一章 噂の怪盗
「リストです」
無表情の男がやや不機嫌な雰囲気を漂わせ、ひとりの青年の前に紙の束を置いた。
「これ、全部か?」
青年は、思っていたより多いことに躊躇することなく驚く。
「すべて、というわけではなく、ここ数年、我が国での被害をまとめたものです。その中から、例の怪盗が手を下しただろう品を絞れば、次のターゲットもわかるかと」
「ターゲットって、なにかを探しているとでもいうのか、おまえは」
「探すというより収集しているのではないでしょうか。リストを見ていただければわかるように、定期的に盗まれている宝石や美術品に特徴があります。数年前に滅亡した某国から売り出されたものです」
「……あの、国の? いわくつきじゃないか」
「まったくです。縁起が悪いので、わたしとしては盗んでいただいてよいとさえ思いますよ」
「おいおい、だいそれたことを言うな。誰が聞いているかわからないぞ?」
「ここでの話を盗み聞きしようなどという輩はいませんよ。自殺行為というものです」
「……ま、確かにそうだ。で、例の国の遺物だが、確かあれがあっただろう」
「あれ、と申しますと?」
「とぼけるな。じい様が数ある中で一番高価なものだといって、死ぬ間際まで手放さなかったあれだよ、あれ」
「……ああ、あれですね。先代の王は縁起が悪いといって、術師に命じて封印までさせた」
「ああ、それだ。それを展示するとふれ回れ」
「……は? 気は確かですか?」
「縁起でもないものなんだろう? 盗まれてくれた方がいいと言ったのはおまえの方だ。囮使う。怪盗が例の国の者なら、協力を申し出る」
青年がそう断言してしまうと、男はなにもいえなくなる。
そういう主従関係のようだ。
ただ頭を垂れ、意のままにと言い、その場を後にした。
※※※
「ねえ、養父(とう)さん。国営美術館の告知をみた?」
黄金の巻き毛に漆黒の瞳をした異人の女性が、息を弾ませ帰宅するやいなや、そんなことを言い始めた。
養父さんと呼ばれた、がたいのいい年の頃五十代中頃の男は、戻った娘に視線を向けることなく、手をひたすら動かし続けた。
鍛冶職人としての腕がいいのか、このレイバラル大国に移住してから依頼が切れたことはない。
前にいた国では明日食べるモノもどうなるかわからないというその日暮らしが幾度と亡く訪れるくらい、不安定だったことを思えば、依頼があるだけ幸せなことだった。
しかし最近は働き過ぎではないだろうかと心配になる。
「ねえ、養父さん。少し休んでお茶にしましょう。とてもおいしそうなパンを買ってきたのよ。出来立てだからきっとおいしいわ」
時計を見ればすでにお昼の時間は過ぎていた。
台所を見れば、朝、娘が片づけたままになっていることから、あれからずっと仕事をしていたのだろう。
娘はわざとらしく、養父(ちち)の近くにパンの香りをちらつかせた。
仕事をしている手の動きがぎこちなくなっていくのが見てわかる。
(やせ我慢しちゃって)
娘はもうひと息と、今度はパリッとパンを大ざっぱに割る。
香りで刺激され、音でダメだしをされ、養父はそっと仕事道具から手を離し、背伸びをする。
振り返りやっと娘の顔を見た。
大柄な養父の人相は、正直あまりいい方ではない。
鍛冶職人をするよりは軍人でいた方が迫力もあり敵を蹴散らしそうである。
そのいかつい顔つきも歳とともに衰え少しは近寄りがたい雰囲気は薄れている。
それでも彼という人柄を知らない人は、しり込みしてしまうくらいの迫力はあるが、娘の前では極々当たり前の父親の表情を浮かべる。
「こっちにきたときは、こんな皮の固いパンなんてと思ったけど、噛めば噛むほど甘みがあって、今ではクセになっちゃった」
娘は言いながら、雑に割ったパンを刃物で均等に切って皿に乗せる。
薫製のハムを薄切りにし、パンを乗せた皿の横に無造作に盛りつけ、養父がいるテーブルに置いた。
果物を煮詰めたソースで食べるのも美味であるが、今は薫製ハムを挟んで食べるのが、この親子のブームになっていた。
半分ほど食べた頃、養父はぶどう酒で口の中のものを流し込み、じっと娘の顔を見る。
娘がそれに気づき「なに?」という感じで小首を傾げると、
「クラウディア、さっき言っていた国営美術館の展示ってなんだ?」
歯ごたえのあるパンを頬張っていた娘クラウディアは、養父の質問に答えるため、ぶどう酒をグラスに注ぎ、食べかけのパンを流し込む。
のどに詰まらせながらもなんとか飲み込むと、
「黒ダイヤが展示されるらしいの」
「……黒ダイヤだと?」
「そう。やっと公の場に出るの。レイバラル大国が持っているらしいって情報、本当だったね。わたしたちの目的はこれだもの。こっちに移住して三年くらい? 随分またされたって気もするけど。でね、展示されたら一度確認してこようと思うの。本物だったら返してもらう」
クラウディアはここレイバラル大国に移住した本当の目的が果たせるとやる気が漲っていたが、同じ志をもっていたはずの養父は少し違っていた。
しばらく考えてから、
「クラウディア。嫌な予感がする。黒ダイヤが展示されている間はその周辺を彷徨くな」
「え?」
「見に行くな。手を出すな。いいな?」
「ちょっと、どうして? 養父さんだって、黒ダイヤがあるからこっちに来たんでしょう? わたしにあんなことを言って、黒ダイヤさえ取り戻せたら、本当の父や母のことも捜すことができるって。やっと目の前に出てくるのに、なぜ?」
「どうしてもだ。少し、派手に動きすぎたのしれないな」
「どういうこと?」
「ここにきてなぜ黒ダイヤなんだ? 情報が正しければ、この国では黒ダイヤは縁起が悪いとされ封印されているというじゃないか。それをあえて展示するだって? おまえをおびき寄せているとしか思えんな」
「だとしたら、乗ってやろうじゃないの」
「なに?」
「ほかにも持っているやつ、全部返してくれるよう話をするの」
「つまりおまえは、素性を明かすというのか? ばかな。それこそ自滅だ。やめておけ。もうこの話は終わりだ。いいな、黒ダイヤには近づくな。俺としては黒ダイヤよりおまえの命の方が大事だ」
養父は食べ途中のパンを手に持ち、仕事場へと戻っていく。
クラウディアはその後ろ姿を見ながら、なんともいえない気分を引きずる。
無表情の男がやや不機嫌な雰囲気を漂わせ、ひとりの青年の前に紙の束を置いた。
「これ、全部か?」
青年は、思っていたより多いことに躊躇することなく驚く。
「すべて、というわけではなく、ここ数年、我が国での被害をまとめたものです。その中から、例の怪盗が手を下しただろう品を絞れば、次のターゲットもわかるかと」
「ターゲットって、なにかを探しているとでもいうのか、おまえは」
「探すというより収集しているのではないでしょうか。リストを見ていただければわかるように、定期的に盗まれている宝石や美術品に特徴があります。数年前に滅亡した某国から売り出されたものです」
「……あの、国の? いわくつきじゃないか」
「まったくです。縁起が悪いので、わたしとしては盗んでいただいてよいとさえ思いますよ」
「おいおい、だいそれたことを言うな。誰が聞いているかわからないぞ?」
「ここでの話を盗み聞きしようなどという輩はいませんよ。自殺行為というものです」
「……ま、確かにそうだ。で、例の国の遺物だが、確かあれがあっただろう」
「あれ、と申しますと?」
「とぼけるな。じい様が数ある中で一番高価なものだといって、死ぬ間際まで手放さなかったあれだよ、あれ」
「……ああ、あれですね。先代の王は縁起が悪いといって、術師に命じて封印までさせた」
「ああ、それだ。それを展示するとふれ回れ」
「……は? 気は確かですか?」
「縁起でもないものなんだろう? 盗まれてくれた方がいいと言ったのはおまえの方だ。囮使う。怪盗が例の国の者なら、協力を申し出る」
青年がそう断言してしまうと、男はなにもいえなくなる。
そういう主従関係のようだ。
ただ頭を垂れ、意のままにと言い、その場を後にした。
※※※
「ねえ、養父(とう)さん。国営美術館の告知をみた?」
黄金の巻き毛に漆黒の瞳をした異人の女性が、息を弾ませ帰宅するやいなや、そんなことを言い始めた。
養父さんと呼ばれた、がたいのいい年の頃五十代中頃の男は、戻った娘に視線を向けることなく、手をひたすら動かし続けた。
鍛冶職人としての腕がいいのか、このレイバラル大国に移住してから依頼が切れたことはない。
前にいた国では明日食べるモノもどうなるかわからないというその日暮らしが幾度と亡く訪れるくらい、不安定だったことを思えば、依頼があるだけ幸せなことだった。
しかし最近は働き過ぎではないだろうかと心配になる。
「ねえ、養父さん。少し休んでお茶にしましょう。とてもおいしそうなパンを買ってきたのよ。出来立てだからきっとおいしいわ」
時計を見ればすでにお昼の時間は過ぎていた。
台所を見れば、朝、娘が片づけたままになっていることから、あれからずっと仕事をしていたのだろう。
娘はわざとらしく、養父(ちち)の近くにパンの香りをちらつかせた。
仕事をしている手の動きがぎこちなくなっていくのが見てわかる。
(やせ我慢しちゃって)
娘はもうひと息と、今度はパリッとパンを大ざっぱに割る。
香りで刺激され、音でダメだしをされ、養父はそっと仕事道具から手を離し、背伸びをする。
振り返りやっと娘の顔を見た。
大柄な養父の人相は、正直あまりいい方ではない。
鍛冶職人をするよりは軍人でいた方が迫力もあり敵を蹴散らしそうである。
そのいかつい顔つきも歳とともに衰え少しは近寄りがたい雰囲気は薄れている。
それでも彼という人柄を知らない人は、しり込みしてしまうくらいの迫力はあるが、娘の前では極々当たり前の父親の表情を浮かべる。
「こっちにきたときは、こんな皮の固いパンなんてと思ったけど、噛めば噛むほど甘みがあって、今ではクセになっちゃった」
娘は言いながら、雑に割ったパンを刃物で均等に切って皿に乗せる。
薫製のハムを薄切りにし、パンを乗せた皿の横に無造作に盛りつけ、養父がいるテーブルに置いた。
果物を煮詰めたソースで食べるのも美味であるが、今は薫製ハムを挟んで食べるのが、この親子のブームになっていた。
半分ほど食べた頃、養父はぶどう酒で口の中のものを流し込み、じっと娘の顔を見る。
娘がそれに気づき「なに?」という感じで小首を傾げると、
「クラウディア、さっき言っていた国営美術館の展示ってなんだ?」
歯ごたえのあるパンを頬張っていた娘クラウディアは、養父の質問に答えるため、ぶどう酒をグラスに注ぎ、食べかけのパンを流し込む。
のどに詰まらせながらもなんとか飲み込むと、
「黒ダイヤが展示されるらしいの」
「……黒ダイヤだと?」
「そう。やっと公の場に出るの。レイバラル大国が持っているらしいって情報、本当だったね。わたしたちの目的はこれだもの。こっちに移住して三年くらい? 随分またされたって気もするけど。でね、展示されたら一度確認してこようと思うの。本物だったら返してもらう」
クラウディアはここレイバラル大国に移住した本当の目的が果たせるとやる気が漲っていたが、同じ志をもっていたはずの養父は少し違っていた。
しばらく考えてから、
「クラウディア。嫌な予感がする。黒ダイヤが展示されている間はその周辺を彷徨くな」
「え?」
「見に行くな。手を出すな。いいな?」
「ちょっと、どうして? 養父さんだって、黒ダイヤがあるからこっちに来たんでしょう? わたしにあんなことを言って、黒ダイヤさえ取り戻せたら、本当の父や母のことも捜すことができるって。やっと目の前に出てくるのに、なぜ?」
「どうしてもだ。少し、派手に動きすぎたのしれないな」
「どういうこと?」
「ここにきてなぜ黒ダイヤなんだ? 情報が正しければ、この国では黒ダイヤは縁起が悪いとされ封印されているというじゃないか。それをあえて展示するだって? おまえをおびき寄せているとしか思えんな」
「だとしたら、乗ってやろうじゃないの」
「なに?」
「ほかにも持っているやつ、全部返してくれるよう話をするの」
「つまりおまえは、素性を明かすというのか? ばかな。それこそ自滅だ。やめておけ。もうこの話は終わりだ。いいな、黒ダイヤには近づくな。俺としては黒ダイヤよりおまえの命の方が大事だ」
養父は食べ途中のパンを手に持ち、仕事場へと戻っていく。
クラウディアはその後ろ姿を見ながら、なんともいえない気分を引きずる。
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