれない道なら、進むしかない。その道が険しそうだというのなら、少しでも情報を手にしなければならない。
そうだ。
自分は……『奇跡の子供たち』の一人ではあるが……本物のニュータイプなどではないのだから。
チューブ入りのチョコ味の軍用食料。歯磨き粉にも似た設計の朝食に、切れた唇で吸いつきながら、ジュナ・バシュタは軍からの支給品を違法に改造したタブレットに、大佐からのプレゼントである記憶媒体を突き刺していた。
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