32話 「記憶探し」
「知らない人に着いていったらだめだ」
「はい!着いていきません!」
選手宣誓のように手を高らかに挙げた私に壱橋さんは大きく頷かれた。
なぜこんなことをしているかと言うと、少しでも記憶探しに自分で動いてみたいと願い出たのが発端である。しかし、その返答は「却下」の一言だった。今日は肆谷さんと伍森さんを連れて出掛けてしまうからと最初は何を言っても「だめだ」の一点張りだった壱橋さんも長く粘り強く願ってみると「葯娑丸と行くというなら構わない」という条件付きで許しをくれた。
そして、それとは別に誓いを立てている私に後ろに待機している葯娑丸君は「ガキのお使いか」と呆れた表情を浮かべていた。
「お菓子をくれるって言われても着いていくな」
「はい!着いていきません!」
「さて問題です、浪士が刀を突きつけてきて「金を置いて行け」といいました。どうすればいいでしょうか?」
何処からか眼鏡を取り出し、まるで寺子屋の先生のように振舞う壱橋さんに先程教えてもらったことを思い出しながら答える。最初はおろおろしながら聞いていたけれど、これも記憶探しに動くためだと何度も往復して復習した。
「相手のアキレス腱を蹴り、態勢を崩したところで顔に砂をかけ視界を奪ってからとどめを刺します!」
「よし!」
「オイ待て、やめろ」
どうやら壱橋さんが考えてくれた「女子にでもできる!撃退法!」は葯娑丸君のお気には召さなかったらしい。
それに最初は壱橋さんは怪訝な顔をされていたけれど、思い出したかのようにハッと口元を抑えると、葯娑丸君の方を見て「すまない、忘れていた」と呟かれた。それに葯娑丸君は安堵した表情をして「そうだ、そんな目立ったことをしたらまた真選組の連中に…」と呟いたけれど、それにかぶせるように壱橋さんが答えた。
「先に相手の視界を奪わないと危ないな。街を歩くときは事前に庭の土を握っていくといい。今ビニール袋に詰めて来るから待っていなさい」
「はい!」
「おう、連れて行かないぞ?」
壱橋さんを宥めた葯娑丸君はげんなりした表情で私に「行くぞ」と言って先を歩きだした。
そんな葯娑丸君から視線を逸らして後ろを振り向くと、伍森さんが私の視線に気が付き、ひらひらと手を振ってくれる。そんな伍森さんと、伍森さんの横に並ぶ肆谷さんと壱橋さんに見送られながら、先を歩く葯娑丸君の後を追うと、2人で並んで江戸の町へと繰り出した。
「江戸の街ってお正月じゃなくても賑わっているんですね」
葯娑丸君の後を追いながらそんなことを言った私に、葯娑丸君は少しだけ歩くスピードを落としながら私のペースに合わせてくれた。それが嬉しく思いつつ、向こうのほうが賑わっているのが見えて背伸びをしてその方向を見ていると葯娑丸君が「真選組だな」と呟いた。
「この街じゃチンピラ警察で通っているらしいが」
「チンピラ?」
前の方を見ると、刀を構えて威嚇している浪士が数人いて、葯娑丸君曰く最近この辺一帯に勢力を伸ばしてきていた攘夷志士らしいことがわかった。壱橋さんが最近ここら辺が物騒になったと言っていたのはどうやら彼らのことらしかった。道を占領するかのように黒い服の集団で壁が出来ているため、この先に進むことは出来なそうだ。ぼんやりとその集団を見つめていると、別の道を行こうと言って引き返す葯娑丸君は振り向いた一瞬で浪士の方を見た目はどこか冷めきっていて、なぜだか自分が睨まれたように背筋が凍った。
立ち止まってしまった私に葯娑丸君も足を止め振り向くと、いつもの瞳に戻っていて、「行くぞ」と伸ばしてくれた手を恐る恐る握ると、再び見えた葯娑丸君の瞳は温度を取り戻していて、もしかしたら私の見間違いかもしれない、と考えないことにした。
「あ、いたいた!おーい!」
路地を抜け、反対側の大通りに出た私たちは地図を見ながら行ったことがないほうへ行ってみようと話していた。そんな私たちに誰かが呼ぶ声が聞こえ、自分じゃないかもしれないのに自然とその声の持ち主を探してしまう。まず左右を見た私に葯娑丸君が私の頭を掴み、半強制的に後ろを向かされる。けれどそのおかげで声の主が私たちの知り合いだということがわかった。
「参ツ葉さん!?」
「いやあ!もう、いっちーに様子を見てきてほしいって言われて探し回ったよー!おひさ!」
向こうからやってきたのは、「街」にいるはずの参ツ葉さんだった。
私は久しく会えていなかった参ツ葉さんの登場に、嬉しくてついテンションが上がってしまいそうになったけれど、すぐに葯娑丸君が地図を見たまま喋らないことに気が付き、2人の関係性について思い出した。慌てる私に参ツ葉さんは私が何に戸惑っているかまで見通したように苦笑いを浮かべた。
「大丈夫だよ。」
参ツ葉さんは私にそう伝えると、葯娑丸君のほうを見て「ひさしぶり」と声を掛ける。
それに驚いたように目を丸くした葯娑丸君が「ああ」と答えた。
「この子のこと、守ってくれてたんだってね。ありがとね」
よしよし、と私の頭を撫でながら話す参ツ葉さんはちょっと無理をしている様子だったけれど、いつも通り優しい笑顔をしている。そして葯娑丸君もまた、無理をしているように戸惑いを隠しきれずにいたけれど、地図を閉じると、自然の流れで参ツ葉さんを見つめ返した。
「…お前に礼を言われる意味が分からないが」
「あっれ。何だコイツやっぱムカつくぞ?」
あはは、と笑った参ツ葉さんに葯娑丸君は鼻で笑い飛ばし、先程行こうと言っていた方へと自然に歩き出す。それに参ツ葉さんも私の手を掴み同じ方へ歩き出すと2人とも、道中言葉少なに歩いていたけれど、嫌な雰囲気を感じる事はなかった。
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